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怪獣のバラード

 真っ赤な太陽が沈む砂漠。それは多様な生命と文化が息づく紅藍こうらん大陸の中心に鎮座していた。
 世界の中心の砂漠は輪廻の砂漠と呼ばれ、この砂漠では、生命が流転るてんするといわれている。
 そこに巣食う生物は、例えば流砂をつくる土竜もぐらや、水に似た音響擬態を発生させるむしなど不思議なものが数多あまたいるが、より人々の理解を超えたものは〝怪獣〟と呼ばれる。
 紅藍は大小様々な都市群が点在し、それぞれが輪廻の砂漠を横断する通商路を使用して交流する。
 砂漠の動脈ともいえる通商路の安全はキャラバン隊により守られているが、輪廻の砂漠はまるで異界、一筋縄ではいかない。
 キャラバン隊の隊長、すいいぶかしんでいた。
「静か過ぎるよな。お前もそう思うだろ?」翠が副隊長に言った。
「静かですね。来ますかな?」副隊長がこたえる。
「来るさ」
 真っ赤な太陽が沈んだ砂漠に夜が訪れる。砂が熱を放出し、すぐに冷え込む。満月の夜に砂漠は静寂に包まれていた。
「ここ数日は、奴もおとなしくしてますがね。きっと今日も」
 その副隊長の期待は裏切られた。突如として砂漠を震わせるような轟音が、待機していたキャラバン隊を駆け抜ける。それは怪獣の咆哮だった。
「準備しろ。吹き飛ばされんようにな」
 怪獣の姿は見えない。近くにはいないのだろうか。しかし、油断はできない。翠はキャラバン隊の陣形を変えるように指示を出した。
 すぐに砂漠の夜を切り裂く竜巻が発生した。砂や岩どころか、人さえも呑み込むような巨大な竜巻は、きまって怪獣の咆哮のあとに発生する。
 いつもなら手をこまねくだけのキャラバン隊だが、翠には作戦があった。
瑠璃るりを呼べ」

 瑠璃は頭を悩ませていた。
「楽団長、どう思いますか? この芋煮ですが、砂漠でとれたサボテンの実を加えるというのはどうでしょう?」
「サボテンの実?」楽団長は戸惑い気味に瑠璃の表情を見て、すぐに冗談のつもりなど少しもないと察したのか「まあ、確かにカサ増しにはなるだろうがね、ただ、皮を丁寧にかないと……」とさとすように言った。
「なるほど、では次回からそうさせてもらいます」
「次回から?」
「はい、もう入れてしまったので」
「君ね、『どうでしょう?』とか言ってなかった? で、味見はしたの?」
「ああ、そうか」瑠璃は手を叩き、うんうんとうなずいた。
 レードルで鍋の中のサボテンの実をすくうと、妙な粘り気がある。瑠璃は、その芋煮の汁を一口、口に含んだ。
「これは……、砂漠の味がします!」
「……」
 瑠璃は満足していた。予想外の苦味があったが、皆お腹が空いているだろう。量は多い方がいいに決まっている。
 芋煮を食器に取り分けようとした時、稲妻のような怪獣の咆哮が響き渡った。
「Kノおつか。竜巻が来るぞ、気をつけろ」
 楽団長の言葉通り、咆哮のあとに巨大な竜巻が発生した。
 瑠璃は芋煮にふたをした。これは命に替えても守らないといけない。
「音楽隊の瑠璃はいるか」隊員が駆け寄り、瑠璃を呼んだ。
「あ、はい、ここに」
「隊長が呼んでいる。作戦は聞いているな」

 瑠璃は、見晴らしのいい丘の上に立った。
 のついた棒の先に、小さな鈴がたくさんついたスレイベルという楽器を持っている。
 砂漠に現れる怪獣、Kノ乙について知られていることがある。
 Kノ乙は竜巻を起こすことができる。
 今回のように、巨大な竜巻を発生させ、砂漠の通商路を使用困難にさせていることから、商人達はキャラバン隊にKノ乙の駆除を依頼していた。
 そして、Kノ乙は鈴の音に反応する。
 元々ラクダにつけていた駝鈴だれいに反応するのを、キャラバン隊の隊員が発見した。
 瑠璃はスレイベルを逆手さかてに持ち、反対の手で、それを持った手を叩き、鈴の音を鳴らした。シャンシャンときらびやかな音が砂漠に響く。
 竜巻は、幸いキャラバン隊かられて消えた。しかし、いつ次の竜巻が発せられるか分からない。そのために作戦を成功させないといけない。
 なぜ、Kノ乙を誘い出すために瑠璃が矢面やおもてに立つことになったのか。音楽隊で、鈴を鳴らす担当だったから。それもある。それもあるが、本当の理由は、自分がキャラバン隊のお荷物だからだと瑠璃は考えた。
 小さい頃から、何をやっても人より上手くできたためしがなかった。やっと入れたキャラバン隊で、音楽隊に配属させてもらったが、何度練習しても何の楽器も弾けなかった。もともとスレイベルを担当していた人は太鼓と兼任していたが、仕方なく瑠璃にスレイベルの担当を譲った。
 危険な作戦だったが、瑠璃は嬉しかった。やっと人の役に立てると思ったからだ。
 商人だった両親は、通商路に発生した竜巻に巻き込まれた。その時、瑠璃だけが運良くキャラバン隊に助けられた。瑠璃を助けたのは、翠だった。
 精悍せいかんな翠は、瑠璃の憧れだった。
 今回の作戦は翠から直接提案されたものだ。
「奴をおびき出すだけでいい。その後は任せろ。絶対に助ける」
 翠はそう言ったが、瑠璃は多分自分は助からないのではないかと思った。翠は不撓ふとうの男であり、不屈の男であり、任務を遂行するためならなんでもやる男だからだ。
 スレイベルの鈴の音に返事をするように、怪獣の咆哮が聞こえた。さっきよりも距離が近い。
 やがて、その影が向こうの砂漠の丘から現れた。満月に照らされると、その像は次第に鮮明になる。
 Kノ乙だ。

