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ゆきおんな 第3話
ゆ き お ん な 3
北川 陽一郎
2
19歳になった冬のことである。
大学生になって一人で行動できる権利が増えたように感じた私は、かねてより計画していたことを実行に移そうとしていた。
羽衣高原へ行こうと思っていたのだ。
スキーは9歳のあのとき以来行ったことが無かった。
祖父母はスキーなどには縁が無かった。医師であるが故に患者に対する責任感は強く、自由な時間もそれほどにはない人たちだったように思う。少なくとも父のような自由さは感じたことがない。家族旅行もほとんどしない家庭だった。
行きたくてもなかなか行けなかったのだ。
大学に入るまでは一人でも友達とでも旅行に行くことが難しかった。特に私の場合はやはり遠慮してしまう。
アパートを借りてからしばらくして、私は車の免許を取るために自動車学校へ通い始めた。
祖父母の家はわりと近かったのでよく顔を出していた。それでも地下鉄に乗って2つめの駅になる。歩けば30分くらいはかかる。
2人の健康状態は悪くはなかったがそれでも次第にお年寄りになってきて、私も気になっていたので様子を見に行っていたのだ。
しかしやはり医師であり、知識も豊富でゆるぎなく頭脳は明晰だった。
「どうだ、五条、学校の方は」
祖父は見るたびに頭の毛が薄くなっていくような気がしていた。
おでんとアジの開きの遅い夕食をご馳走になりながら私は答えた。
「ええ、楽しくやっています。本当にお爺ちゃんとお婆ちゃんのおかげです。ありがとうございました」
頭を下げると、
「何いってるのよ。そんな他人行儀な。真千子が残してくれた大切な孫なのよ」
それは祖母の本心だと思う。それは祖父も同じだったろう。
「今、免許取ってますから、取れたら中古車でも買ってもっと顔出しますから」
「ほお、そうか」
「そうなると便利よね」
「免許取ったら車がいるな」
「なんとかなります」
アパートの敷金から引越し代金のために貯めたお金がそのまま残っていたので、私はそれでポンコツの1台も買おうと思っていたのだった。支払総額が15万円くらいの軽自動車を探そうと思っていた。
「無理せん方がええぞ。金は残しとけ」
「家の車に乗ればいいよ」
祖父母の家には車は一台しかなかったはずだ。その車は祖父が運転している。クラウンだったはずだ。最初に乗るには立派過ぎる。
「あの車はまだわしが乗ってるからな。そうだ、お前に一台車をプレゼントしよう」
と祖母に続いて祖父がいう。
「とんでもありません。そんなにご迷惑はかけられません」
「遠慮するな。五条はわしらの子なんだから」
ありがたい言葉だった。
「でもお世話になりっぱなしで、その上車まで……」
「なーにいっとるんだ。金の使い道に困っとるわい。そのかわり中古だぞ。最初は必ずぶつけるからな」
「あなた、そんな縁起の悪いことを」
「いやいやぶつけるって言うのは自分で勝手に車の横を擦ったりするということで事故のことじゃない。必ずボディを傷つけるんだ。わしなんか免許取りたての頃は何度もコツコツぶつけて傷だらけだったからな」
「そうですか。はいはい」
と祖母は返事をした。祖母の方が年を取っても頭脳は明晰のように感じた。
「わしらもこの年になってもう一度子育ての楽しみを味わわせてもらったからな」
中古でもなんでも自分で買うよりは数段良い車になるだろうと私は思った。
一人息子さんもあまり来ないためか、余計に私のことを気にかけてくれていたのだろうと思う。それに金銭的には余裕のある家庭であったこともあるのだろう。
「もう、この人も半分ボケ気味だから運転は危ないわ」
「まだまだボケとらんて」
