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蘇生死刑 #5/9

 ツダコウシ物語、あかつき

 私の父は警察官だった。
 父は口癖のように、「ルールは守らないといけない」と言っていた。
 しかし、父は死んだ。ルールを遵守しようとして殺された。私が小学三年生のときだ。
 迫り来る犯罪者相手に、正当な手順での拳銃の使用を試み、凶刃に遅れをとってしまったらしい。
 父の上司にこっそり教えてもらったことだったが、なぜかそれは周知のことだった。
 道徳の授業で、私の父の行動は正しかったのかどうか、是非ぜひを問う一幕があった。
「教科書を閉じなさい」先生はそう言って、私たち生徒に教科書を閉じさせた。
 そんなもので、道徳は学べません、と。
「いいですか。悪いことをしたら、神様が見ています。誰も見ていなくても、神様は見ている。だから、ルールを守らなければいけないんです」
 ――たとえ、死んでも。
 先生は、二つの選択肢を提示した。
 一、ルールを守って命を落とす。
 二、ルールを破って生き延びる。
 なにを血迷ったか、私たちに、どちらか正しいと思う方に匿名で票を入れさせ、多数決をとるというのだ。
「誰が、どちらに入れたか分かりませんが、神様は見ています」先生は念を押した。
 開票されると、黒板に板書ばんしょされた選択肢のうち、一の下に〝正〟の字がいくつも並んだ。
 ツダ君のお父さんは、正しい行いをして死にました。パチパチパチ。
 私は、どちらの選択肢も選ばなかった。死のきわに、その二つしか選択肢がなかったのだとしたら、それに至るプランニング、父の人生設計そのものに、そもそも問題があったのだ。
 父の死は美談として語られるが、善だの悪だの判断は無意味で、結局そこには、殺された人間と殺した人間がいるだけだ。
 私が投票用紙に書いたのは、三。
 三、ルールを破って殺す。
 できるなら、相手の運命を操る側でいたい。

 私には、友達がいた。
 五年生のときのクラスメイトのナカタニ君だ。
 ナカタニ君は、話すときに鼻をフンと鳴らす癖がある。そのことを他のクラスメイトに揶揄からかわれても、本人は気が付かない。無意識でやっているようだ。
 ナカタニ君は、テストでカンニングをするし、ドッジボールでは、逃げ回るくせに、たまにボールが回ってくると女子ばかりを狙う。下級生をいじめるくせに、ケンカが強い同級生にはペコペコしている。近所の駄菓子屋で万引きをするし、蟻の行列を見つけたら踏みつけないと気がすまない。そんな普通の小学生だ。
 ナカタニ君は、神仏というものを独特な価値観で捉えている。
「なあ、ツダ。神様って信じてる?」
「信じてるよ」
「フン。神様ってのは、人間が作ったの。弱い奴らが自分たちを正当化するために、都合よく作ったの。自分たちに都合のいい判定を下すホームグラウンドの審判みたいなもんだ」
「そうは、思えないけどな」
 ナカタニ君は、フンフン言って笑った。
 ナカタニ君は、神様を信じていないことをイケテルと思っている節がある。それでも、弱い奴側の彼が、神様にすがらないのは、ナカタニ君なりの矜持きょうじがあるのかもしれない。もしくは、自分が弱い奴側の人間だ、という認識がないか。
 ナカタニ君は、度胸試しをしようぜ、と切り出した。なぜ?
「お前が、神様にビビってダセーからだよ。そんなの、いないってことを証明してやるよ」
 別の日、私とナカタニ君は、教室に二人きりでいた。体育の授業で、クラスメイトは体育館に移動していた。
「いいか、クラスで一番のブスのトノベのリコーダーをどっちが顔に近づけられるか勝負だ」
 なぜ? あまりにのくだらない提案に辟易へきえきする。とはいえ、私には、ある予感があった。それを試したい衝動に駆られる。トノベさんが、どんな顔をしていたか思い出せなかったが、ナカタニ君の遊びにつきあってあげることにした。
 こうして、世界で一番醜いチキンレースが始まった。
 ナカタニ君は、さっそくトノベさんのリコーダーを顔に近づけて、フンフン鼻を鳴らした。
「くせー!」
 ナカタニ君は、口を押さえ、転げ回る。
 ――ただいまのナカタニ君の記録、2センチメートル。
 私の番だ。
 ゆっくり、リコーダーを顔に近づける。
 ――現在の記録、2センチメートル。ナカタニ君の記録と並びました。
 ナカタニ君と同じように、息を吹く部分をフンフン嗅いだ。ツンと、唾液の乾いたにおいがした。
 そのとき、暗い教室に後光が指すように、明るく輝く瞬間を見た。漂うホコリに当たった光が、拡散してきらめく。私には、確かにそのように見えた。
 ある予感は確信に変わる。
 私は、トノベさんのリコーダーの先端部分を口の中に入れて、ベロベロと舐め回した。
 そして、そのまま、キリマンジェロを吹いた。
 ナカタニ君は、なにかをわめきながら教室から出て行ったが、そんなことは、どうでもよかった。
 私の周囲は神々こうごうしい空気に包まれていた。具体的には、サイゼリヤのに飾られた絵のような雰囲気だ。
 ああ、やはり神様はいる。
 贅沢な時間を充分堪能したあと、私は体育の授業に遅れて参加した。
 体育の授業のあと、教室は騒然としていた。トノベさんのリコーダーがナカタニ君の机の上に置かれていたからだ。置いたのは、私だ。
 そこで初めて、私はトノベさんの顔を認識した。それぞれのパーツが絶妙に整い、テレビかなにかで見たアイドルのようだと思った。
 トノベさんのリコーダーをナカタニ君がフンフン嗅いでいたことを、私は教えてあげた。
 教室はひっくり返った。トノベさんは泣き出し、ナカタニ君も泣いた。
 ナカタニ君は、私がトノベさんのリコーダーをベロベロ舐め回していたことを声高に訴えたが、彼の言うことなど誰も聞かなかった。
 神様はいる。
 こんなに完璧な世界が、自然にできあがるはずがないからだ。
 神様はいる。しかし、審判などしない。
 ただ、見ているだけだ。

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