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カレーをかける男 #辛口

辛口

 薄暗い居酒屋チェーン店で、テーブルを挟んで慎一は部長と対面して座っていた。
 二人の間には緊張感が漂っていた。
 部長から「相談があるの。ちょっと付き合ってくれないかな、国崎くん」と誘われていた。相談とはなんだろうか。
 氷がたくさん入ったジョッキのレモンサワーを、部長はこくこくと飲んだ。あまりお酒は強くないらしい。薄い化粧の奥で頬が赤く染まっている。
「それで、今日もカレーは?」部長がきいた。
「はい。今日も社長に」
「全部?」
「はい。残らず全部」
「そう……」
 慎一はジョッキに入ったビールに口をつけた。苦い。何度口に運んでも少しも減らない。
 社長にカレーを捧げることが日課になってしまったきっかけは、数日前の出来事にさかのぼる。

 慎一がいつものように出社すると、パーテーションの向こう側から言い争いのような声が聞こえてきた。
「こんな、詐欺みたいな方法でユーザーを課金させて、こんな……、いつか訴えられますよ」
 それは部長の声だった。
「詐欺なんかじゃねぇだろ。ちゃんとオペレーターが楽しい時間を提供してるじゃねーか。夢を売ってんの」
 もう一人は社長だ。
「オペレーターって……、要はサクラでしょう」
「サクラじゃねえよ。たまたまここにいるだけだ。よそでやるのと、ここでやるのに違いはあるか?」
「課金履歴から、ユーザー間のやり取りまで筒抜けでしょう。これをサクラと言わずになにをサクラと言うんです」
 慎一はパーテーションから顔を出して中を覗き込んだ。壁際の社長のデスクの前に部長が立っていた。
「だからよお、ユーザーをそっちに分けてやるって言ってるだろ。お前も同じやり方で重課金ユーザーを囲わないと大ゴケするぞ」
 社長はネクタイを緩めてシャツの袖を捲った。かっかして熱を帯びているのが分かる。
「いりません。やめてください。新規からユーザーを育ててみせます。まっとうな方法で」
「うまくいくわけねーだろ。お前そんなだからいつまでたっても……」
「いつまでたっても……、なんですか?」
「ああん」社長はニヤリと笑う。「誰ももらってくれねえんじゃねえか」
「もらうもらわないって、女性はモノじゃありません」
「そうは言ってねえよ。女は家を守るもんだ。〝嫁〟ってね。会社は男が守る。女が仕事に口出しすんなよな」
「っんとに……。私はね、社会に迷惑をかける仕事を仕事とは思いません」
「生意気言いやがって。お前もオペレーター上がりだろうが。ロクに稼げねえくせに、オヤジに気に入られてるからって……」
 慎一は駆け出していた。
 それは一瞬の出来事だった。
「え、国崎くん」
 部長が驚いた顔で慎一を見ている。
「おい」
 社長もギラリとした目で慎一を見る。
「その、ケンカはやめましょう」
 慎一は震える声で訴えた。
「いや、これはなんだ?」
 社長は頭から滴り落ちるペーストを指して言った。
「はい。その、カレーです」
 カレーだった。
 慎一は、社長の頭に水筒のカレーをかけていた。
 部長に食べてもらおうと思っていたわけではない。それでも、彼女の好みの辛口に仕上げたカレーだった。それを、社長の頭に残らずかけていた。

 それは大事件だった。
 混乱の中、慎一は警察に連行されオフィスは騒然となった。
 慎一は外部と連絡をとる手段を絶たれ、三日間警察署に勾留されることとなった。
 しかし三日後、事態は急展開を見せた。
 被害届が取り下げられ、慎一は解放されることとなった。
 身元引受人は部長だった。

「それで今日も社長の頭に?」
 部長がレモンサワーを飲み干した。目がトロンとしている。
「はい。社長の頭に」
「全部?」
「はい。残らず全部かけました」
「意外ね」
「はい。でも、実際効果があるようなんです。見ましたか?」
「ええ。社長とは古い付き合いだけど、若返ったみたい」
 社長が被害届を取り下げたのは、慎一のカレーが頭部に育毛効果を与えたからだった。
 それから毎日、社長の頭に特製の辛口カレーをかけている。社長の薄くなっていた頭頂部は、見事に丈夫な毛が生え揃った。社長はゴキゲンだ。
「なんだか不思議。任された新規事業もウソみたいにうまくいってる」
「それで部長、相談というのは?」
「うーん? うん。なんだっけ」
 部長はテーブルに腕を投げ出し、その上に顔をうずめた。酒が回ってきたのだろうか。いつまでたっても彼女は〝相談事〟とやらを話さなかった。
「僕も相談があります」
「うーん?」
「せっかく誘ってもらって、今の新しい仕事に関わらせてもらっていますが、きっと部長に迷惑をかけてしまいますよ」
「なんでよ」
「カレーを……」
「カレー?」
「かけてしまうからです」
「かけなければいいじゃない」
 それはそうだ。かけなければいい。
「そんな簡単な問題じゃないんです」
「うーん……」
「付き合っていた彼女も、それが原因で別れました。前の仕事も、それで辞めました」
 部長は目を閉じて、スウスウと呼吸をしている。
「部長? 寝ちゃダメですよ。もう帰りましょう」
「私に……、かければいいじゃない」部長は寝言のように言った。
「部長、帰りましょう」
 慎一はタクシーを手配した。

 つづく

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