【麻雀諺】既読すれど、未読たまる
麻雀配信を見ていると、次々と牌が配られ、対局者の思惑が絡み合う様が映し出される。瞬きする暇もないほどのスピードで牌が切られ、俺は一生懸命それを追いかけようとする。リーチがかかれば、すかさず相手の手牌を推理し、切り出された牌の意味を考える。しかし、ふと気づくと、その間にも新しい局が始まり、配牌が進んでいる。
「既読すれど、未読たまる」。まさにこの言葉が今の俺の心に響く。いくら追いかけても、全てを把握することはできない。麻雀は一瞬一瞬の流れが肝心だが、そのスピードに常に追いつけるわけではない。特に配信となると、対局者の考えや配牌の意図を読み解こうとすればするほど、次の瞬間には既に状況が変わっている。
配牌をひとつひとつ見落とさずに理解したい、そう願うけれど、気づけば「未読」が溜まっているように、新しい情報が次々に押し寄せてくる。まるで水をかき出しても、次々と水が入り込んでくる桶のようなものだ。それでも、そうした情報の波の中で少しずつ拾い上げる楽しさも、麻雀観戦の醍醐味なのだろう。
結局のところ、完璧に追いかけることを諦め、自然体で見ることが一番の楽しみ方だ。「既読すれど、未読たまる」。それでもいい。配牌の一つ一つを完全に理解しきれなくても、麻雀はその瞬間を楽しむものであり、全てを追わなくても流れは掴めるのだ。
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