そういわれて余裕があるようにも見えるのは、まだ本当はしっかりしているからだろう。今でも祖父は院長であるのだから。
結局、私は祖父母に車を一台もらうことになった。とてもありがたいことだった。
自動車学校に通った私は、およそ1ヵ月後に運転免許証を取得した。
免許が取れた報告に祖父母の家へ行くと、すでに車は用意されていた。実は10日ほど前に一緒に中古車を見に行っていたのだ。一昨日届いたという。
「もうお前のもんだ。自由に乗りなさい」
車が3台ほど入るガレージにはクラウンと並んでカローラ・フィールダーという1600ccの白い車があった。特にどこか傷がついているということもないきれいな車だった。走行距離も12000キロくらいでフル装備されていた。最初に乗るには十分すぎる車だった。
「乗ってみたが快適だ。調子はいいから安心して乗りなさい」
私にとっては随分立派な車に思えていた。何しろ私は総額15万円以下で買えるポンコツの軽自動車を買おうと思っていたので、夢のような車に見える。
それにこの車ならライトバンのような形をしているので荷物もかなり積むことが出来る。スキーでも困ることはない。
名古屋に近い一番魅力的なゲレンデはどこかといえば、やっぱり羽衣高原だったのだろう。父は私を連れて行くスキーにだけは、けっこう贅沢にお金を使っていたようだった。
私はもう一度、あの私の幼い頃の体験が本当だったのかどうか、確かめたい気持ちに駆られていた。
あの場所は本当にあるのだろうか。
そしてあの女は本当にあそこにいたのだろうか。
私がかすかに覚えているのは、あの場所が確かに羽衣高原だったということだけだった。
それ以上の記憶はほとんど無いけれど、行けばかなりの部分まで思い出せるだろう。
今ある記憶の中で最も引っかかっているのが、ほとんど吹雪に近い雪の中に埋もれたロープの両端だった。そのロープが垂れ下がっている光景は覚えている。
リフトが止まる寸前だった。強い風が吹くとリフトは外れる危険があるため、運転を見合わせるようになる。
どこかのリフトを降りて、その近くにあの入り口はあったように思う。
とにかく行ってみようと私は思っていた。
スキー板を持っていなかった私は、出費が抑えられた分を新しいスキー用具購入に回した。本当は中古でもいいから買おうと思って新聞のチラシを見たり、スポーツ用品売り場を探していたのだ。
色々調べたら有名なスポーツ用品専門店のアルプスドッグが一番安かった。新品の板と靴を止めるビンディング、ブーツ、ストックの4点セットが7980円と破格だった。去年の在庫らしかったがそんなことはどうでもいい。
ブランド物のスキー板など下手に買って名前負けしているなどといわれたくは無い。
スキーは私も10年ぶりなのだ。
村岡五条という名前は格好よく聞こえるらしく、子供の頃から名前負けしているとよくいわれ続けて来た。だから私はいわゆる格好よく見せることは好きになれなかった。
ただし、スキーウェアだけは気に入ったものを買った。上下のセットでこれも8980円で買えた。
ウェアは意外に高いのに驚いたが、下が黒で上は黒と白の縞模様が入っていた。
そもそもスマートな上下のセットというものが私は好きではない。できるだけダサく見える服にしたかった。ダサい格好でスキーの達人なんて逆に格好いいではないか。
私は記憶の中にある羽衣高原の天人高原スキー場の天人高原ホテルへ電話を入れて、1週間の宿泊を申し込んだ。
少しはスキーをして楽しんで来よう。
本当はガールフレンドでもいれば一緒に行きたいところだったが、学校以外のほとんどをアルバイトに精を出していた私にはそのような機会さえ失われていた。
親戚の家に厄介になっているという負い目は、私をかなり引っ込み思案にしていたのかもしれない。それはアパートを借りて一人住まいを始めてもなかなか抜け切れなかった。思いとは裏腹に、ガールフレンドさえ遠ざけてしまっていたのだ。
