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2024年度テーマ評論「時事詠を考える」⑧

柳さんの歌について
北山あさひ

 
  そのほかに二十余名が死すと伝ふ「そのほかの人」生きたかりけむ

 柳宣宏『施無畏』収録の一首である。詞書に解説されているが、これは二〇〇七年の十二月に、パキスタン元首相ベナジル・ブット氏が自爆テロに巻き込まれて死亡した事件を詠んでいる。

 わたしがこの歌を知ったのは、二〇一九年のまひる野の全国大会でのことだった。対談「良い歌とは何か」の中で、麻生由美がこの歌を紹介していたのだ(懐かしいなあ)。わたしはこのときの記録係。文字起こしのデータが残っていたので、その部分を少し引用する。

麻生「これはパキスタンのベナジル・ブットさんが暗殺されたときの新聞の見出しだと思います。私もそれを見たときに、ベナジルさんはお父さんもお爺さんも政治家で非業の最期を遂げた方で、とうとうご本人もこんなふうに亡くなったのかと思ったんですけど、「そのほかの人」のことは私たしかに見てるんだけど、文字としては目に入っているんだけど、私はベナジルさんのことしか気が付かなかったんで、〈「そのほかの人」生きたかりけむ〉に気づく視線というか、これに私は心を打たれました。」

 それ以来、紛争のニュースなどを見るにつけてこの歌を思い出すのだけど、今回「時事詠」と聞いて真っ先に脳裏に浮かんだのもこの歌だった。時事詠や社会詠は基本的には退屈なもので、だからこそ一辺倒にならないように工夫する必要があるのだと、個人的には思っている。柳の時事詠におけるそういう操作は「そのほかの人」を見る、思う、というところに徹底している。

  ほころびし幼き葉つぱアフガンの子ら生きのびよ空に震へる 『施無畏』
  殺されし男は起ちて帰り来るオリンピックのベースボールは     
  水兵がブルックリンの街角にキスせり、若いの死ぬんぢやないぜ 『丈六』

 一首目はアメリカ同時多発テロや、その後のアフガニスタン戦争の頃の歌だろうか。のどかな春を迎えようとしている中で、戦争に子どもたちが巻き込まれているという現実が、不意に胸を締め付ける。二首目は二〇〇八年の北京五輪の歌である。八月八日、平和の祭典であるオリンピックの裏で、ロシアがグルジアへの侵攻を開始した。野球で「アウト」は「死」とも表現される。捕殺、刺殺、封殺といった言葉もある。「殺されし男」はアウトになって次の回では守備にまわるが、現実では「死」の先はない。試合風景に血みどろの戦場が重なるようだ。三首目はテレビなどで目にした光景だろうか。「若いの死ぬんぢやないぜ」は、水兵に恋人という存在があるからこその呼びかけだろう。直接には描かれていないが、柳の目には水兵以上にその姿が強く映っているのだ。

  うら若きゲリラのをみなの携ふるカラシニコフに秋風ぞ吹く 
  国王は勝ちて告らしし戦争にただの一つも誉れはあらずと
  鹵獲せしゲリラの銃器は祀られぬ仏法守る仏と化して
  戦ひに敗れしのちを三〇〇〇のアッサム・ゲリラ報復をせず

 『丈六』所収の「ブータンの二日戦争」という一連より引いた。「ブータンの二日戦争」については一連に付されている詞書を参照されたい。一首目に描かれているのは、インドからの独立を訴えるアッサム・ゲリラの女性。ブータンはゲリラ相手にたった二日で電撃的な勝利を収めた。彼女は生き延びることができたのだろうか。「秋風ぞ吹く」が冷たく、虚しい。二首目、仏教の国であるブータンが軍事作戦を実行するということに、国王は沈痛の思いであったらしい。戦いには勝ったが祝いの行事もせず、三首目にあるように寺院に武器を祀った。四首目、敗れたゲリラたちを悼むだけではなく、報復をしなかったことへの畏敬の念がある。柳が長年座禅を組んでいること、歌集タイトルに仏教用語が使われていることなど、仏教との関わりはよく知られている。この一連では痛みを抱えて生きる人びとへの心寄せがより一層強く表れている。

 興味深いのは、この作品の次に「学園のひと」という一連が並んでいることである。偶然なのだろうけど、これらの歌を読めば、柳の時事詠の魅力がどこからくるのかがよくわかる。

  日本の金魚掬ひの四天王勝俣さんはボイラーも焚く
  門衛の矢口さん私服に着替へれば古き懐かしきイージーライダー
  同窓会副会長がカラオケに唄へば山本リンダ降臨す

