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『「繊細さん」の本』を読んで、HSP気質な自分を振り返ってみた

この本、めちゃくちゃ共感した。

◾️思えば、こういうところがHSP気質だったんだ。

昔から誤字脱字は一瞬で発見できた。

塾に通ってるとき、シャーペンやボールペンをカチャカチャ言わせてる音が無性に気になった。

形から都道府県名を当てるのは得意だった。向きがぐちゃぐちゃになってても。

漢字は覚えやすかったから日本史は得意だったが、カタカナを覚えるのは本当に苦手で世界史は苦手だった。

論点と違うところを瞬時に指摘して、「そこを言ってるんじゃないの」と母に叱られた。

寝ようとしてるときに聞こえてくる、いびきが気になって眠れない。そういうときはノイズキャンセリングのイヤホンを着用。
いとこの家に泊まる際、電気を消してるときに光るシールが目をつぶってても明るかった

「こうなったらどうしよう」のシュミレーションや、メンバーみんなの目線に立って物事を進めるのは得意だった。だから高校時代、体育祭の全てを取り仕切る実行委員長では力を発揮できた。

一方で、既存の踏襲はしっかりできていたけど、新競技を作ったりするといった大掛かりな新しい挑戦はしなかった。
パンフレットのコメントをちょっとユーモアを効かせて、あいうえお作文にした。逆に"そんな小さなこと"が後輩に受け継がれてて嬉しかった。

ドラマや映画でも感情移入してすぐ泣く
特に大河ドラマ。人情というか忠義というか、演出が素晴らしい。かっこいい。

人間らしい・輝いている・その人が発揮されている・その人が心から楽しんでいる表情を見たとき、涙が出る
体育祭もそうだったし、音楽にも。
大学時代、軽音サークルのライブの写真を撮ってて何度涙をカメラで隠してたことか。
「この瞬間いいなぁ」と思ってシャッターを切ると、その思いを写真に乗せることができる。そしてそれが、他の人から見てもいい写真になるようだ。

新しい環境に飛び込むことは好きだし苦手ではなかったが、自分のいる環境が誰かによって変えられていくのは上手く順応できなかった

ある日突然中途社員が入ってくる
 上司はその人のことをわかって採用するけど、メンバーにはそこまでのことは知らされず受け入れるのはもやもやがあった。
オフィスが移転する
 そこで働く社員のことより、対外的なアピール要素が強そうな新居。
 前は陽当たりよかったのに、陽が入らなくなってしまった。
備品の購入フローが煩雑な仕組みになる
 前は気づいた人がアスクルで発注できたのに、いちいち品物・単価・点数・品物ごとの合計金額・総計をメールで経営陣に連絡して許可もらってからの発注になった。アスクルの画面スクショ貼って送るくらいならまだしも、いちいちタイピングしないといけないのは馬鹿らしい。

自分の心の内を話せる、かつ心のケアをしてくれる役割の人がいたらよかったのだけれど。組織にはまだ人事はいなかったし、「自分が相談することで負担をかけてしまうのではないか」と思って先輩や同僚にも安易に話せなかった

お腹がすいたらそればっかり考えてしまう。
恋人といても、「お腹すいた」「なんか食べたい」しか言わなくなる。
お昼以降、カフェインを取ると眠れない。
タピオカミルクティーでも眠れなくてショックだった。。そりゃ紅茶やもんな。。

嫌な仕事が発生したときや、クライアントから電話やチャットで問い合わせが来たとき、心がキュッてなった。

「ああもう、私に死ねってことー?」仕事が溜まっている上司の愚痴を聞いたとき、その上司の立場は想像して私もつらくなった。部下として自分がそうさせてるんじゃないかと思った。だから余計な心配をかけまいと相談ができなくなった。

マルチタスクを上手くこなしている同僚を見て、「なんであの人は普通にできているのに自分は上手くできないんだろう」と自分を責めた

上司や同僚に話しかけるのもいちいち緊張した。
「論点を簡潔に言わないとあの人は機嫌が悪くなる」そう思って話しかける前に一度脳内で言ってみるのだが、それをやるとまた緊張して、いざ言うときは早口になって、しどろもどろで、心拍数が上がった。

論点を整理した文章を書くのは得意なので、チャットだと助かった。(電話してくるクライアントは本当に苦手だった。即座に返せないこともあるし、文字で内容が残らないのも困る)

「あの人(上司)のことが嫌い?」と聞かれて、そうですと言えなかった。ただ「ああいう人になりたくはないです」と答えるのが精一杯だった。

確かにあの上司は接し方がわからない人だったが、嫌いと言うほど何か嫌なことをされたわけでもない。接し方がわからないという、その気持ちを誰かに相談できていたらよかったのかもしれない。「周りの人はあの人と上手くやっていけてるから、それができない自分は頑張るしかない」と思ってしまっていた。その結果苦しくなった。

「周りのことを気にしすぎない方がいいよ」と言われても、どうしたらそれができるのかがわからない。

◾️そして、潰れちゃった。

ある日会社に行けなくなり、休職。
最初一週間は心がざわざわすることもあったが、そのときは好きなアロマの香りを嗅いで心を落ち着けた。アロマを炊くわけでもなく直嗅ぎしていた。

タイに行った。
初めての海外一人旅。バンコク。
その日することはその日に決める。何もしなくてもいい。暖かさに包まれてるだけで最高。
日本人宿で出会った人と遠出したり、のんびりお喋りしたり。居心地よかったなぁ。

これで生きていていいんだ

日本人宿で出会った旅人たちの生き様を色々と聞いて世界が広がった。
それなりの大学→シューカツ→就職→ストレスに耐えながら仕事こなすみたいな世間一般のレールの上を生きる人生つまらんなと思った。

当初帰国予定だった日にパスポートを失くして大ピンチ。けどLINEで対応してくれた恋人・再び帰って受け入れて心配してくれた日本人宿のみんなのおかげで前を向けた。

(結局パスポートは昼間訪れた両替所に忘れていたのだった。翌日私が両替所に行き「Yesterday, 」と言った瞬間、受付のおばちゃんがバッと差し出してくれた。タイの人優しくてよかった。。)

思えばパスポートをなくして滞在を延長してからが本当の旅の始まりだったのかもしれない。

◾️HSPを自覚して生きていく。

恋人に「意外と繊細なんだね」と言われて、腑に落ちた。
今までそれを言ってくれる人はいなかったから。

お出かけするときも、見たいときはめがねを掛けるし、情報を制限したいときは裸眼(0.1未満)で出かけるようにしている
見えないけどぼやけまくりの世界も悪くない。
この世界は文字通り自分にしか見えてないもの。
視力を矯正するのが当たり前だと思って生きてきたけど、そんなに見えてどうする?そんなに見えないとあかん?見えなくてもいいものがあるように思えてきた。

高校のとき、写真に出会えてよかった。
写真は、自分の感情を詰め込んで永遠にしてくれる。

人の話を聞くのが好き。相手の立場に立って想像できるし、共感できる。
何かしらで聞くことを続けていきたいと思って、コーチングの活動を始めた。

そして伝えていきたいんだよな。その人だけの人生を、どこかの誰かに。

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