古川孝次の私小説(8)

自分で信じられないことが1つあります。
私には子供が4人いること、しかもそれが良くグレずに育って今があること。

子供4人はカミさんの大きな力で育ってくれたのです。
ハシカのようにちょっと違う道に行ったような時にはカミさんの力で思いとどまってくれました。スクスクと3人ことどもたちは育ってくれました。一方、4人目の子供はそれまでの子供とは違っていて、より良い道を選んでくれました。

これはカミさんが子供たちに真剣に向き合ってくれて間違った道にいかないように取り組んでくれたからだと思っています。
兄の嫁さんが
「孝次さん、子供たちは親と向き合う時、親も真剣になっていかないと子供はグレてしまうよ」
と…。カミさんはその通りにしたのです。

私の人生、全てに周りが助けてくれて今の自分があります。決して自分1人の力で成り立っていません。というのも存外、人生には全力投球せずに来たからです。

これがけっこう効果があって、人生を立ち直りやすいしてくれます。

人生いい時もあるし、悪い時もある。繰り返し書いてきたことですが
「人生はチャラ」
私もこう思えば、存外楽に、肩の力を入れなくてもいい。このあいまいな性格は決して直らないのだと思っています。

カミさんが一生懸命家庭に力を使っていた一方で私は家には関わらなかったのです。
重要課題であった引っ越しの時も(3、4回した記憶があります。)私のカミさんがせっせせっせと荷物を運び、私は体が一つ動かすだけでことが運びました。
そういえば、小学校の時にも家を建て替えたことがあり、その時にオジの家にいたときもそのまま部屋に寝かされ、何ひとつ手伝いはしなかったな…。ウソ寝はしていたのを覚えている。

私の家庭生活はママゴト。そしておっぽり出されてしまった。
いわゆる熟年離婚。私はこの言葉を私以外の赤の他人のことみたいに思っていましたが、いざ自分に降りかかってきて
「そうだね、愛がなくなったらしょうがないネ!」
と思いました。一方でカミさんは
「私はあなたのメイドじゃありません」
と。私はぐさっときたのですが、しゃあないなと思ってハンコを押した次第であります。

それからかれこれ10年がたちます。振り返ると私は何かに縛られるのが嫌いで私には結婚には向いてないと思うようになり自由の身を満喫しています。
そう、老年を謳歌していると…。
ある日ふと寂しいと思うことはあり、うそぶいていることでもあります。

しかし、私は最後に自分のお城を築きたい。それまでは死ねないと思っています。
私は夢を食べて生きています。

未だ達成できていないが、いつかきっと…。

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