20200804小説.さよなら東京~夢のない女の話~
東京でやった最後の仕事を終わらせて新幹線に乗った。
オフィスから出て階段を降りたとき、砂田先輩に会釈した。
東京での7年間を振り返ると一番世話になった荒木先輩と付き合ってると噂の砂田先輩先輩とは一言も話さなかったな。
一年通った会社を出るとき、舌打ちをしている社長を見かけた。なにか嫌なことがあったのだろう。あまりいい思い入れのない社長との日々を、これ以上悪い思い出にしたくなかったので社長の後ろ姿を振り返ることもなく歩いた。
この7年でたくさんの舌打ちを聞いた。
いちばん多かったのは社長の舌打ちだった。
東京ですれ違うひとの舌打ちを聞いて、
伝染したかのように舌打ちをするのが普通になっていく日々にわたしの舌は削れることもなかった。
でも、わたしの心は削れていっていた。
最近音信不通になっている母親とは真逆の、無駄に頑丈な精神力を発揮して、数々の修羅場を潜り抜けて7年東京で心を折ることもなく住み続けた。
東京で夢を追いかけた友人は次々と東京を後にして帰っていったが、夢のないわたしがなぜかいちばん東京で過ごす時間が長くなったのはなんでなんだろう、と、実家行きの新幹線に乗り席についてから考えていた。
東京に未練はない。
強いて言えば、舌打ちなんかしなくてもいいぐらいの自分になれていたらもっとよかったのに、とも思ったが、
20歳のときに大学を中退して家にいる時間も長くなったわたしと、過労で心身ともに弱った母がふたりで住むのは限界だと思い家を出てから、27歳も終わろうとする今日まで、よくもまあ頑張ったなと自分を褒めたいと珍しく思った。
「さよなら東京」
窓に写る自分を見つめながら言った。
最寄り駅のホームでいつもいつも舌打ちしたそうな不機嫌な顔をしていた会社員の男性が、斜め前の席に座っている。
大きな荷物を持って、今日は舌打ちをしなくてもよさそうな顔をしている。
わたしもこのひとも八つ当たりできるほどの相手が東京にはできなかった。
でも、やりたいことがあったわけでもなかったわたしは、他の人よりお気楽な東京生活を送れていたのかもしれない。
わたしには東京でやり残したことはないが、実家に帰ったらやらなければならないことが山ほどある。
まずは向き合わないと。
母親心の病気、弟のギャンブル依存症、父親の過労。
生まれてこのかた舌打ちをしたことがないのでないかと思うぐらい、怒りという感情を持たなさそうな母は、相変わらずため息が多いのだろう。
ゲーセンに始まりパチンコや競馬に依存していった弟とはときどきメッセージのやりとりをするが、弟は東京への憧れを口にすることがある。
父親とは連絡先を知っているのにまったくお互いに口出ししない心地いい距離感を保てている。
共働きしていたが母が体調を崩し、心も病んでいくなかで自分が頑張らねばと60になった今も残業の日々ならしいから、わたしが帰ったらいままでよりもたくさん家にお金を入れて、楽をしてもらいたいと思っている。
うん。
そうだな。
いちばんはやっぱり母親だ。
怒りとは無縁で自分を責め続ける母親の、
悩ましげな顔をみるとどうしたらいいかわからなくなるのだ。
そして、家族たちと違って特別な悩みもない自分がなぜかふがいなくなる。
夢なんてなくてもいいけど、
趣味ぐらい充実していたほうがいいかなと思うのだが、
弟に勧められた太鼓の達人のゲームを買ってみたが飽きる前にそもそもそんなに夢中になれなかった。
新幹線は進むのに私の気は進まない。
スマホを開いた。
「母さんが倒れた」
父からのメッセージだった。
父からの初めてのメッセージだった。
母が無理をして倒れたらしい。10年前に入院してから3回目だ。
向き合おうと決意した直後なのにもう逃げたい。
新幹線が着いた。
東京から同じ車両に乗ってきた、舌打ちの達人みたいな男性も同じ駅で降りた。地元が一緒だったとは。いつもいつも仕事に追われていた男性を驚いた顔でみていると目が合い、男性も驚いた顔で言った。
「・・・同じなんですか!」
東京にいたときとは打って変わって穏やかな顔になった男性は、黒澤さんという名前だった。
結構仲良くなった。
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