3
12月21日、大学が休みになってからすぐに私は朝早く出発した。
東名名古屋インターから中央道へ入る。中央道は高速道路にしてはかなりカーブの多い道だった。しかし道は美しく走りやすい。岡谷ジャンクションから長野道へ入って上信越道へ入る。走ってみるとかなりの距離になる。
私はあの日以来スキーはやっていない。10年ぶりだった。
しかし子供の頃中級コースくらいは平気で滑ることができたのだ。上級コースもうまくはないにしても滑っていたから、今でもすぐにそのスキーのカンは戻るだろうと思った。
10年前のあの日のでき事は、今では遠いはるかな昔の夢の世界のように思えた。そう、あれは夢なのだ。夢に違いない。子供が作り替えてしまった想像なのだ。
かと思えば、あの真っ白な美しい女はありありと私の脳裏に刻まれていて、まるで昨日のことのようにも感じられる。
妖しくも美しい女性という強烈な思いはあったが、ではどんな顔なのかといわれるとこれがまったく思い出せなかった。
雪女。
私は今はその白い女のことをそう呼んでいた。
あの小屋の中での出来事だけはよく覚えていた。
あの雪女が父親の顔につくほど屈み込んだあと、息を吹きかけると父はたちまち凍りついたように見えた。
そのあと雪女は、動けないでいる私の顔を同じように覗き込んで、そしてにっこりと笑った。
きれいだと思った。
そのときだけ、私はなぜか優しさを感じた。
その美しさと優しさが、私の心から恐怖感を取り除いたのだ。
あれが本当のことだとしたら、雪女は私を殺さなかったばかりではなく、私の命そのものを助けてくれたことになる。
あの火の消えた小屋の中で一晩私は眠っていた。
雪女は子供だった私を眠らせて、あの山奥の光さえ届かない小屋の中で、ずっと一緒にいて私を守っていたのではないだろうか。
大人になった私はそう考えることもあった。
部屋の中を暖かくして、私を朝まで眠らせ、私を暖かく包み込んで守っていてくれたのではないのだろうか。
雪女は私を助けるというあの約束を、確かに守ったのだ。
だが、同時に私は、今は少なくとも大学の工学部に学んでいる。出来は良くないかもしれないが、科学者の卵のつもりだった。
どこからどのよう考えても、雪女などいるはずがない。あんな出来事があるはずがない。
山小屋の中で子供が体験した入眠幻覚にすぎない。あれはすべて幻想の世界だ。
私が滑ったあの場所はどこだったのか。
私はそれだけはどうしても思い出せなかった。
そもそもあんな場所さえ本当にあったのだろうかとさえ今では思える。
相反する思いがいくつも交差しているのだ。
父のあとを必死について滑っていただけで、いつしかあの不可思議な小屋のある空間へとさまよいこんでいた。
あれはどこだったのだろう。
私は今度のスキー旅行であの場所をどうしても探したいと思っていた。
もし存在するのならば。
そして、あの私には優しかった不思議な女性に会いたかった。
例えそれがこの世のものでないにしても、私は会いたいと思っていた。
会ってどうしようというのではない。
ただ会いたかった。
彼女が私を見て微笑んだときの、あんな優しさを私は今までの人生の中で一度も感じたことはない。
私の母もあんな笑顔だったのだろうか。
そんなことをふと思うこともあった。
私は9歳のあのときから、ずっともう一度あの雪女に会いたいと思っていたのだと思う。
雪女に恋していた?
まさか。
そんなはずはない。
父親を何の躊躇も無く殺したのではないかと思えるような、人智を超えた化け物だ。
そんな化け物に恋などするはずが無い。
じゃあ、なぜそんなに会いたいのか。
もし会ったらどうするのだ?
