見出し画像

過去を写すポラロイド #1/7

 静かな夜、月明かりが薄く照らす竹林の中で、一人の男が黙々とシャベルを動かしていた。
 シャベルが土に突き刺さり、しっとりとした音が響く。湿った土の感触が指先に伝わり、掘り返された土のにおいが鼻をつく。男は汗を流しながら、静かに作業を続けていた。
 男の顔は影に隠れ、表情は読み取れない。だが、その動作には確かな決意が感じられる。
 月光が手元を照らし出すが、すぐに闇が包み込む。男は無言のままシャベルを振り下ろし、土を動かす。作業は一心不乱に続けられ、その手つきはどこかぎこちない。不安が混じっているようにも見えるが、決して止まることはない。
 土には石が混ざっているようで、シャベルがそれに当たるとカチンと鋭く響く音がする。汗が額を流れ落ち、その作業の過酷さを物語る。男の手は泥まみれになっていた。男は一度手を止め、深い息をついた。そのままの姿勢で、何かを考えているようだった。
「ああ、やっぱり」
 男は呟き、再びシャベルを動かし作業を続けた。竹林の葉の隙間から月光が降り注ぎ、土の色が一瞬だけ見えたが、その後すぐに闇がそれを飲み込んだ。
 やがて、男は作業を終えたかのように立ち上がり、シャベルを地面に突き立てた。
 竹林のサワサワと葉が揺れる音に混じり、カメラのシャッターが切られるような音が響いた。

 いやな夢をみた。
 においや風の湿り気が妙に生々しく感覚にこびりつき、それでいて具体的な内容は抜け落ち、精彩を欠いている。喉が渇いていた。顔も洗いたい。
 ケイゴは起き抜けに、ぼんやりとした頭のまま部屋の中を歩き回った。散々歩き回って、再びベッドに戻るとゆっくり腰を下ろした。
 なにも思い出せない。
 夢の内容ではなく、自分がなぜこの部屋で目覚めたのか、自分が何者なのかを思い出せなかった。
 それでもきっと、この部屋は自分のものだ。アームチェアの座り心地、パソコンを起動させるパスワードを体が覚えている。
 ふいに、ベッド横のナイトテーブルに置かれたカメラが気になり、ケイゴは手を伸ばした。そのカメラは一目で古びていると分かるポラロイドカメラだった。ボディにはところどころ擦り傷があり、長い年月を経てきたことを物語っている。レンズの周りには微かな曇りが見えるが、それでもしっかりとした存在感を放っていた。
 ポラロイドカメラはアメリカのポラロイド社のカメラで、撮った写真がその場で現像されるインスタントカメラだ。
 ケイゴはファインダーを覗き、自然な動作でシャッターボタンを押し込んだ。体がその動きを覚えているかのように、何の違和感もなく操作できた。
 シャッター音はメカニカルな響きを伴い、古い機械独特の音を奏でた。フィルムが機体の前面から排出されると、ケイゴはそれを手に取り、まじまじと見つめた。
 フィルムの像が浮き出る部分はまだ灰色で、表面の光沢に蛍光灯の光が反射している。インスタントとはいえ、完全に現像されるのに時間がかかる。
 ゆっくり記憶に焼き付けるように、フィルムに像が映し出されていく。この時間が、もどかしくも懐かしく思う。
 このカメラはおそらく自分のものだ。それにこの部屋も。カメラの重さや質感、ボタンの形状、部屋の間取り、ベッドのスプリングのへたり、カーテンのにおい。記憶にはなくとも体が覚えている。では、洗面台にある二本の歯ブラシやクレンジングオイルはなんだ。
 ケイゴは部屋にある大きなクローゼットの中身を確認しようとした。中にある服が自分に合うか確かめたかったのだ。もし自分のサイズにぴったり合う服があれば、この部屋がケイゴのものだという信憑性しんぴょうせいが高まる。しかし、クローゼットの扉は開かなかった。
 あれこれ考えていると、フィルムの現像はほぼ終わっていた。
 何気なく撮った部屋の写真だった。構図もなにもあったものではない。
 しかし、ケイゴはその写真に釘付けになる。気がつくと涙を流していた。
 写真に女性が写っている。
 こちらに優しく微笑む女性の姿が、そのフィルムに収められていた。もちろん、その場所に女性などいない。
 写真を見た瞬間、ケイゴの感情は大きく揺さぶられた。不可解なものにふれた動揺ではなく、写真の女性に対する懐かしさや親しみからくる情動だ。自然と溢れる涙がそれを証明していた。

過去を写すポラロイド #3/7

過去を写すポラロイド #4/7

過去を写すポラロイド #5/7

過去を写すポラロイド #6/7

過去を写すポラロイド #7/7

過去を写すポラロイド #EX 竹の花

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?