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「ごめんなさい」の価値

学校のクラスメイトに、すぐ「ごめんね!」と言う子がいた。
幼心に、それは謝る場面じゃないんじゃ…と思いつつ、どう返すのがいいのかわからなくて、適当に受け流していた。

最近、メールベースの在宅ワークが続き、「申し訳ございません」を多用する人が一部いるということに気がついた。
チャットベースの会社や、外資系だとあまりない光景だと思うのだけど、日系企業ならではの「気遣い」の文化がそうさせてるのかもしれない。

私の思う「ごめんなさい」を使う場面は、それによって相手が迷惑を被ったり、不快な思いをしたりする場面かな、と思っている。
不快や迷惑を感じる度合いは人によって異なるため、自分自身が仮に同じ立場では何も感じないであろう場面でも、「念のため」謝っておくのがマナー、というのは気遣いの文化あふれる日本ならではの素敵なところなのかもしれない。
でも、多用しすぎるとどうなるだろう。

「ご迷惑をおかけし申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。」

私はこの、よくあるメールの一文を読んだとき、違和感と若干のネガティブな感情をおぼえた。その前文には、定例業務をお願いするリマインドの内容が記されていたからだ。

定例業務は、その仕事に従事している人なら当たり前に行うべき仕事であり、突発的なトラブル対応ではない。とてつもない困難を引き出すことでもなければ、「これをやるのは嫌だな」と思わせるほどのつらい労働の類でもない。(ように見える)
それほどの業務に対して「申し訳ございません」と言ってしまうのは、謝罪の言葉の乱用ではないのか。かえって謝罪の言葉を軽くさせてしまい、本当に謝りたい時に使っても謝罪の意図を感じ取ってもらいにくくなってしまうのではないか、と私は思っている。

また、もっと突っ込んだ見方をすれば、「とりあえず謝罪の言葉を使っておけば許されるだろう」といった、定型文を使うことへの「甘え」も感じられる。
ひとのコミュニケーション力の高さは語彙力の高さ=バリエーションの豊富さ、によるものだと思っているので、このような「使うのに慎重になるべき言葉」をテンプレ化して使い回すことにはちょっと抵抗がある。

もしかしたら、送っている本人にとってはすでに、「お疲れ様です」「よろしくお願いします」のように、「申し訳ございません」という言葉はテンプレ化していて重みを持っていないのかもしれない。じゃあ本当に相手に迷惑をかけるような何かがあった時にはどうやって謝罪の意を表しているんだろう。
なんて考えながら、「謝る」ことのハードルが逆に自分は高いのか?などと、自己反省をするきっかけにもなったりして。

みなさんはどう思いますか?

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