見出し画像

どうして僕に「答え」を聞くんだろう

若い人と関わる仕事をしているので、将来のことや就活のことについて質問されることも少なくないのだけど、返答に窮する質問の定型に次のようなものがある。

今、入っておくべきという業界はどこですか?
新卒にオススメの会社はどこですか?
狭く深い専門性と、広く浅い経験と、どっちが必要ですか?

いつもこの手の質問に対しては、「わかりません」と返してしまう。それは僕がこの手の就活やら業界やら企業の動向に対して無知でそう言っているというよりは、「これらの質問は全て、関係性課題だから」僕にはわからないという感覚。

今入っておくべき業界も、オススメの会社も、専門性か広い経験かも、全ては「あなたがどんな人で何をしたくて、それぞれの環境や要素を自分自身でどう意味付けるか次第で、幸せにも不幸せにもなるから」、他人の僕にはわからんということです。

混ぜてはいけない、二つの問い


食べ物の話に置き換えればわかってもらえると思う。

今一番、俺が食べたいものを教えてください。

って、なんで他の人に聞くのさって話です。知らんそんなもんは、と。この質問を見れば、僕に答えを求めることが構造的におかしいことがわかってもらえると思うんだけど。関係性課題と書きましたがつまりは、

自分を介在しない絶対的な解がある問い
or
自分と対象の関係性次第で解が変動する問い

シンプルにいうなら「答えが人によって、変わらない問いと変わる問い」。この二つの混同が、いろんなところで起こっている気がするのです。特に、「ほんとは後者なのに、前者だと思って解こうとすることによるすれ違い」が。

最初の就活にまつわる質問たちは僕にとっては「後者の問い」なんですけど、まあまあな割合の学生さんが「前者の問い」だと思っているから、あーいう聞き方になるんでしょう。食べ物くらい、自分との関係性をこれまで生きてきて何遍も何遍も確かめてきた対象なら、後者の問いだとすぐにわかるのだろうけど、「はじめてその対象と向き合う」と、それがわからなくなりやすいということなのかもしれない。そこは就活の辛いところで、答えを求めたくなる気持ちもわかるけど、丁寧に要素分解することと、疑似体験(例えばインターンやらOB訪問やら)から類推するというそこまでの人生経験の勝負と、内省とで、「はじめて」のことにはなんとか向き合うしかないんだと思うよ。

絶対的な解をちらつかせる方が、儲かる


あとは、「世の中には意図的に前者の問いだと見せかけて裏で稼いでいる人がたくさんいる」という真実にも気づいた方がいいかなと思う。「絶対的な正解を言い切った方が、儲かる」んです、少なくとも短期的には。情報ならバズりやすくなり、商品なら売れやすくなり、上申は通りやすくなる。実際、僕が「それはあなた次第」と返答するとほぼ十中八九、”つれない答えだなあ”というちょっと引いた表情をされるし、そういうスタンスだから、これまで話が進みかけたこともあったけどコメンテーター的なお仕事はこういう人には回ってこない。

関係性課題である側面をバッサリ削いだサービスアンサーと、それに飛びつく人々やメディアの共犯関係によってどんどん世の中は、「絶対的な正解を優先する」志向に強化されてきた気がする。もちろん”わかりやすい”ということはいいことだけど一方で、「分かろうとする努力を、本人から失わせる」側面もある。そうするとどんどん、「絶対的な正解がある問い」であってほしいというバイアスがかかり、もっともっと社会に「絶対的な正解を求める」ようになる。”ポジショントーク”というやつも、全てが問題だとは思わないけど、「関係性課題なのに、それを伏せて発言者のポジション強化のために絶対解のように言い切ってしまう」ことに大きな問題があると思うのです。

そのバイアスに歯止めをかけるためにも「本当は自分を介在させて、関係性として解かないといけない問い」が、そうは見えない形で世の中に出回りまくっていることに気づいた方がいいし、”自分を介在させて自ら問いを解く”という経験が、自分が思っているよりも環境によって消されている結果、「考えなくても調べれば答えが見つかるはず」だというバイアスに深く陥っている危険性は、いつも戒めないとなあと自分でも思う。

その人に興味があるか、答えが知りたいだけか


こういう質問もよくある。

吉田さんだったら、今新卒で就活するとして、どの会社に行きますか?

