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蘇生死刑 #8/9

 吹き出る汗で枕を濡らしていた。
 なんだ、この吐き気をもよおすイメージは。夢のような、いや、それよりもずっと生々しい。
 粘膜から直接血中に溶け込むように、それは強引に私の中に吸収されていく。
「目覚めたな。どうだね、少しは何か思い出したかね?」
 コーダと名乗った男は、ベッドに横たわる私のすぐ近くにいた。
「おも、思い出す? なんだ、あれは。気味の悪い。梅毒を意図的に感染うつすとか、それに、肉親を標本にするとか」
「そうだろう。だが、それは君の記憶だ」
「私の? そんな、まさか……」
「否定したい気持ちも分かるが、紛れもなく君が体験した記憶だ。自分の体にきいてみたらどうだ。脳は記憶していなくとも、体は覚えているだろう」
 体……。手のひらに残る、ジンジンと鼓動に合わせて熱くなる感覚を、今はもうないその手のひらの感触をたよりに、思い出そうとしてみる。これが、本当に私の体の記憶ならば、それができるはずだ。
 少しずつ、灰色の記憶は、その本来の色やにおい、温度、重さを取り戻していく。
 重い、重い斧。そうだ、私は斧を振り下ろしていた。皮膚を突き破り、刃が骨に食い込む。それを引き抜いて、また振り下ろす。その度に吹き出す血の生温かさと粘度を覚えている。実に不快だ。
 鉄の支柱に巻き付いているのは、ボロ雑巾のように見えるが、私の叔父だ。キイキイと、金切り声を上げる。もう人間の言葉を話すことができない。
 かすみの中の私は、ひどく苛立いらだっていた。人体を切り分ける、なんてことが簡単にできるはずがなかったのだ。骨を切断するのに用意した道具は試行錯誤の末に、のこぎりまき割り用のなたや斧に絞られた。
 しかし、それらは繊細な作業には向かず、いたずらに叔父をミンチにして、その命を絶ってしまった。
 いつか嗅いだ血と薬品のにおいは、より鮮明な覚醒への手掛かりとなる。嗅覚により刷り込まれた記憶は、サケが遡上そじょう母川回帰ぼせんかいきするように、あのときのあの場所、つまりは山小屋へ私を導いた。
 間違いない。認めたくないが、これは私の体の記憶だ。
「そんな。私は……なぜ、あんなことを」
「まさに鬼畜の所業とな」
 実際そうだろう。私が、そんなことをしていたなんて。どうして償えばいいんだ。……つぐない?
「私のこの体は? これは私への罰なのか?」
「ふむ。Zは捕まっていない、私はそう言ったね」
 私は、首をこくりと動かし、うなずく仕草を示した。
「ツダ君、君の梅毒は第四期まで進行している。しかもその中でも特に末期だ。つまり、君は勾留に耐えられる状態にないと判断されたんだ」
「じゃあ……この……」
「君のその体の手術痕は、梅毒によって壊死えしした部分を切り離したことによりついたものだ。つまり君を治療した結果だ」
「そんな……なぜ生かしたんだ? あんな、あんなことをしている私を」
「そこだよ。君の今の状態がそれに繋がっている。さぁ、本題に入ろうか」
 マスクの下は、笑っているだろうか。怒っているようにも見えなくもない。
「生かした……というのは違うな。君は、この国が誇る最高峰の治療を受けたが、その甲斐かいも虚しく死んだんだ」
「死んだ? そんなまさか」
「確かに死んだとも。梅毒に脳を侵されてね。だから治療どころか、君は蘇生させられている」
「蘇生? そんなことが可能なのか?」
「何でもかんでもってわけではないがね。例えば君の叔父さんのようにめちゃくちゃにされたら無理だな」
「ああ……」
 叔父の顔は思い出せなかったが、ぐちゃぐちゃに切り刻んだことは、この体が覚えている。
 私が手にかけた人は、陰惨いんさんな死を迎え、私自身はまだ生きているなんて。
「これは、まあ私の手心のようなものだが、君、最後に食べたいものはないかね? なんでも言ってみなさい。可能な限り用意しよう。ただし、用意したうえで、擦り潰してゼリーにしなければならないがね。君の体は、もう固形物を消化することができない」
 私は首を振った。いらない。「なぜ……、そんなことを、蘇生なんかしたんだ」
「なぜ?」コーダの影が大きくなる。「なぜだと?」
 この体の違和感について、私は考えていた。
 ずっと前、話すこともできず体の自由がきかない私に、コーダは『じきに馴染なじむ』と言った。馴染む? 深く考えようとすると、頭がズキンと痛む。
「なぜそんなことをしたのかというとね、君、人は放っておいても勝手に死ぬんだ――」
 頭、というよりは、もっと内側、痛覚があろうとなかろうと、とにかく脳が痛い。
「それで、君が死んで、この件は終わり――」
 脳が体を拒否している。
「そんなわけないよな。それじゃ被害者や遺族は報われんだろう。お前、何人殺したと思っているんだ――」
 涙が頬を流れた。目尻が焼けるように熱い。
「お前はまだ、罰を受けていない。償いはそれからだ――」
 そうか、やっと分かった。この体は私のものではない。
「蘇生死刑を執行する」

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