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受動的に自己を開く13

11/21
11時基町着。今日は前期の展示最終日だ。M98へ。後期の展示で使えそうな木材などの資材を確認。

コアに向かう。いつもの場所でおばちゃんが編み物をしていた。今日は立って編み物をしている。ピンクと白の毛糸でマフラーを編んでいる。2色の毛糸を混ぜて1つの玉にしたと言っていた。ちょうどコアがオープンした時間だったので、今日で展示最後だし来てみるか聞くと一緒についてきてくれた。椅子に腰掛けて映像を見てくれたが、最初の2分くらい見たところで、「もうええ」と言って帰っていった。ちょうど退屈なシーンだったこともあり、そりゃそうだよねと思った。おばちゃんをお見送り。コアの前に戻るとちょうど小さい女の子が中の様子を外から覗いていた。「中に入っていいよ」と声をかけると、「いい」と言っていたが、気になる様子。中国語を話せるか聞いてみたら「話せるよ」といって西红柿(シーホンスー:トマトという意味)と教えてくれた。コアの前の中国料理の店にいたから、もしかしてと思い中国語のことを聞いてみたが、やっぱり中国の子のようだ。「今、中国語の映像を中でやってるよ。入ってみたら?」と言うと、中国語はまだあんまり分からない。と言っていた。日本で生まれ、日本で育っているらしいので日本人の子どもと同じように育っているのだから当たり前か。コアの外に出している机に土粘土を置いていたので、「じゃあ粘土やってみる?」と聞くと、やってみると言って嬉しそうに土粘土をはじめた。近くにいたお父さんも様子を見に来られた。お父さんに聞くと、体が大きいし話もしっかりできるから小学生かと思ったが、まだ5歳で保育所に通っているそうだ。その子は、迷いなくどんどん何かをつくっている。刀で岩を割っているようなシーンを作っていて、何をつくったのか聞いてみたら、鬼滅の刃の何かのシーンを作ったと言っていた。お父さんにも良かったらどうぞと土粘土を渡してみる。お父さんは中国の方で、日本に来て20年以上になると言われていた。吉林省出身で今頃はものすごい雪が積もっているだろうとのこと。吉林省がどこなのかよく分からなかったが、雪が凄くつもるということは、新疆のほうかと思い聞いてみたら、朝鮮とロシアの国境があるあたりらしい。スマホでも確認。日本が朝鮮を植民地にした時代に彼の先祖がロシアに逃れた後、1945年に日本が敗戦で朝鮮から撤退した時に、再び祖国に戻ろうとしたが戻ることができず、朝鮮との国境付近に住むことになったのだそうだ。それで、今では中国籍となっている。吉林省にはそのような境遇の方々が多くいるようで、今でも韓国語が使われているらしい。アジア諸国と日本との繋がりはいつも戦争の話になる。「そしたら、3か国語喋ることができるんですか?どの国の言葉が一番難しかったですか?あ。でも中国人だから中国語は普通に喋れますもんね。」と聞いてみると、彼は10代になってからやっと中国語を勉強し始めたそうで、「中国語が一番難しかったです」と言っていた。こんな中国人もいるのだなと知る。朝鮮族という少数民族が中国にいることは知っていたが、彼はその民族にあたるようだ。キムチなども自分でつくると言っていたし、吉林省はかなり朝鮮の文化が色濃い地域なのかもしれない。そういえば、中国料理店の看板には、中韓式焼肉と書かれていたから、「え?中国なの?韓国なの?どっち?」と思っていたが、なるほど。そういうことだったのか!と理解できた。

今日もたくさんの方に来てもらうことができ、とても楽しい時間を過ごすことができた。参加してもらった器が、思った以上に増えてしまい、焼くのが大変そうだ。

最終日に中国の方の話が聞けたのはとても良かったし、興味深い話だった。いつか吉林省にも滞在してみたい。彼の日本での生活についてはあまり聞かなかったが、面白いことが聞けそうな気もする。焼き物を焼く日と、12月にも展示があることについて伝えたので、またお会いできると良いなと思う。

15時搬出開始。
18時搬出完了。
帰宅。

展示はひとまず終わったが、
これからなんだよね。後半。

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