古川孝次の私小説(7)

私も齢75である。わたしの人生、いいことも沢山あった。その反面、今思うに悔しいこともいっぱいあった。悔いのない人生ではないと実感する。失敗は本当に沢山ある。私は人並みに反省するが、しかし占い師が言っていた
「古川さんは同じことを何回も繰り返す人生であるから」
と注意されていた。

人生としての今までの結論は
「好きなことを好きなだけやるべし」
なのである。好きなことの中で、失敗も成功の中でも好きな事をやると考えが落ち着いたのである。

私の麻雀プロの終着点は…と振り返っているがまだゴールがない。この先は楽しんで麻雀をやることに決めた。ここから先、勝った負けたは付きまとってくるだろうが古川孝次の麻雀はプロセスにあると思っている。
そんな格好いい言葉ではなく、勝敗に関係なく…もちろん勝てば嬉しいが…若い人たちの麻雀も楽しんで、さらに同世代と麻雀が打てるのを楽しむ達人戦なんかは感謝の気持ちを持って、臨んでいる。

私は品行方正な人間ではない。色々な人に感情をぶつけてお互いに嫌な思いをたくさんしてきた。昔、とあるアスリートが上層部を批判して、新聞を賑わせた。こういう事を言っても、おおよそいい結果にならない。彼も更迭されたか、ペナルティを受けていた。私もそういう環境の中で働いてきたが、ほとんど上とぶつかってやめてしまった。社長とか権力を持った人がそれを傘に人をつぶしにくる事がある。自分の心を曲げて人と付き合っていると病んでしまう。後々後悔するよりも先に答えを出してしまう。それよりも何よりも自分に嘘がつけない。そして人と人との損得勘定でビジネスが進んでいく時損を取ってしまう性格である。
そこに感情が入ってくるととても心を曲げることができないのでぶつかってしまう。そこで人を負けさせて自分が優位に立っても、相手の心はそれで終わらない。

その点麻雀は勝ち負けが如実に出て順位が決まっても上に文句をつけることが無いのがスポーツと同じで潔い。そこの中で不正はほとんど聞いたことが無い。同じ職場、同業みたいな所で働いても私は好んで人を負かしたりしない。基本的に優位に立たない。相手を優位に立たせる。相手が勝っていて、こちらが負けているならば追い打ちをかけることはまずないからだ。

この話をしていたら
「相手より弱い立場に立っている人の行動がその人の本当の姿だというのはよく聞く話ですよね?」
と言われた。なるほどと思う。

優位に立った時の行動は特にお金の話の時に出てくる。私はそれで何度か痛い目を見たことがある。

ある時、私の雀荘がうまくいかずに困っていた時にある人間が
「麻雀のお店をやるから手伝ってください。先生のノウハウを知りたいのです。」
という。私もこれからの人生に困っていたのでOKを出したのならば、
その後で私をアゴで使うようになる。私の後輩プロたちを乱暴に扱う。
「⚪︎⚪︎さんとは付き合いきれません。」
と言って出て行った。その人にしてみれば、結局金がものをいうという考えなのだ。
私を尊重しているのならば、私の連なる人間にも敬意を払って欲しいものだ。

またはある時、
「古川プロの活動に賛同したい。ただし、事業家なので、私の仕事で健康麻雀を流行させてください。それでお互いに利益を出せるように働いてくれませんか?」
と依頼してきた経営者がいる。結局、健康麻雀の活動の理念が違っていたためにかなり早い段階で、分かれることになったのだが、プロの活動費として出してもらったお金がごっそり、手取りの給料から減っている。
現場責任者はなしのつぶてで経営者からはなんの音沙汰もない。携帯にすら出ない始末。彼も金という単位でしか人を見ていなかったのである。

「長い物には巻かれろ」なんて言葉を仮にでも受け入れてしまったことを後悔しているのである。

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