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レンタルボックス #8/8

108番

 因果応報。
 そんな言葉が頭に浮かんでいた。もともと仏教の用語で、善行は幸福をもたらし悪行は不幸をもたらすという考えの言葉だ。現在では一般的に、悪い方の意味で使われることが多い。〝自業自得〟に近い意味だと思う。
 だから、僕の今の状況は因果応報だと、自業自得だと、そう言われれば返す言葉もない。

 体を動かすことができない。目を開けることはできるが、なにも見えない。
 歯科医院で治療を受けるときのような姿勢で、おそらくリクライニングタイプの椅子に座らせられている。
「あ、あー。あー」
 声は出せるようだった。なにかに反響するように、こもった自分の声が耳に入ってきた。
「おっと、起きたようだね」
 前方から男の声が聞こえる。なにかに遮られているようで明瞭には聞こえない。
 ザクザク。
 布が切られるような音がする。僕は袋状のなにかを頭から被せられているようだった。それがナイフで切り裂かれていく。刃先が目の前を通り過ぎる。その裂け目からやっと薄暗い光を見ることができた。
「動かないでくださいね。ああ、動けないか」
 首にナイフの刃があたる。ヒンヤリと冷たい。
 男が力を入れるとブチンと音がして首に巻き付いたなにかが弾け飛ぶ。呼吸が少し楽になった。
「これはね、麻袋の口の部分に結束バンドがついている。頭に被せてこのバンドのテール部分を引っ張れば簡単に拘束して視界を奪うことができるんですよ。それに、この口の部分は裏側に〝カエシ〟がついていて、これが首の肉に喰い込むから独力で抜け出すことは、まず不可能なんです」
 自作の拘束具とそれを切り裂いたナイフを持ち、男は淡々と説明した。
「ここがどこか分かりますね?」
「108番のボックスの中ですね、楠田くすださん」
 僕の目の前に立つ血色の良い男は、外科医の楠田さんだ。107番と、そしてこの108番のレンタルボックスの借り主だ。
 ぼんやりとした頭が少しずつ記憶を取り戻していく。

 夕方頃、巡回を終えてそろそろ帰ろうかと思ったところだった。背後から近づく気配を感じた瞬間、なにかを頭から被せられた。ヂリヂリとツメを弾くような音が聞こえた。
 あれは今思えば、結束バンドが締められる音だったのだ。

