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生沼義朗歌集『空間』評 移動する空間、生活する空間 後藤由紀恵 『空間』は作者の第三歌集。本歌集において、作者の意識は時間や場所、とりわけ移動するということに強く向いているようだ。電車で移動する歌が多くある。なかでも第三章「移動するⅱ」は、移動する〈空間〉ⅱ〔在来線と船とバス〕と題した一連で構成されている。これは「さまよえる合宿」(石川美南の主催するさまよえる歌人の会のイベント)を素材とし、一泊二日の合宿旅行を克明に詠む。各歌には詞書と
小島なお歌集『展開図』評 永遠の夏と一度きりの夏 狩峰隆希 航空機消息不明となりし夏タカアシガニの群(むれ)空を這う 秋の日は空に向かって立っている一本のおおき蠟燭がある ふりだしに戻る、のような秋のそら鞄を提げてバスを待つとき ロケットで宇宙へ行ったマウス十二匹思えり破魔矢を提げて 輸送されていてはいつか命尽きたはずのタカアシガニ、その群れは航空機失踪と引き換えに永遠の夏を得、今ごろあてもなく空をさまよい続けていることだろ
カン・ハンナ歌集『まだまだです』評 調べと心 立花 開 歌を詠むにあたって、心地良い調べは大切なものだと感じる。定型から外れるには多少なりとも「えいやっ」と勢いをつける必要が私にはある。それでめためたに評された日は落ち込むが、定型からわざと外れるのはそれだけ濃い感情を乗せるときでもある。調べをとるか詠われた心をとるか、それは読者に委ねられてしまうところもあり難しい問題だと思う。 作者は二〇一一年に来日し、独学で日本語を学び短歌に出逢っ
藤島秀憲歌集『ミステリー』 乱反射する自我 滝本賢太郎 『ミステリー』を映画を観るような気分で読んだ。妙な言い方に聞こえるかもしれないが、高い映像性と物語性を兼ね備えた藤島さんの歌を、やはり映画的な歌と呼んでみたい。映画的な特性は、例えばこんな自然詠にくっきりと表れている。 吹きていし風しずまりぬ池の面に映れる塔を鴨が横切る 鯉に鯉、鯉にまた鯉かさなりて餌を欲るなり人に寄り来て 一見何気ないスケッチに見えるが、衒いのない言葉
尾崎まゆみ著『レダの靴を履いて』 向き合う眼差し、ひらかれた眼差し 染野太朗 著者尾崎まゆみが、主に二〇一〇年から二〇一二年にかけてブログに掲載した記事が、二〇二〇年の塚本邦雄生誕百年も視野に、書籍化された。本書の帯には「塚本邦雄の短歌をやわらかく、わかりやすい言葉で紐解く、塚本の薫陶を受けた著者ならではの一冊」とある。書名は『水葬物語』の〈ゆきたくて誰もゆけない夏の野のソーダ・ファウンテンにあるレダの靴〉より取られている。 塚本
花山多佳子歌集『鳥影』書評 新幹線の怖ろしさ 今井 恵子 二〇一二年から凡そ四年間の四六八首を収録した作者の第十一歌集である。孫が生まれてからの期間であったと「あとがき」にある。歌集は「赤ちゃん」が「幼子」になってゆく時間といえる。時間経過にそって周囲の景色を歌い、幼子のいる風景のなかで、時代のもつ寂しさや楽しさや喜びに心を動かしている。 子守唄うたへば娘も孫も寝てとりのこされたやうなまひるま 「わんわんよ」と子に言ひ「こまい
三枝昂之歌集『遅速あり』 たたなづく多摩の横山 麻生 由美 個人的なことから始める。東京にいた頃、仕送りが足りなくなると多摩川の向うにある伯父の家から学校に通った。合計百日ほどそこの布団で眠ったろうか。森林公園や民家園に近く、起伏の多い住宅地や林に小径が縦横に通っていた。丘陵の風光や人びとのいとなみをホームビデオのようにだらだらと記憶したが、それはその後四十年そのままだった。それが今、歌を読むことで、いきなり編集され、名前
「まひる野」は毎年9月号に「歌壇の〈今〉を読む」と題する特集を組んでいます。これは結社外の優良歌集・歌書の書評特集です。対象は2019年5月~2020年4月に出版された歌集・歌書です。 今年は以下の14編を取り上げました。 千々和久幸歌集 『生きてはみたが』評 稲葉範子 大島史洋歌集 『どんぐり』評 大谷宥秀 三枝昂之歌集 『遅速あり』評 麻生由美 久々湊盈子歌集 『麻裳よし』評 米倉歩 花山多佳子歌集 『鳥影』評