会えばあのときの父親のように今度こそは殺されてしまうのではないか。今はもう私も子供ではない。雪女も私を殺すことに何の躊躇もしないだろう。父を殺したときのように。
しかしそのような恐怖感は私には無かった。
私が覚えている雪女との約束は「このことを誰にも話すな」ということである。
私はその約束は守り続けてきた。
「お前の心はとても純粋で美しい。その心を決して失うんじゃないよ、いいね」
あのまっ白な女が子供の時の私にいった言葉通り、私は子供の時ほどではないにしてもその心は失っていないつもりだった。
考えてみれば、私は今までただの一度もあの雪女に対して恐怖感を抱いたことは無かった。
そう、あのときでさえも。
それは子供心にも、あのときに見た雪女があまりにも美しく、そして優しく感じたからではないのだろうか。
その思いは今も昔も変わらなかった。
私は実際には雪女に助けられたのだ。
あの巳之吉のように。
巳之吉は、ひょっとして私が見たあの雪女のことを語り伝えたのではないのだろうか。
まさか。
と私は思う。
まさかそんなことを本気で考えているんじゃないだろうな。
21世紀のこの世の中に雪女だなんて。
あれは極限状況の中で見た幻だ。夢の世界だ。
そういえば山ではそんな幻覚に襲われることがよくあるとも聞いた。
遭難してからくも生還した人たちの中には、そのときに見た不可思議な体験を物語る人たちだって少なからずいる。
きっと巳之吉が伝えた雪女の話もそのレベルのものだ。
雪女などがいるはずが無い。
私の胸には矛盾するいくつもの思いが渦巻いていた。寄せてはまた遠のき、再び押し寄せる。波紋の重なりのようだった。
天人高原ホテルは6階建ての横幅のある大きな白亜のホテルだ。このホテルは何となく記憶に残っていた。
ホテルの前には広大なゲレンデが広がっている。天人高原スキー場だった。
すでに夕刻に近かったがまだ光はあるので、たくさんのスキー客がゲレンデにいた。このスキー場は下の方だけナイター施設もあって、夜は光の中に幻想的な雪景色が浮かび上がる。
天人高原スキー場の向かい側には西立山スキー場があった。昔のままのように見えた。
天人高原ホテルは西立山スキー場の側に建っていて、天人高原スキー場を正面に見渡せる位置にあった。蘇える記憶が少しずつ増えてきていた。
さすがにこのあたりになると車道にも雪が少し残っているが、スキー板で滑るのは難しい。しかし天人高原スキー場のゲレンデから西立山スキー場のゲレンデまで、スキーを履いたままそっと横断している人はいた。シャーベット状に溶けた雪が残っているからだ。
私はホテルの地下にある駐車場に車を止めると、荷物を持ってフロントへ向かった。
入り口の脇に羽衣高原にあるスキー場各地の降雪量が出ていた。天人高原スキー場積雪2メートル20センチ。西立山天人高原側スキー場積雪1メートル90センチ。西立山の反対側へ広がる西立山初級中級コース積雪2メートル20センチ。その他いくつかの情報が出ていた。
9歳の頃に父と泊まったときの記憶がほんの少し蘇えった。
モダンな広いロビーだったが、9歳の頃の記憶ではもっと広大なロビーの印象があった。遊戯施設や売店、喫茶など開いているのが見えた。
部屋へ入ると私はフロントでもらった羽衣高原スキー場マップを開いた。
自宅にいるときに雑誌やパンフレットなどで羽衣高原全体の地図は見ていたが、改めてこうして見てみると相当な広さがある。さすがに日本有数のスキー場だった。
「とりあえず」
と私は席を立った。
「とりあえず飯でも食ってくるか」
途中のドライブインなどでのんびり食事をしたりコーヒーを飲んだりしていたこともあって、すでに夕食の時間が来ていた。
私は食事を取るために4階へ向かった。部屋の中で食事を取るようにはなっていない。宿泊者が朝晩の食事を取るための大食堂が4階にあるのだ。
私は地図を持って部屋を出た。
羽衣高原は数十のゲレンデに張り巡らされた100以上のリフトとゴンドラがある。スキー板一枚あればそのほとんどすべてのスキー場を回ることができるようになっている。深く長い谷を渡るためのロープウェイもある。
