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ぽかぽかの正体は生姜、


お風呂で喋った通り、
わたしは、ことばについてとても興味があるらしいし、親近感を覚えているし、それについて考えている人にも興味がある。

わたしは誰かと話す様な独りごとを言います。
それも公に話す様な調子で。
白状します、これは小学生の頃からです。
たまに1人で帰る通学路で。
家のお手洗いで。
お風呂で。
ラジオが好きでした。
そんな調子で話します。
意味なんて別に、ありません
こじつけるとしたら頭を整理するためとか
そんなところです

ですから、さっきお風呂で話した様に、
わたしはわたしの書く文章のことが好きだし、
思考がたぶん少し多めで、
よく「考えすぎ」と言われてきた身分ではあります。だからたまに、
ひっそり、秘密を話すように、
「あなたの文章が好きだよ」と
言ってくれる人が何人かいました。
なんにもうまく受け入れられなくても、
その褒め言葉だけはわりと純粋に入ってくるのです。

小学生から中学生の時、
たまに詩を書いていた時、
生活していて耳に残った単語があったりすると、その単語を使うために文章を書きました。
そんなことをしていた記憶だけあります。
たとえば、たぶん
「たゆたう」
「尊い」
「月光」
そんなかんじで、その単語の光を手がかりに、
そのことばのまわりの空気を書き落とす感じでした。たしか。
だれに公開することも目的ではありませんでした。
その、耳から入ってきて頭の中で反響する単語を、わたしはわたしのものにしたかったのだと思う、「所有したかった」のだと思う。

「ボクらの時代」と言う番組が好きで、
ずっと予約録画していて
気になる組み合わせの回だけ見るのですが
たしか、吉岡里帆さんと又吉直樹さんと吉澤嘉代子さんの回で、
シンガーソングライターの吉澤さんが

「その言葉を所有したくて歌詞を書いている」

というようなことを言いました。

わたしはそれがとても印象に残っていて、そのあとの話は聞いてなかったし、たぶん途中で見るのをやめた笑

だから先ほど、その表現を拝借して、
「わたしもことばを所有したかったのだ」というところに落ち着いたのです。十何年越しに。




たとえばその相手と私の似ている部分
全部じゃなくても、
ほんの一部だとしても、
深く共有できる感覚があるのだとしたら、
その相手と話すということは、
その相手のことばを聞くということは、
【自分のことばも増える】ということなんだ、
と、吉澤さんのことばを受けて納得した自分に納得した今日でした。

だから、わたしは吉澤さんの表現を受けて「自分を等身大で説明できた感覚」があるし、
(※お風呂で喋っていたので誰にも届けてはいないのだが)
もしこんなにスッキリとした感触で
そんな表現で自分のことを話せたら、
それを聞いて嫌われたって仕方がないって受け止められるし、
それを聞いて好きだと言ってくれたらちゃんと純粋に喜べるんじゃないかって想像をする。

だからどうしたい、と言う話ではなくて、

今日こんな思考を持った、という
ただの殴り書きであります。

実家から届いた生姜のすりおろしをたっぷり入れた豚汁がめちゃくちゃ効いていて
ものすごくぽかぽかしています。

どうぞ全員あったかくして寝ましょう。

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