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サンタの悩み

正直さとは?

子どもの頃、「嘘をついたらダメだよ」と両親から言われたことがあります。
私も自分の子どもにも言ったことがあります。

この『嘘をつかない』ということをヨガ哲学では、『サティヤ』と言います。
『思考と言葉に一貫性を持つこと』が大切と考えられています。

そこで、『嘘をつかない』=『正直である』は成り立つ?
を考えてみました。

自分の言動を思い返してみると、私は基本的に思ったことしか口にしないです。
駆け引きできないタイプ。
かと言って、嘘をついたことがないか?と言われると、そんなことはない。
それじゃ、思ったことは何でも口に出すの?と聞かれると、マイナスなことほど言えなくなる。

そんな私タイプの人、多いのではないかと思うのだけど、どうだろう?

結局、嘘をつくし、正直でないということ?

私が嘘をつく場面で、すぐに思い当たるのが、クリスマス。
子どもたちにサンタクロースの存在を信じてもらえるように、あれこれ頑張ってきました。この段階ではまだ大丈夫だったのですが…

純真な心で信じていてくれた子どもたちも、徐々に、
「本当にサンタさんっているの?」「パパとママがサンタさんじゃないの?」
という疑念を抱くようになり、
「ママは、サンタさんいてくれると信じてるよ」「ママじゃないよ!信じてる子のところにしかサンタさん来ないんだって」
などと答えながら、子どもに「嘘をついたらダメだよ」と自分が言ってるのにな、という罪悪感も同時に湧いてきます。

正直でない場面としては、口にすることで相手を傷つけてしまうかも?と思うと言えなくなることが多いです。自分の中に溜め込んでモヤモヤしてしまうこともあります…

『アヒムサ』+『サティヤ』

前回考察してみた『アヒムサ』

『アヒムサ』は、「傷つけない」「非暴力」という意味でした。そこに、『サティヤ』の「嘘をつかない」を掛け合わせて考えてみようと思います。

もし、正直に思ったことをそのまま伝えることで、誰かを傷つけてしまうのであれば、『アヒムサ』ができていないことになります。

どちらも成立させようとしたら?

大切なことは、「相手にとって役立つことなのかどうか?」ということだと思います。
不必要なことだと感じるならば、口を慎んだ方が良い、ということです。
ただ、言わないことでモヤモヤしてしまい、自分を傷つけてしまうことであれば、相手を思いやりながら伝えることで、相手の気付きに繋がることもあるだろうと思います。

サンタさんの話に戻してみると、まず前提として、嘘は良くないですね。ただ、この世界的な?システムにもし最初から乗れなかったら?子どもたちも残念に感じるのかな?とも思います。すごく『夢のあるイベント』なのに、大人が子どもに『嘘をつくイベント』とも言えるんですよね。発想がひねくれていたらごめんなさい。。

もし、ヨガ哲学を遂行しながら、クリスマスを過ごそうとしたら、何が正解なのだろう?
そもそも、インドのヨガ哲学と、西洋のクリスマスを同時に行おうとすることに無理がありそうですが。

親になって思うことは、
○子どもたちがサンタさんを信じている姿を見ると、こちらが幸せな気持ちになる。
○子どもたちに純粋さを忘れて欲しくない。
○サンタさんのためにおやつや飲み物を準備する優しさを見ると嬉しくなる。
○ワクワクして寝付けなかったり、朝いつもより早起きして楽しみにしている姿がかわいい。
など、親目線での目的もあるんですよね。

だから、今の私の解決策としては、子どもが本当に気付いたときに、『これまでの嘘を謝る』そして、『どうして嘘をついたのか、説明する』
これしかない気がします。

ヨガ哲学が横にそれ過ぎてしまいましたが…

●誰かを陥れようとしたり、騙したりするための嘘はダメ
●思ったことを全て口にすることは違う
●「気が進まない誘いを断れない」などは、思考と言葉に矛盾が生じてしまう
●「心身が辛いときに平気なふりをする」なども、自分に嘘をついていることになる

できるだけ自分に誠実に、『心の中を曇らせない』ことが大切だと思います。
自分が発する言葉を最初に耳にするのは自分ですもんね。
『言霊』という言葉がありますが、できるだけ心の中がクリアで矛盾を感じない言葉を選び取りたいですね。

「嘘はつかないようにしたい」且つ、「正直でありたい」ですが、全てを正直に口にするのは違うので、
『嘘をつかない』=『正直である』とは限らない
という結論に達しました。

コミュニケーションツールとしての言葉を自分と周りの人たちの幸せのために活かしていけるよう、日常からヨガ哲学を意識して過ごしていきたいです。

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