しかしいくら地図を眺めても、あの時どこをどう滑ったのかは思い出せなかった。
10年前と今とではスキー場の有様も変わっているのだろうかと思ったが、今も64箇所くらいのゲレンデ施設となっている。目に見えるほど変わっていることはないだろう。
子供の頃、父親とたくさん滑り回った記憶はあったが、これほどたくさんあるとは思わなかった。1日や2日ではとても全部を回りきれない。
記憶の中にはこの「天人高原スキー場」のほかには「羽衣ジャイアントスキー場」とか「碧い平」「奥羽衣高原スキー場」や「一の松」という言葉などが残っていた。
だが、あの小屋のあった場所は、少なくともこの天人高原スキー場の近辺ではないことは、今日来て見てすぐに分かった。
羽衣ジャイアントスキー場とか碧い平のあたりまで行けば何か分かるかもしれない。
私は食事の後、フロントへ寄って尋ねてみた。フロントにいたのは24、5才の長身の男だった。雪焼けでゴーグルのあとが顔に出ていた。
「羽衣高原スキー場の中で立ち入り禁止になっているような場所はありませんか?」
「立ち入り禁止区域は結構あちこちにありますよ」
「間違って滑って行くと行き止まりになってしまうような場所とか」
「立ち入り禁止区域はみな行き止まりになるような場所ばかりですよ。そんなところに何か御用でも?」
いぶかしい顔を見て私は迷った。少なくとも雪女の話はできない。
「いえ、そんなところへ間違って行っては危険だし。長い距離を降りたら行き止まりだった、なんてことになったら大変だし」
「ああ、そうですね。でもそういう場所はみなロープが張ってあって入れないようになってますからご安心下さい。立ち入り禁止の札も立っています。少なくともこの天人高原や西立山、お隣の一の松あたりにはそんなところはありません。相生山とか神城山あたりには裏手にありますけどね」
相生山と神城山は何となくどこかで聞いているように感じた。
「その山はどこにあるんですか?」
「相生山はジャイアントの裏ですよ」
右手の指を天人高原スキー場の右側へ出しながら男は返事をした。続けて、
「神城山は奥羽衣の方です」
と今度は左の方へ指をやった。
「羽衣高原に幽霊が出るって話のところはありませんか?」
「これですか?」
とフロントの男は両手をだらっと下げて幽霊の真似をした。
「それそれ。雪山の怪談て面白そうだし」
「雪山は怪談が多いですよ。単なる噂が大きくなったりしていることもありますがね」
「どんな怪談ですか?」
「例えば、すぐ隣の西立山スキー場ですが、リフトを動かす人は朝早いので、このゲレンデのてっぺんにある小屋に2人必ず泊まりこんでるんですよ。そこにこの反対側へ降りる長いリフトがありますよね」
「ああ、はい」
よくは覚えていないが返事をしておいた。フロントの男は客が来ていないせいもあってか饒舌になった。
「あのリフトは800メートル近くあるんです。昔はあの長いリフト、7分半くらいかかっていたんですよ」
昔は一人乗りのリフトだったものが今ではフーディックワッドになって、同じ距離を3分少しで登ってしまうらしい。フーディックワッドというのは4人乗りのリフトになっている。
「あのスキー場の麓のリフト乗り場に100人くらい入れる食堂がありますよね。昔はもっと山小屋って感じの食堂でした。あそこの2階には冬になると季節労働者の方とかアルバイトの人なんかが、昔もたくさん泊まってたんです。食堂で働く人とリフト係とか雪出しなんかする人たちです」
「その人たちが何か見たんですか?」
「ええ、そこでアルバイトをしていた都会もんの大学生の中に、リフト索道主任と仲良くなった人がいて、仕事が終わってから山頂のその小屋で3人飲んでいたらしいんですよ。索道責任者ともう一人が翌朝リフトを動かすために常に山頂の小屋に泊まりこんでいたんです。そこで食事をしながら3人で一升瓶2本とビール何本か飲んだそうです」
「そりゃ凄いですね」
大して酒を飲まない私は心底驚いた。