「体が動かせないでしょう。別になにかで押さえつけているワケじゃないですよ、松下さん。少量の筋弛緩剤を数回に分けて局所的に投与しています。慎重に慎重に。調整を誤ると呼吸すら止めてしまいますからね」
 楠田さんは、僕から見える場所に腰を下ろした。
「どうして、こんなことを」
「どうして? うーん、では私からも質問です。どうして107番のボックスを勝手に開けたのですか」
「なんのことですか?」
「とぼけないでください。冷凍庫、開けたでしょう。記録が残っているんですよ。温度が急に上がった時間がある。あの夜、電話をくれましたね。200Vの電源に変更が可能だと。そのとき私はこの108番のボックスの中にいましたが、あなたは隣の107番の中にいた。気を逸らすためにそうしたのでしょう」
「冷凍庫ですか? 本当になんのことだか……」
「まあまあ。もう、こういう状況になってしまっているわけだから。ちょっとお話がしたいと思っただけなんです。松下さんにその気がないのなら、それでも構いませんよ」
 楠田さんは立ち上がった。その目に感情は見られない。
「あ、あー、入りました、入りました。楠田さんの言う通り、107番のボックスに入りました。ちょっと電源の件で調べないといけないことがあって」
「そうでしょう」楠田さんは再び腰を下ろす。
「確かに奥に冷凍庫がありました。興味本位で開けてしまったのも事実です。でも、それがなんだっていうんですか」
「中に……、お肉があったでしょう」
「ええ。別に、隠すことはないですよ。ヴィーガンだからといって……」
「私はね」楠田さんは口角を上げた。白い歯が見える。「ヴィーガンではありませんよ。ご存知でしょう。人間は草食動物じゃないんです。肉食動物でもない。さまざまな食物をバランスよく摂取するのが一番体にいいんだ。そして、それができる。それが万物の霊長たる特権でしょう」
「なら、どうしてヴィーガンの食生活を勧めるんです」
「私は、どうせならね、美味しいお肉が食べたいんですよ。美味しいものってのはね、体にいいんです。知ってますか。どうして豚や牛の肉が美味しいか。草を食べてるからですよ。肉に臭みがない」
 楠田さんは、また立ち上がる。僕に近づく。楠田さんは、なぜか手術衣のような青い服を着ている。
「ユミさんはどうしたんです? マキさんは?」
「ユミはね、松下さんが電話したあの夜、そこに座っていましたよ」
 楠田さんは、僕の衣服の前側の合わせを外して、はだけさせた。僕は手術する患者が着るような服を着させられていた。
「松下さん、あなた下の名前はなんていうんですか?」
「どうして、それを知る必要があるんですか」
「いやね、パッケージにイニシャルを入れないと、どれが誰のものだか分からなくなってしまうでしょう」
 やはり、あの肉はただの肉ではなかった。
「そうです。あれは人間の肉です。とはいえね、ちょっといただくだけですよ。ほら、この部位」楠田さんは僕の右の脇腹を撫でた。体は動かせないが、わずかに触られた感触がある。「レバー、肝臓ですね。肝臓は多少切り取っても元に戻る唯一の臓器です。だから問題ないでしょう」
「それで、ヴィーガンにする理由は?」
「だから言ったでしょう。食べたものが肉を作る。べつにベジタリアンでもいいんですよ。でも、動物性の食物を一切食べない方が肉の質がいいんです。彼らも様々だ。細かな違いをあげたらキリがない。だからね、人によって味が全然違う。そこが面白いんですよ」
「僕は……、肉を食べますよ」
「そうそう。で、あなたみたいに食生活を改めてくれない人がほとんどです。そりゃそうですね。そんな人たちのためにこの部屋がある」
 楠田さんは手を広げた。
「この機械ね」天井に吊られたアームから歯科医が治療に使うドリルのようなものが伸びている。「炭酸ガスのレーザーを照射する装置です。花粉症の治療で使用したことがありますか? それと同じように鼻の粘膜を焼くんです。これは治療じゃないですからね。もっと広く深く焼くんです。人の肉もね、焼けばあのにおいがするんです。そうです。美味しそうな焼肉のにおいです。四六時中、呼吸するたびに、自分の焼けた肉からそんな美味しそうな焼肉のにおいがしていたらね、誰だって嫌になるでしょう」
「そんなことで……」
「そんなことで肉食をやめるワケがないって? うーん、もちろんそれだけが目的じゃないですよ。身をもって体験してもらうのが早いですね」
 楠田さんは僕の横に置かれた点滴のようなものを操作する。その先は僕の体に繋がれている。
「さあ、松下さん、あなたの中を見せてください」
 力が一気に抜ける。暖かい液体が足を伝うのを感じた。

 ――松下さん、聞こえますね。うん、いいお返事です。
 ――今、鎮静剤を入れましたからね。これは使い方によっては自白剤としても使えるんですよ。まずね、私のことを誰かに話していませんか?
 ――え、記録をとっている? いけませんね。それは処分をしないと。11番のボックスの中にあるんですね。あはは、変わった趣味があるんですね。でも、私も松下さんと似たようなものかもしれませんね。
 ――お腹を開いて、その肉の質を見るときが一番ワクワクする瞬間です。私は質の良い肉、つまりヴィーガンやベジタリアンの肉しか食べませんがね。
 ――人の肉は高く売れるんですよ。どんな肉質だろうとね。だから松下さんが肉を食べようが食べまいがどっちでもいいんです。昨日今日の食生活の改善で肉質が急に変わるわけでもないですし。
 ――あー、ほら、まーつしーたさーん。完全に寝たらダメですよ。そうです、そうやって話し続けてください。
 ――うん。そうですよー。松下さんが人の秘密を勝手に覗こうとしたからいけないんですよー。

 因果応報、自業自得。
 そんな言葉が頭に浮かんでいた。
 僕がやっていた、人の隠された内側を覗く行為。
 それがどんなに趣味の悪いことか、僕はこの身をもって知ることとなった。
 長峰ながみね先輩、あなたの言った通りでした。
 隠し事のない人間なんていない。

 ――はい、では開いていきましょうね。

 それは、見られて困るものだから内側に隠しているのだ。

 了

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