本当に、「吉田さん」にそんな興味あります?と、性格の悪いワタクシはワンクッション考えてしまう。これも、ちゃんと関係性課題として質問しているケースもあるけど、ほとんどの場合は、「結局、正解を教えてほしい」だけで聞き方をひねっただけだと、その前後の会話で僕の人間性に関わる質問をなんらしない様子から感じてしまうわけです。僕と社会の関係性から導き出された答えを、あなたが答えだけ知って、どうするの?と。「あの人が言ってたんだから間違いない」という意思決定をしていいのは、

”あの人”のことをよく知っていて、
自分との類似点と相似点もわかった上で、
自分の中にも同じ価値観や思想が部分的にでもあるので、参考にできる

ときだけなんじゃないかなあと。

なぜ「関係性のデザイン」なのか


こうやって考えていくと、サイエンスの領域以外は、人間社会の昨今の悩みや意思決定は大半、関係性課題だと感じるし、複雑で難解な問いほど、関係性から解かないと、斬新で発想が飛ばせている策は出てこないように思うのです。これが僕がここ数年ずっと意識してきた「関係性のデザイン」が、なぜ必要なのかの、背景なんですが。

フィンランドにいったとき、現地の方との会話の中で「人に悩みの相談をされた時にどうするか」という話になった。彼らの基本スタンスは、「それをどうして私に聞くの?」であって、そもそもお互いがそういう人間性なこともわかっているから「あなたはどう思って、どうしたいの?」と、コーチングをすることはあっても、「他者に聞いても答えが出てこないことは、そもそも答えを求めるような聞き方をしない」のだそうで。日本のこの過干渉、過介入をお互いが求め合い、相互依存的意思決定が多くなり、結局当事者も責任者もいないまま物事が進んでいく感じを変えることが、僕が関われる一番社会に貢献する効果がある作用点だと最近は思ってます。

これからしばらく、関係性のことを書いていこうと。

なので、関係性課題をこれまでも解いてきたしこれからさらに解いていけたらと思う身として、noteもしばらくは関係性の話縛りで行ってみようと仕切り直したいのです。僕がやってきたことって

・消費者インサイト    ≒ ブランドとユーザーの関係性
・クライアントインサイト ≒ 売り手と買い手の関係性
・若者研究        ≒ 新しい感性とこれからの社会の関係性
・組織改革コンサル    ≒ 個人と集団の関係性
・CEOアドバイザリー   ≒ 経営者と意思決定の関係性
・企業のビジョン策定   ≒ 組織と未来の関係性
 ・・・

という感じで、全て関係性課題だったなあと。異なる2点以上の存在の関係性を再定義することで、問題を吹っ飛ばし、ハッピーを増幅する。そのために「それぞれの点がどんな思いや苦しみ、欲望を持っているのか深く洞察する」べく、インサイトの技を磨いてきたのだと。なのでとりあえずは3つくらいにマガジンも再編して、書くことで自分も頭の中の関係性課題の整理をしていこうと思います。

個人と集団の関係性
組織をより良くすることを、企業に対して、あるいは学生の皆さんとのチームをコーディネートする過程で、色々考えてきました。そして今の社会は本当にここがうまく行ってないせいで、ほうぼうで個人の犠牲によって無理やり成り立っている集団がある気がして。なので、ここは放っておけないという気持ちで考えてます。
若者と社会の関係性
これは専門でずっとやってきたこと。なぜ若い人の研究をするかって、彼らにものやらコンテンツやらを売りたいからではなくて、この関係性がうまく行ってなくて、色々なことがオールドなまま糞詰まりを起こしていると思っているから。若い人は僕の定義では「最初に新しくなる人」で、これは有志チームの命題にもなっているんですが、言い換えれば「いかに新しさを世の中に還元できるか」。日々やりながら感じる独り言を書き溜めておこうかなと。
自分と世界の関係性
これはもう純粋にただのエッセイ。自分が好きなものを、どう好きなのか、書いてみることで、自分を絶対化せずに取り外して離れて見る機会になると。その上で、それでも共感してくれる人がいたら嬉しいけども。

noteは僕にとって全ては仮説だし、可能性の試作の場だと思ってます。仮説の場を生活の中に持つことがすごい大事で、それこそ「絶対的な正解」ではない思考を育てることが、関係性課題を解くキーだと思う。

曖昧で煮え切らない書きっぷりばかりにますますなりそうですが、もしよかったら今後も何卒です。



サポートありがとうございます! 今後の記事への要望や「こんなの書いて!」などあればコメント欄で教えていただけると幸いです!