「で、時間も深夜になってそのアルバイトの人が、寝泊りしている麓の小屋までゲレンデを歩いて降りていこうと思っていたらしいんです」
「深夜のゲレンデって怖そうですね」
「怖いですよ。音も無くてたった一人で周囲は山ですからね。雪の反射は明るいんですけど、外灯なんかもあるはずがないし。ゲレンデを歩いて20分くらいかかると思います」
「考えただけでちょっと怖いなあ。深夜に一人ってのは」
「ですよね。あそこのリフトは実は幽霊が出るっていう噂のある森の上も通りますし、一番高いところだと30メートル以上あるんです、あのリフト。そのリフトに乗って行けって、わざわざ動かしてくれたらしいんですよ。下へ着いたら非常ボタンで止めればいいからと」
昼間ならともかく、深夜に雪山のリフトにたった一人で7分半も乗る怖さがすぐに伝わってきた。おまけに幽霊が出るという噂のある森の上を通過して行くと聞いては、私なら乗れない。
「で、その人はかなり酒に酔っていたのでご機嫌だったらしんですが、途中でリフトの下から乗って来る人に気が付いたらしいんですよ」
「下から人が乗って来たの?」
「深夜12時過ぎですよ。誰が乗って来るんですか?」
「………………」
「その人は相当飲んでいた酒のせいもあって、歌を歌いながら特に気にならなかったらしく、擦れ違うときにもご機嫌で、今晩は、といったらしいんですが、相手は無言のままうつむいて過ぎて行ったというんです。
それでその人は、下へ着いて非常ボタンを押そうとして上を見たら誰もいない。で、そのとき気がついたんです。こんな時間に誰も乗るはずが無いって」
しかし、この話は翌年もアルバイトに来た学生本人が幽霊を見たことを否定したという。
「あんなときに誰かが下から乗って来たら怖いだろうな」
といったのが、いつの間にか「誰かが乗って来た」という話にすり変わってしまったというのだ。
「幽霊話ってこんな程度のことですよ」
と彼はいった。尾ひれが付く程度で済まないのが噂話だということだった。話はそのうちどんどん変化して、10人目にはまったく逆の話になっているのが噂話だ、と彼はいった。
礼をいって立ち去ろうとしたとき、
「あ、そういえば」
と彼は私を呼び止めた。
「まだ何かあるんですか?」
「いえ、幽霊とは違うんですけどね、子供の頃に聞いたんですが、変な死体が発見されたと騒がれたことがありました」
「変な死体」
「ええ、ミイラみたいな死体が小屋の中で発見されてかなり噂が立ちましたよ。子供の頃だったんでよく覚えていないんですが、子供が一人その小屋の中にいて。そういえば助けを呼びに来たはずの女の人がどこにもいなかったとかなんとか……。まあ、でも雪山のこういう話ってさっきと同じようにかなり尾ひれが付いて出回っていますからね」
その場所はどこだったか記憶にはないという。
私は部屋へ戻ることにした。戻ると私は冷蔵庫からコーラを取り出して、そのままグラスに注がずに一気に半分ほどを飲んだ。そして地図で調べてみた。
相生山は地図でいえば羽衣ジャイアントスキー場の上の方にあった。羽衣ジャイアントスキー場からリフトで登れば頂上まで行けるようになっている。
その向こう側にはゲレンデもリフトも無いようだった。
そこかも知れない。そのときの私にはまだあの現場がどこだったのかまでは思い出せていなかったのだ。
神城山は一の松スキー場から奥羽衣高原へ行ったところにあった。これも地図で見るとたくさんある奥羽衣高原スキー場の上になる。奥羽衣高原にある雪沢山の隣に神城山があったが、その峰はわずかな高低で繋がっているように見えた。
神城山はかなり遠い。地図を見ると、奥羽衣行きのバスが出ている。車で行けばすぐだが、奥羽衣高原までは一の松スキー場からでも滑って行くことができる。
その一の松までは天人高原スキー場から横に伸びるコースを滑って行けるようになっている。奥羽衣まではスキー板一枚とリフトで行くことができる。
そういえば昔父にもそんな話を聞いたように思う。
羽衣高原はスキー板一枚あれば60以上あるほとんどのゲレンデへ行けるぞ。そんなことをいっていたのを思い出した。
