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Yo




書くまい。
「文章を書こうとして」書くまい。
一番身近であるときにだけ手を伸ばす
最早手まで伸ばすまい。ゆびのみだ。
ペンさえ手に取るまい
どの格言も名言もあなたの感想ですよね
感動と憧れと羨望では充電できない
「〜すべき」ではなく「〜しよう」で動くようにと言われたあの時、全く疑問はなかった、なるほどと頷いた。そうすべきですよね。と思ったわけでそこがまず沼の入り口だったのよ
いまわたしは「〜すべき」をわたしのために言うことを許可する。もっと手軽に。すべきに重さなどない。わたしをふわふわと守って、片手で背中を支えるくらいのラフさのために「すべき」を使うことができる。本当は。それに気づいた。
そしていつでも「すべき」と距離を取ることもできる。

いいねとスキこそわたしを空間に溶かすが、どこまで溶けて地面に浸透しても、心まで満ち足りることはなかった。溶けることは、わたしを強く気づかせただけだった。「え?なんのいみもないじゃん、生きていても」。
この場合いみがあるなら生きたいよなってことじゃなく、
例えば大体5歳くらいのこどもが、広いデパートで、夢中ですてきなおもちゃを眺めていて、ぱっと顔を上げるとママもパパもいなくてポカンとしている、そんな顔、そんなシーン
わたしの目の前にも、真っ白な中に一文字だけ浮かんでいた。



え?



そんなわけでその子もわたしも気がついた。
じんせいにいみがないのはしってたけど、きょうみがないじゃん。わたしが。じんせいに。って。
え?わたし、てんしじゃん。って。
格言も名言も感動も憧れも羨望も、実はわたしを作ってないじゃんって。
なーんだ、なるほどな、だ・か・ら、メモしないと忘れるし、メモしたことも忘れるんだよなぁ。って。せいぜい「好きな言葉は?座右の銘は何ですか?」の答えとして準備したいだけだ。わたしはことばではない。いつか死ぬ人間だ。

日々の苦しさをどうしたらいいのか、解った。
もう、めちゃくちゃ解った。
「忘れる」これ。
忘れていられるタイミングで、時間を流していく。そうやって生きながら、命を感じたり、思い出してしまったら、仕方ないので、半分死んだりしながら、道を歩いていく。
これが答え。

時間はたっぷりあり、
死はいつもわたしと手を繋いでくれている。
くれているのだよ

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