 作戦では、瑠璃はKノ乙を罠の前まで誘い込むことになっていた。
 スレイベルの鈴の音に引かれるように、Kノ乙はゆっくりと近づいてくる。近くで見ると、その巨体は更に大きく見える。
 近くで風が逆巻く音が聞こえた。新たな竜巻が発生したのだ。
 ここも危ない。しかし、瑠璃は逃げるわけにはいかなかった。もう少し、あと二歩でKノ乙は罠に足を踏み入れる。
 その時、月明かりに照らされたKノ乙の顔がはっきりと見えた。頬に流れるそれは月光をキラキラと反射させた。涙を流している?
 竜巻が近くで荒れ狂う中、逃げようとしない瑠璃をKノ乙はじっと見つめていた。見守っていると言ってもいい。その目に、瑠璃は何か意思のようなものを感じ取った。一言で言えば、それは慈愛だった。
 あと一歩。
「来ちゃだめ!」瑠璃は両手を出してKノ乙に訴えかけた。
 その瞬間、周囲の砂漠の丘から弓を構えたキャラバン隊が飛び出した。翠が先陣を切っている。
「瑠璃、何をやっている!」翠が叫んだ。
「この子、敵意がありません!」
 キャラバン隊の構えた弓は弦がギリギリと極限まで引かれ、今まさに放たれようとしている。
「どけ! つぞ」
 Kノ乙がゆらりと歩を進めた。
「だめ! ああ!」
 瑠璃は砂塵に呑まれていく。Kノ乙を止めようとして、自ら罠に足を踏み入れてしまったのだ。
 視界が完全に闇に包まれようとする寸前、「やめろ、射つな!」と叫ぶ翠の声を聞いた。
 自分の身体が感覚を失いつつあるその時も、瑠璃は思った。「ああ、これが本当の砂漠の味か」と。

 遠くで鈴の音が聞こえる。
 あれは、キャラバン隊の……駝鈴。ここは?
「目を覚ましたようですね」
 声の方を見ると、目に飛び込んできたのは、見慣れた景色とは全く異なる世界だった。視界は広がりを感じさせ、色彩も以前とは違う鮮やかさに満ちている。しかし、具体的に何がどう違うのか、言葉にするのは難しい。
 話しかけてくれたのは、明らかに人間の声ではない。それにもかかわらず、不思議と意味は理解できる。声は温かく、どこか懐かしさを感じさせた。
「混乱しているようですね。でも、きっと大丈夫」
 何を見ているのか、誰が話しているのか、まだ分からない。ただ、自分の体が以前とは明らかに異なる重さと大きさを感じていることだけは確かだった。視界の端に、自らの体の一部が映り込む。しかし、それが何なのかを認識するのは難しく、混乱を深めるばかりだった。
「ゆっくりと、周りを見てみてください。驚かないで」
 この声は、どこかで聞いたことがあるような……。いや、それ以上に親しみを感じる。しかし、その理由をまだ把握できずにいた。
 周囲を見渡すと、砂漠の景色が広がっているが、今まで見たことのない高さに違和感を感じる。視線は徐々に自分自身に向けられる。その瞬間、何か大きな変化が起きていることを漠然と感じ取った。
「自分の名前は思い出せますか?」
「名前? 私は……、瑠璃」
 そうだ、あの時罠に自らかかって砂漠に呑み込まれた。
「あなたは?」
「私に名前はありません。ただ、人間たちは私のことを……」
「Kノ乙」
「そう呼びますね」
 意識が徐々に鮮明になる。確かに目の前にいるのはKノ乙だ。しかし、その大きさは以前感じたものより小さく感じる。自分自身がKノ乙の大きさに近づいたのだ。
「私、怪獣になっちゃった」
「ここは輪廻の砂漠、生命の坩堝るつぼ、砂に呑み込まれたものは、生を流転するといわれています」
「じゃあ、あなたも?」
「私は……、どうなんでしょう。ずっと昔からこの砂漠に暮らしていた気がします」
「やだ、私、あなたのこと子どもの怪獣だと思ってたみたい。ずっと先輩なのね」
「子ども? ああ、守られるものたちのことですね。そういう意味では、私は子どもではありません。どちらかといえば、私は……」
「あなたが守ってくれてたんでしょう、私たちを」
「どうでしょう。人間は私を怖がってしまう。それが分かっているのに、人間が愛おしい」
 瑠璃はKノ乙に触れた。ざらりとした表皮は岩石のように硬い。しかし、その心はなんて繊細なんだろう。
「あなたが、私を助けてここまで連れてきてくれたのね」
「それでも結局、私は瑠璃を助けられませんでした。ここに連れてきた時には、もう人間の姿を失っていました」
 瑠璃はKノ乙の瞳を覗き込んだ。宝石のような瞳に反射するのは、怪獣の姿になった自分だ。
「ねえ、あなたに名前をつけてもいいかな?」
「名前?」
そうなんてどう? 心が穏やかになる色の名前よ」
「そう? 蒼」
 瑠璃は、もう字というものが書けない。それでも瑠璃たちの間では、その言葉の意味するものを理解し、共有することができた。
「いい名前でしょ?」
「はい。なぜか分からないですが、懐かしい感じがします。ありがとう、瑠璃」
 蒼は笑った。それが瑠璃には分かる。
 その時、瑠璃は大気に生じるわずかな異変を感じ取った。怪獣になった今、自然現象を敏感に感じ取ることができるようになった。
「これは……、キャラバン隊が危ない」