 職場の人びとをコミカルに描写している。金魚掬いの名人でありながら「ボイラーも焚く」勝俣さん。制服姿と私服姿のギャップがたまらない矢口さん。副会長は女性だろうか、カラオケはその人の新たな面が見えるものだけど、それを見せてくれること自体が嬉しかったりもする。そういえば『施無畏』には「門衛」という長歌があって最後にほろりとさせられたのだった。つまり、こういう身近な人びとを見つめるのと同じ目で、柳は「そのほかの人」を、戦場の子どもたちを、ブータン国王を見つめているのである。

 ところで、歌を詠む人たちは「よーし、〝時事詠〟をつくるぞ」といって時事を詠むのだろうか(わたしは割と時事や社会を詠む方だけど、全部「生活詠」だと思って詠んでいる)。「時事詠」というのは編集側や読者側が便宜上そう呼ぶだけであって、実際に詠むときには「心が動いたから詠む」「出来事に突き動かされて詠む」「何だかわからないけどもやもやするから詠んでみる」など、そういう心の動きがあるだけではないか。もっとも、時事や社会問題を詠むときには様々な注意が必要だから、頭のどこかには「時事詠」「社会詠」があるかもしれない。柳のいわゆる「時事詠」が妙に人間くさいのは、先ほどの「目」に加えて、時事にあたったときの心の動きが、純度をほとんど損なわずに表出しているからなのだろう。

 ふたたび全国大会での対談の話を。終盤で「良い歌とは何か」について麻生がこんなふうに語っている。

麻生「私が柳さんの歌集、橋本(喜典)さんの歌集などを読んで感じることは「大きな歌」がいいかなあということです。「大きな歌」ってどういうことかというと、アルプスの歌をうたえとかそういうことじゃなくて、「横の空間」ですね。私が世界の一部として生きている、で、横には桜の木もあって、遠いところにパキスタンやベナジルさんやその支援者さんとかがいらっしゃる。そういうふうに横にどんどん広がっていって、大きなものの一部なんだなあと感じさせられる、そういう歌がいい歌かなあと私は思います。もうひとつ、「縦にも広い歌」、つまり、昔からの時間の流れがあって、そのなかに私たちは位置づけられている。(中略)大きな時間、縦の時間の流れのなかの一粒として歌う、そういう歌をいい歌だなと思います。」

 これまで引いた歌が「大きな歌」だとすると、柳の「縦にも広い歌」はそのまま柳が「時事」を詠む理由に繋がっているような気がする。

  当たらざる高射砲撃ちしわが父の口笛に吹く「黄色いリボン」 『施無畏』
  わが父に武勇伝なし日本の高射砲弾敵機に届かず
  工兵は真つ先に死ぬ南方の戦線這ひずりし舅(ちち)は吐き捨つ 
  全滅の部隊に生きて還りし舅平成も昭和も天皇を言はず
  牛角にカルビを焼けばばうばうと思はゆ戦後を鬱病みし父 『丈六』
  兵隊を殴らなかつたのではなく殴れなかつた父に会ひたし
  勝つたならもつと軍人が威張つたよ、ああ嫌だねと母は語りき

 負けが込んでいる戦場で、敵軍よりも遥かに精度の低い高射砲を撃たされていた父。「武勇伝」を持たない父を見つめるまなざしは寂しく、あたたかい。舅は工兵として南方で従軍していた。「全滅の部隊」とは凄絶な表現だ。奇跡的な帰還を果たしても、戦後に鬱を病んだ実父同様、おおきな傷を抱えて生きた。母もまた戦争を語る。「ああ嫌だね」には兵隊を「殴れなかった」父の姿と同じく、リアルタイムでその時代を生きた人たちの実感がある。それらを書き残そうとする意志と、彼ら彼女らを時代ごと抱き締めるような慈しみ。こうした「家族」に発する心が、柳に時事を詠ませているのではないか。

  似合はぬと美子(はるこ)皇后言つたとか白馬に跨る軍装の君
  天皇の陰に寄り添ふかの人の残生の幸願ふ人われは

 最後に『丈六』の「沖縄・イラン」と「平成」という一連から。明治天皇の皇后・美子(はるこ)。わたしはこれまでこの人の存在を考えたことはなかった。「似合はぬ」と言い放つのは無邪気さからか、それとも彼女が慧眼の人だからか。とたんに、個性ある一人の女性として立ち現れる。二首目は二〇一八年の訪問時のことのようだ。ここでも、天皇ではなく美智子皇后の方を見て「幸願ふ」と心を寄せる。「残生」という言葉が思いがけず惨い。彼女が背負うものの大きさを思わずにいられない。

 「そのほかの人」を見つめることは、柳にとって祈ることと同じなのだろう。世の中に生み出されるあまたの時事詠もまた、誰かの祈りをのせているのかもしれない。三月、奈良の大仏の「施無畏」を見上げながらそう思った。

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