見出し画像

昨今の〝多様性〟について私が思うこと

 〝多様性〟というと一番に思い浮かぶのは〝性〟の事。

 昔は男と女の二種類だったけど、今はいろいろな種類があり(もともとあったものが発見され、発表されて、確立した)それに心から救われた人も多くいる事は想像に難くない。

 いい世界になっているんだな、「みんな違ってみんないい」という意味だよね、と思っていたのに、なんだか違うみたい。

 私から見る〝多様性〟は、凄くいびつ。

 だって〝男は〟〝女は〟って言えない。
 その考えを今も持っている〝昔の人〟はおいてけぼり。
 そしてそんな人たちが「この多様性の時代に言っていい事なのかわからないけど……」と前置きした上でしか、発言権がない。

 男女を分けて考えている人は〝多様性〟の輪には入れないの?
 その時点で多様性に反していない?

 そもそも〝多様性〟という言葉を細かくすると、自分以外の考え認める事否定しない事
 ……無理ゲーだろ。と思う。
 人間は自らの所属を守る為に、他を攻撃する性質があるのにどうしろと。

 とんでもなくレベルの高い事をしようとしている。
 レベルの高い事をしようとしているのに、「その考えは古い!!!」ばかりで解決策すら考えない。

 だからこの世の中で多数決はズルいと思う。
 だってネットのコメントも、否定的な意見を書いた文章のインパクトが強いとその後否定的な言葉が続くし、肯定的だと肯定的な言葉が続く。

 〝多様性〟、つまり自由過ぎる選択肢を与えられると、人間は不安になる。
 診断というものが増えて、自分を枠の中におさめたがるのがいい例だと思う。

 否定はしていない。私もそれに救われた一人だから。
 だけど、そこで思考停止するのはどうなの。と思う。

 勿論、男尊女卑の考えはまったくもって今にそぐわないし、私は嫌い。
 「男のくせに」とか「女のくせに」と言うのも、同じ。
 今後、この考えを改める事はないと思う。

 だけど、〝男〟と〝女〟の違いがあったって別にいいじゃない。というのが私の考え。

 まとめるのは無理よ。そもそも脳みその動きが違うのだし。

 よく、男と女は別の生き物だと思えという。
 違いがあるから面白い。理解できないから知りたいと思う。

 根本的に分かりあえないのに分かりあおうとして、態度で示して、言葉を尽くして、中間地点を見つけていく〝努力〟が美しいと私は思う。

 他者の意見ではなくて、自分自身で考えて〝性自認〟がどちらか、〝みんな違ってみんないい〟それではだめなのか。

 私はこう思う! なぜならこうだから! と堂々と言えばいいのに。

 何でもかんでも「否定された! むかつく!!」って悲観的にとらえてムキにならないで、〝自分とは違うけど、そういう考え方もあるよね。勉強になるな〟って心から思える様になるのが、今の私の目標。

この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?