あのフロントの人の話では、まだほかにも立ち入り禁止区域が設定されている場所はあるようだった。
しかし、とりあえずこの2箇所を優先しよう。
4
翌日は朝から快晴だった。
日の光に輝く雪の反射は目にまぶしく、ところどころ銀の流砂のように光り輝いて見えた。
白銀というのは都会の夏の日差しよりもずっと紫外線が強いらしい。裸眼では目を傷めると聞いていた。私はゴーグルではなく色の濃いサングラスをはめた。
リフト1日券を購入して天人高原スキー場へ入った。この券一枚で羽衣高原スキー場のリフトはどれにでも乗ることができる。ゴンドラやロープウェイだけ別料金が必要になる。
10年ぶりにスキー板を履いた私は、まず雪と靴、それから板に慣れる為に、一番下の初級コースである緩やかな斜面でしばらくの間スキー勘を戻してみた。
1時間ほどなだらかな斜面で滑ってから、私は天人高原スキー場の一番上までリフトで上がってみた。
上の方3分の1ほどがかなりの斜面になっていたが、子供のころに私が見た上級コースの斜面と比べると緩やかに思えた。初級から中級コースあたりによく見られる雪のこぶも、子供の頃には小山のように巨大なこぶに見えていたが、今はそれほどには感じなかった。
エッジを雪面にあてて急ブレーキをかけられるようになるまで時間はかからなかった。
「体で覚えたことは忘れないものだな」
と私はつぶやいていた。
この1週間の間に、あの場所を何とか探してみたい。
この天人高原スキー場の向かい側にある西立山スキー場の裏手には、3つのコースがある。
私の記憶の中にあるあの場所は、その西立山スキー場の初級から中級とされている、曲がりくねった長く細いコースに似ていた。
父親と見たとき、西立山の上級コースは、まるで直角に落ちているのではないかと思えるような凄い角度だった。斜度は38度あり、転んだらそのまま下まで滑って行くしかないような場所だった。そこだけは怖くて滑ったことはない。だんだん思い出せることが増えてきていた。
羽衣高原のほとんどの初級から中級コースは、9歳の私も父と一緒によく滑っていたはずだった。
今日一日スキーを慣らして明日には探しに行って見よう。
私は天人高原から一の松ファミリースキー場へ入り、一の松にあるいくつかのゲレンデを滑った。道路を隔ててファミリースキー場の向かい側にあるのが一の松ダイヤモンドスキー場だ。どちらも天人高原スキー場に匹敵する広大なゲレンデとなっている。
一の松は若い女性に人気で、女の子がたくさんいると父はいっていた。そのことだけはなぜか鮮明な記憶となって蘇ってきた。
実際カラフルなたくさんの女性のスキーウェアは、どれを見ても可愛く見えていた。
スキー板とリフトで、とりあえずほとんど滑ることができるまで勘は戻った。あの道でも遭難することは無いだろう。
翌日はやや曇っていた。
私はまず近い方の相生山から調べてみようと思っていた。
朝一番でまず足慣らしに天人高原スキー場の一番上から滑って、そのままその向かい側にある西立山スキー場へ入った。4人乗りの短いリフトに乗って頂上へ登る。
そこから西立山の初級から中級といわれるコースを滑った。あの道はそういえば本当にこんな風に入り口は広くて、途中左へカーブしていた。その場所あたりから次第に道が細くなって、変化に富んだ曲がりくねったコースになっていた。
「あのコースが立ち入り禁止になっていなければこのコースと間違えてしまうかもな」
一番下まで滑り降りた私は独り言をいっていた。このコースも1.5キロくらいありそうだった。
そのあとリフトで頂上まで戻った私は、今度は中級コースを滑ってみた。ここもスキー大会でも使われたことがある変化に富んだコースだった。
この山には、どこにも立ち入り禁止のロープが張られているようなところは無い。
西立山裏側のコースは滑り降りる場所が3か所あるが、そのどこから降りて行っても同じ場所へ出る。この場所のイメージがあったがため、父は10年前のあの日、同じようにどこから行っても同じ場所へ出ると思ったのではないのだろうか。
