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就職活動|なんてたいそうな名前だと思っていた。

気づいてから思えば当たり前のことなのに、本当に理解するには時間がかかったんです。

就職活動を始めてみることにした。

大学3回生。

同回には、インターンシップへの参加や早期内定を目指して、業界分析や自己分析をしたり、企業説明会に参加したりと忙しそうな人がいっぱいいる。いや、実際はそういう人たちと顔を合わせる機会はないので(というか会えないので)、SNSの様子から予測できる範囲だが。

わたしはというと、入学したころは、「理系は大学院まで修了してなんぼ」と思っていたから、就活をする気はさらさらなかった。でも、学部卒で就職する理系学生が思いのほかいることを知り、別に院進は唯一の選択肢ではない、と気づいた。途中でやめることもできるし、サマーインターンは社会勉強のいい機会だし、とりあえずやってみるか。

手始めに、業界研究をしてみよう。と、就活サイトを見ていると、おっと自己分析も必要みたい。

* * * * *

ん?

なにこれ、大変すぎるんですが。就職するのにこんなに労力使うの??

業界研究も自己分析もなかなかスムーズにはいかない。ネット上には情報があふれかえっているし、自己と向き合い続けるのは苦痛以外のなにものでもない。

そしてふと、
「あれ?就活というと、業界研究して自己分析して就活の軸をみつけて、といった一般的な流れがあるからやってるけど、こんなに時間をかけてやらなくてはいけない?情報を集めて自分に問いかけ続けなくてはいけないことなんだろうか?
と思い始めてしまった。

仕事を決めるだけなんだし、「活動」とまで言わなくてもよくない?

こう思ったことがあるのは、わたしだけかしら。

「仕事」に対する誤認

こんな風に思ってしまった当時のわたしは、
仕事というのは、「人がなんとな~く考えること+作業」で成り立ち、それで世の中は回っている。なんとな~くの思考と作業で仕事が成立する、つまり全力で考えなくてもいいのなら、別に仕事なんてなんだっていい。
そう考えていた。

どうやらそれは間違いらしい。

気づいたきっかけは、平日のお昼のワイドショーをみていたときだ。
あれ?こうやってテレビに出ている人たち、誰一人として適当に思考して作業している人なんていない。一生懸命考えて、思いをもって発言している。

これを皮切りに、わたしは周囲の「仕事をする人」を観察し始めた。
観察して、どんな気持ちで仕事をしているか想像し、同時に仕事という要素がその人の生活に占める割合を考察した。

なんと!こんなに多かったのか。仕事は住む場所、休日、関わる人、を限定する。わたしが一日を好きなように組み立てている一方で、仕事にしばられるものってなんて多いんだろう。

そういや、4月から新卒として働き始めた先輩と卒業前にご飯を食べにいったとき、「就活をするにあたって、自分の人生についてめちゃくちゃ考えた」と言っていた。その言葉の真意をもう一度考えると、私は重要なことを見逃しているんじゃないだろうか。

「仕事」というのは、人生というパズルのとてつもなく大きなピースなんだ。

時間的にも、思いの面でも。

たいそうな名前

仕事が、とてつもなく大きなピースだからこそ「自分はどんな性格で、何を思い、誰の、もしくは何のために行動していきたいのか」を知る、そしてそれと合う仕事を見極めることが必要なんだ。

そのために自己と向き合い、情報を集め、さまざまな人と交流する、これらの行為すべてに力を注がないといけない。そうじゃなきゃ、みつけられない、見極められない。

就職活動には、そんな思考や行動が含まれている。「活動」と呼ぶのにふさわしいじゃないか。

ありがとうございます! 明日の朝ごはんはちょっと豪華になります!