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マシーナリーとも子ALPHA 真夜中の食いしん坊篇

 その夜も錫杖は居酒屋に忍び込んだ。この通りには他にラーメン屋やバーもあったが、結局食べ物を漁るのについてはこの居酒屋がいちばんちょうど良かった。ラーメン屋には漬けてあるチャーシューくらいしか作り置きがないし、バーは乾き物や塩漬けの肉、クラッカーなどいかにも酒のともというようなものばかり。それに夜中でも人がいることが多いので忍び込む機会自体があまりなかった。
 その点この居酒屋は22時には閉まるし、煮物や焼き物の余りがよく冷蔵庫に詰められていた。昨日なんかは鴨のローストが入っていた。アレはうまかった。
 しかしそもそも、鎖鎌が30万円を持って消えなければこんな困窮はしなかったのだ。あの子は金に目が無いタイプじゃないから持ち逃げしたわけじゃないのはわかってる。だから恨んでるわけじゃあないが、それとこの状況を受け入れられるかどうかは別だ。ハァ、せめてもっと治安が悪い禁酒法時代であればこんなコソコソせずに暴力に物を言わせて食べ物を手に入れられたのに。
 業務用冷蔵庫を開けると、中にはたっぷり仕込まれたがめ煮が入っていた。鶏肉とごぼう、れんこん、しいたけと大根を鷲掴みにして口に放り込む。口のなかにうま味が満ちる……。うまい……!
「動くな」
 後ろから冷たいもので首を挟まれ、錫杖はれんこんを喉に詰まらせそうになった。

***

 錫杖を鳴らして大胆に侵入した少女はスキだらけだった。前もって潜伏していたダークフォース前澤は駆動音を静め背後に忍び寄り、その首筋にトングを当てる。これが路上だったら殺してもいいのだが、ここは近所付き合いのある店の中である。それにこの少女が何者か尋問する必要もある。
「動くな」
 前澤はなるべく残忍な声を出すよう努めた。
「ングっ」
 少女はビクンと身を震わせ、音を立てて咀嚼していた煮物を飲み込んだ。途中、喉を詰まらせかけていたので前澤はため息をつきながら背中を軽く叩いてやった。
「ん、ング…………ッ、はぁ、かたじけない……」
「なにがかたじけない、だ泥棒野郎。下手に動くなよ。バカな真似をしようとすればこのトングがお前の首をペットボトルのキャップみたいに引っこ抜く」
「トング……?」
 少女は難儀そうに前を向いたまま首を後ろに回そうとする。
「アンタ、もしかしてサイボーグか?」
「だったらどうした……」
 前澤は少女の得物に目をやる。
「そのまま武器を離して両手を上にあげろ。抵抗はさせない」
「はいよ……」
 カラカラと音を立てて錫杖が少女の足元に落ちる。思ってたより素直な反応を示すな、と前澤は思った。ええと、このあとはどうやって拘束するんだっけ……。いつも殺してしまうから相手を捕縛する方法がパッと出てこないぞ。そうだ、手、手を縛って……。
「えーと……手を挙げたままこっちを向け」
「はいよ」
 少女がくるりと振り向く。そのとき前澤はあることに気づいた。少女の服装がどこか規則性を感じる整った服装であることに。学生服……もっと言えば鎖鎌の服に似ていることに。
 そんなことをぼんやり考えているうちに、対面の少女が口を開いた。
「怖い声してる割にかわいいカッコしてるね、アンタ」
「は?」
 ボーッとしてるところに意外な言葉を投げかけられた前澤は一瞬ひるんだ。その刹那、少女は左脚を少し上げ、大きく床を踏み込んだ。踏み込んだ先にあるのは……先ほど床に落とした得物、錫杖の柄の先だ!  テコのように踏み込まれた錫杖はクルクルと回転し空に舞う。
「しまっ……」
 己の迂闊を恥じながら前澤が左手のトングを突き出す! が、殺人兵器が対面する少女の首を掴むことは無かった。少女の手の中に戻った錫杖の長い柄が、トングの支点に交差するように差し込まれ、その攻撃を阻んでいたのだ! トングの勢いを殺しきれなかった前澤には硬直が発生! その隙を逃さず少女のケンカキックが前澤の脊髄フレームに叩き込まれた!
「んギャーッ!!!」
 前澤のサイボーグボディが30メートル吹っ飛び、厨房に山と積まれていた野菜や果物類を吹き飛ばす! 少女は錫杖をクルクルと扇風機のように数回転させると鐶を床に向けながら両手で構え、ファイティングスタイルを整えた!
「こちとらサイボーグ狩りは慣れてんだ……。参られい!」
 前澤は生鮮食品から這い出ながら、数日前の役所の出来事を思い出していた。いま、あの錫杖が微かに輝いたような気がする……?

