臆病さ

蛮勇と、強さの違い

小次郎に欠けていたのは臆病さ。
死の際を知り、臆病になり、
なおかつ臆病を超えて前へ出て行く勇気。
それが強さ。
臆病と強さは相反しない。
              「バガボンド 19巻」

天賦の才ゆえに自らが窮地に陥る経験をしたことのない若き佐々木小次郎に、師の伊藤一刀斎が抱いた懸念の一言。今の世では、生き死にの際に瀕しての強さについては、豊かなことにほとんどないかもしれませんが、奇しくもこの言葉を思い出したきっかけは、最近の若い世代との対談でした。

この方もお会いしてそう感じたのですが、自分の自信のなさや不安を全て認めた上で、「今は何者でもない自分を認め、そこから”何者かになる”努力を、力まずに冷静に進める」というか。静かな青い炎を宿している、そんな感じ。

若い人ほど、いろいろなこれまでの”強い”とされてきたものが、うまくいってなかったり通用してないさまを、たくさんの情報から何と無く感づいていて。感づいた結果、「無知の蛮勇」は抱きづらい世の中にはなって、それを大人たちは「やんちゃな子どもが減った」とか言いますが。現実にある不安や難しさを引き受けた上で”戦おう”と覚悟した人は、無茶な大人なんかより、よっぽど強いと思うのです。

蛮勇と強さは違う。ただ、不安を引き受けた上でなお前に進むのは蛮勇より難しい。それができる人からは、やっぱり違うオーラが出ると思う、最近のメモ。

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