 キャラバン隊はすぐに見つけることができた。
 感覚が恐ろしく研ぎ澄まされている。
 丘の陰から瑠璃と蒼が姿を現すと、キャラバン隊は騒然とした。
 隊の先頭にいた翠は、まっすぐに瑠璃を見た。
「もうすぐ竜巻が発生します。ここを離れてください!」
 瑠璃は叫んだ。しかし、それは人間の言葉ではなかった。今なら分かる。蒼は、竜巻が発生するのを教えてくれていたのだ。
「怪獣が二匹……、あれはまさか……」副隊長が瑠璃を見て、何かを言いかけたが、それを翠が制する。「Kノへいだ」「え?」「Kノ丙だ。射て」「しかし……」
 翠が弓を構えた。かぶら矢だ。
 弦を引いたまま翠は言った。誰にとは言わず語りかける。「紅藍を囲う海に行け」つぶやくような声だが、瑠璃にはしっかり届いていた。「鏡の海だ。真実を映す海だと言われている」
 翠は鏑矢を空に向かって放つ。
 鏑矢を合図にキャラバン隊は、瑠璃と蒼に向かって無数の矢を射った。
「瑠璃、一度引きましょう」蒼が叫ぶ。
 矢の雨が降るなか、瑠璃は翠を見た。翠も瑠璃を見る。その目に曇りはない。
 瑠璃と蒼はキャラバン隊から離れた。まるで馬のような速度で走ることができる。
 瑠璃は背後で発生しようとしている竜巻が気掛かりだった。翠やキャラバン隊のことを想う。どうか無事で。
 人間は言葉を自在に操るが、本心で通じ合うことの難しさを瑠璃は知っている。その社会は熟れに熟れて、本音と建前がどろどろに混ざり合ってしまっている。怪獣になって人間の言葉を失ってしまったが、その尊さが今なら分かる。
 瑠璃は思った。私はまだ幸せだ。蒼がいる。感情を本当の意味で共有することができる。蒼は今まで寂しくなかったのだろうか。
 充分にキャラバン隊から離れたが、二人はその足を止めなかった。
「どこに向かっているんですか?」蒼がたずねる。
「海に行こう」
「海?」
「大陸は海が囲ってるんだって」
「でも、彼らが……、それに砂漠も」
「うん、きっと大丈夫。砂漠はキャラバン隊が守るよ」
 瑠璃は蒼を導きたいと思った。翠がキャラバン隊を導くように。
「海で何をするつもりですか?」
「さあ、どうしようか?」
「さあって……」
「蒼はなにかやりたいことはないの? 鏡の海は真実を映すんだってさ。せっかくだから、本当にやりたいことをやろうよ」
「本当にやりたいこと……。私は砂漠で奏でられる音楽が好きでした」
「へえ、私、音楽隊だったんだよ。楽器は何も弾けなかったけど」
「それなら歌いましょう」
「歌! いいね。思いっきり歌おう」
 二人はあてもなく走った。
 大きな足跡が砂漠に残り、やがて風がそれを消し去る。
 東に新しい太陽が燃える。

 了


※この物語は、岡田冨美子ふみこさん作詞、東海林しょうじおさむさん作曲の「怪獣のバラード」をモチーフにしたショートストーリーです。

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