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軽率に不労所得で生きる方法(始動編)

夢織という名の無職5年目

朝起きたら貧乏でした。びっくりした。まぁ寝る前も貧乏だったので、特に問題はありません。

ぼくは某上場企業の本社に勤務していたのですが、2020年に社内歴代最年少で、関連会社の責任者になり、新年度から移籍しました。もちろん「やっぱり俺ってば優秀!超優秀!!」とド天狗になりまして、幹部職員の部下は全員年上という新天地で、鼻持ちならない上司を務めておりました。

2020年、何があったか覚えていますか?

そうです、未曾有のコロナ禍です。関連会社に移籍してすぐ、緊急事態宣言が出されました。そして本社様は、ソッコーで新天地の子会社を解散すると決めたのです。

青天の霹靂。解散決定の役員会議は4月。解散は6月末という、こういう時だけ発揮されるスピード感。遙か彼方の経営陣はディソリューションって認識ですけど、諸々の事情を考慮しやがったのか、形式的には「倒産」ということになりました。

ぼくの最初で最後の業務は、敗戦処理でした。「倒産にかかる手続きに関しては、キミの責任だから!」とアホみたいなことを言われ、ほったらかして逃げることも出来ません。「まぁここで手腕を発揮したら本社戻ってまた出世コースだろ」と思い直して、愚直に業務を行いました。

小さな会社なので、アルバイトの学生を含めても、従業員は30名程度です。数名のオッサン幹部以外にはギリギリまで倒産の事実は伏せる方向で、クローズ準備を進めていました。

そんなある日、とんでもない事実が発覚します。

ぼくは本社に戻れない、とのこと。

え、マジで!?

聞いた瞬間、耳を疑いました。会社終了と同時にぼくも解雇らしいのです。普通に本社に戻れると思い込んでいたので、解散を告げられた時以上のショックでした。

無職になることを決意する

ここでぼくのモチベーションは切れてしまいました。

この場合のモチベーションとは、敗戦処理の原動力ではなく、生きること全般に対してです。

実はぼく、警察沙汰にもなった配偶者からのDVによって離婚したのに加えて、一年ほど前から割と深刻な病気を発症していました。働くことで何とか日々生きる目標を見つけていた状況だったのです。

家族を失い、健康を失い、その上仕事まで失う三重苦って、俺はヘレンケラーか!!とキレてしまい、最低限の責任を果たして会社を閉めたあとは、もう働かないことを決めました。

働かないと決めるのは簡単ですが、生きて行くには残念ながらお金が必要です。知ってました?この国ってば、何をするにしてもお金がいるんですよ!

職を失ってお金を得る方法は、考えられる限り以下の4通りくらいではないでしょうか?

●失業保険を受け取る(受給期間はコロナで延長されてるらしい)
●生活保護を受ける(外国人じゃないと難しいみたいよ?)
●仕送りを貰う
●貯金を切り崩す/貯金を運用する

取りあえず離職の手続きのために、ハローワークに行きました。こんなにも不愉快な役所があるのか?ってくらいマックス不愉快オフィスでした。出来たら行かない方がいいよって真面目に思います。

何が不愉快って?

ずっとモニターで失業保険の不正受給は許さない!って動画を流してるんですよ。今まで散々給与から天引きしといて、いざ払う段階になったら、人を泥棒か詐欺師みたいな言いぐさで威圧するウンコ動画。アホかと言いたい。

で、もっとアホかと思ったのは、再就職する意思がなければ給付しないって職員が真顔で言いやがるんですよ。

びっくりした。何だその明後日の方向を向いた正義感?俺からずっと天引きしてた分のカネを払えや木っ端役人!

そんな汚い言葉を胸の中でシャウトしたと思ったんですが、口に出ちゃってたみたいで、軽く口論になりました!(てへぺろ!)なんかお金貰うのに毎月最低二回も就活実績を出さないとダメだと言われて、めんどいからもうええわ!と受給を拒否して帰宅しました。要らんわそんなはした金!(今となっては猛烈に後悔しています)

生活保護は日本人には出さないって言いますし、むしろ生活保護なんてしょぼいもんじゃなくて、種としてのぼくを保護して、衣食住娯楽だけでなく、トキみたいにメスもあてがってほしい気持ちです。繁殖活動、観察してくれて良いから!むしろ見て欲しいから!そういう訳で、ナマポも選択肢から外します。

一番現実的なのは仕送り制度なのですが、よく調べたら「仕送り」の範疇だと税金掛からないんですよね。こいつは朗報!と両親に「おねがい☆」とマイメロ的キュートさで無心をしたらムリとの返事。何でやねん!?と軽くキレたら、何でも父の会社が経営難で、実家すら抵当に入ってるとのことでした。

ああ、触らぬ神に祟りなし。触らぬ貧乏に返済責任なしってことで、親とも距離を置くことにしました。

で、結局貯金を食い潰すしか選択肢はないと判明しました。

しかし、幸せは目に見えて少しずつ育つのに、不幸は知らない場所で勝手に肥大し、ある日突然眼前に姿を見せるという村上龍の表現を具現化したように、何でもないあの日、ぼくは比喩ではなく本当に一文なしになってしまったのでした!

今はまだ裁判中なので詳細は語れませんが、大昔の負の遺産によって預貯金全額が差し押さえられたのです!(続く)

ある日一文なしになった
数日後届いた書類。先に送れや!

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