自分の大喜利に関して前からこう思っている

この記事を大喜利の人だけに向けたものにすべきか、大喜利をしていない人にも届くよう配慮すべきか、悩みながら書いている。ちなみに4月から始めたシリーズ「アマチュア大喜利プレイヤー列伝」は、極力生大喜利の文化を知らない人にもわかるように解説を入れるようにはしている。

自分は2016年6月から、大阪や東京、宮城そして福岡で、ホワイトボードとペンを持ち、正解の無いお題に対し、面白い回答を出す”大喜利”をしてきた。今自分が住んでいる広島は大喜利人口が少なく、県外の会に参加しないと大喜利を生で楽しめない。そんな状況のため、大喜利をしてきた回数自体は少ないが、いくつかの大会に挑み、ウケたりウケなかったりを繰り返し、最近ようやく自分のスタイルや、得意不得意などがわかってきた。

常々思っているのは「いつも通りにしか出来ない」ということ。

「この大会だから気合入れよう」とか「このルールだからこういう戦い方にしよう」みたいに、戦術やモチベーションをその時々で変えることが出来ない。出ているお題にいつも同じ熱量で向き合い、いつも必死で答えてきた。それ故に、4~5人のちょっとした会で爆笑を取ることもあれば、100人近い観客の前で全くウケず終わることもある。

他のプレイヤーが毎回どのようなモチベーションで挑んでいるのかわからないため、同じ境遇の人がどれくらいいるのか分からないが、自分だけが抱えている悩みではないと信じたい。元来正解の無い競技である。スタイルに良くも悪くも振り回されることは、多かれ少なかれあるだろう。

数日後、東京で冠到杯(かんとうはい)という大喜利大会がある。この大会に出場が決まっているのは、細かい条件はあるものの、簡単に言うと「大会での優勝経験がない」人たち。自分も優勝経験がないので、参加資格はあるものの、関東で行われる大会ということもあり、出場は出来ない。

大会を行うことがアナウンスされた時、「もし自分が出ていたら…」と軽く想像を膨らませたが、瞬時に「勝てないだろう」という結論にたどり着いた。優勝未経験者が初優勝を狙いに行く大会である。普段以上に気合を入れて臨む人たちの横で大喜利しても、自分では歯が立たないはずと思ってしまった。

これから自分が成長し、勝ちを狙っていくにはどう動いたら良いのか。まず、いつも通りにしか出来ないことを受け入れる。そして、”普段”の回答のクオリティを上げ、平均点を1点でも上げていく。現段階ではそれしか方法が見つからない。いつも通りにしか出来ないということは、普段が強くなれば、それがいかなる時でも発揮出来るということ。良く言えば”ブレない”こと。今自分は、己の個性を武器にするか弱点にするか、その岐路に立たされている。

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