西立山のコースでは滑り降りた先には、谷あいに大きな山小屋のようなレストハウスがある。これが一昨日フロントの人に聞いた食堂兼従業員の宿泊所なのだろう。2階が従業員の宿泊所で、1階はスキー客のための食堂になっている。リフト乗り場はその少し前にあった。
レストハウスの前を過ぎてそのまま滑って行くと、細く急な道がある。
さらに短い急な坂を下って行くと、初心者に人気の広大で緩やかな斜面の碧い平スキー場が見えてくる。緩斜面の広大なゲレンデは、初心者や子供連れには最高のスキー施設となっている。
碧い平スキー場を少し過ぎて右へ行けば、全面が上級コースという羽衣ジャイアントスキー場がある。
私はまずリフトで登ってみた。
ここが有名なジャイアントか。さすがにオール上級のでかいゲレンデだな、と思った。
リフトを降りると凄いこぶがたくさんできた急な斜面が眼下に広がっている。下から見るよりはるかに急なコースで、しかも幅が広かった。
私は一度斜面を滑り降りた。羽衣高原のほとんどのゲレンデを父と一緒に回ったことを思い出した。
「いいか、五条、こぶだらけのところを滑るときはこぶを利用して降りるんだ」
父はそういってこぶの山から滑るとその勢いのまま次のこぶの側面を利用し、また滑り降りた。本当にそれが一番いい方法なのか今でも私には分からない。こぶの下の方の斜面を利用して滑った方が初心者には滑りやすいように思うし、こぶの山から山へ滑るのはダイナミックでスリルがありすぎる。
ここも、もちろん来た記憶がある。
こんな斜面も滑った。同じ上級コースでも西立山の上級コースと比べるとここなら何とか滑ることができる。
「このあたりかもしれん。相生山か」
颯爽とかっこよく滑ることができるほどではないが、まあ何とか転ばずに滑ることができる。
天気があまり良くなくて、どんよりとしている。
昨日は快晴だったが、晴れていると雪山でも暖かく感じる。晴れていれば雪の上にごろんと寝転がることができるほど暖かく感じる。それでも雪があっさり溶け去ってしまうということは無いが、そんな日は一日に10センチ以上の雪が溶けるともいう。
曇っていても寒くはない。今のスキーウェアは、スキー場にいても寒く感じることはほとんどなかった。それに今の靴は昔の靴と違い、履いていて寒さで足が痛くなるということはなかった。
スキー場にあるレストハウスや食堂などでは、初めは出入り口から下へ降りていた階段が、雪が降り積もって次第に上へ登るようになるというから1メートル以上から2メートルくらいの積雪があるのだろう。雪かきをしなければ埋もれてしまうだろう。
私は一番下まで降りると、レストハウスの前でスキー板を外して雪に差し込んで立てかけた。
トイレに寄りたかった。
そのままレストハウスで暖かいコーヒーを飲んだ。
たくさんのスキー客がいた。男も女もスキーウェアはみなカラフルで、女性はみな魅力的に見えた。男でさえ誰でもかっこよく感じる。
今度来るときは是非ともきれいな彼女と来たいもんだな。ぼくだって見かけは悪くない。
と私は思った。
コーヒーの香りに混じって甘い小豆の匂いが漂って来る。
見ると隣のカップルがお汁粉を食べていた。おいしい!という笑顔の女性がとても可愛く見えた。湯気がゆらゆら漂っている。
隣だけではなく、多くのお客さんがお汁粉を食べていた。
そういえば9歳のあのとき、お汁粉を見たらどうしても食べたくなって、父親に「食べたい」といった記憶が蘇ってきた。
ここだったのかな。
と思ってみる。
「スキー場ではなぜか分からんが、みんなよくお汁粉を食べるらしい。温かいし甘くてうまいからな」
といっていた父親の姿が目の前に見えるようだった。
私は席を立つとお汁粉の券を買い求めた。
この近くだったかもしれないな、と私はまた思った。
あの不可思議な女はまだいるのだろうか。もし出会ってしまったら、どうなるのだろう。私は何を探しに行くのだろう。
「ゆきおんな」4へ続く 全11回
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