***

 錫杖は残心を解かずに、サイボーグがのっそりと立ち上がるのを観察していた。明らかに構造が脆そうな胴体フレームを狙ってみたのだが、ダメージが通った様子は見えない。
 観察をする。両腕は格闘武器のようだ。左腕はさっき首に当てられたトング。掴まれるのはもちろんゴメンだが、刺突にも注意する必要があるだろう。右腕には……バウムクーヘンのようなものがセットされている。と、いうかバウムクーヘンなのか? 背部にはペッパーミルのようなランチャーユニットとこれ見よがしに巨大なミサイル。射撃武器はおそらくあれだけ。ビームやレーザーのたぐいは使わなそうだ。そして大きなミサイルはそのサイズからして一対一で使うような武器ではないと推測される。ということは背中右側にセットされたランチャーからの攻撃を捌けば接近戦に持ち込める。そして近づければリーチが長いぶんこちらが有利だ。
 錫杖は前澤のロケットランチャーに警戒を向ける。だが前澤にはロケット弾を発射するつもりは無かった。当然だ、ご近所さんの店の中で爆発を起こすわけにはいかない。手早く接近戦で制圧してこの場を収める。これしかない。
 前澤は少し前かがみになると、脚部側面外側のカバーを展開、内部の擬似徳スラスターユニットを露出させる。バウムクーヘンが回ったことにより得られた擬似徳がエネルギーに変換され、スラスターに満ちる……。
 前澤は少し浮くと、猛烈な勢いで錫杖に突っ込んだ。右腕を振りかぶり、バウムクーヘンオーブン先端に取り付けられたアームパンチ機構を作動させる。錫杖は少し驚いたが、すぐに気を取り直して前澤からの加速をつけた猛烈なインパクトを受け止め、振り払った。
「ウリャーッ!」
 前澤がサイボーグらしい正確な動きで両腕でラッシュを仕掛ける。対して錫杖は人間にしては不自然なほど機敏に錫杖を操り、前澤の攻撃を捌く。
 トング、アームパンチ、トング、蹴り、トング、アームパンチ、トング、パワーアーム、トング、蹴り、蹴り、アームパンチ。
 ありったけの攻撃をことごとく捌かれる。前澤は最初の数撃こそ相手の力量に驚いたが、やがて不自然なことに気づく。
 アームパンチ。トング。パワーアーム。トング、アームパンチ。
 やはり前澤の攻撃は捌かれる。だがこの攻防で前澤は確信を得た。右腕の攻撃に対しての反応がほんの一瞬遅い……!

***

 錫杖は参っていた。敵の攻撃は問題なく捌くことができる。油断しなければダメージを受ける心配は無い。無いのだが……彼女を甘美な誘惑が惑わせていた。右腕で攻撃される際、サイボーグの腕に取り付けられた回転体……焼かれているバウムクーヘンからあまりにも美味しそうな匂いが漂ってくるのだ。
 錫杖はこの数日間、ロクに食事も取れていない。だからこそこうして飲食店に侵入しては食べ物を漁っているのだ。錫杖は空腹だった。今日も朝と昼は抜いている。そんな状態で眼前にバターや砂糖の匂いがプゥンと漂う焼きたてのバウムクーヘンを差し出されたらどうだろうか。耐えられるわけがない。錫杖は攻撃を捌きながらツバを飲み込む。
 サイボーグが右腕を振りかぶりながら、上半身を180度回転させる。裏拳が来る! 錫杖は咄嗟に判断し、錫杖を顔の前に立てるように構えて裏拳を受け止める。するとバウムクーヘンがまさに目の前を通り過ぎ、それまでのパンチやフックの時とは比べ物にならないほどの芳香を漂わせた。
「んガッ」
 錫杖の中で冷静さを保つ糸が切れた。

***

「うおっ!?」
 それまで素早い攻防を繰り出していた前澤だったが、予想外の方向の力を受け、声を上げながらつんのめった。敵の少女が錫杖を脇にかかえ、両手で前澤のバウムクーヘンオーブンをひっ捕まえたのだ!
「ウガー!」
 少女が前澤の腕……もといバウムクーヘンに噛み付く!
「ああっ! コラやめろー!!」
 前澤は己の洞察力のなさを恥じた。そうだ、こいつは毎晩金には目もくれず食べ物を漁りに来るくらい腹を空かせているんだった……!
「うっま!!!!」
 味蕾を刺激され、少女の瞳がギラリと光る。次の瞬間、少女は焼かれているバウムクーヘンをその手に奪い、前澤を蹴り飛ばした!
「んギャーッ!!!」
 バウムクーヘンを食べられて力が出ない! 前澤のサイボーグボディが30メートル吹っ飛び、厨房に山と積まれていた野菜や果物類を吹き飛ばす!
「なにこれウマイ! すっげ~! ヨシ!!! 今日はこれくらいで勘弁してあげるわ! ペッ!」
「コッ、コラ! 待て~~ッ!!!」
 前澤は生鮮食品に埋もれながら、少女が走り去るのを目で追うことしかできなかった。
「痛ッ」
 遅れて崩れたカボチャが前澤の頭に落ち、割れた。

***

「人間ごときに不甲斐ない戦いをして本当に申し訳ない……」
 前澤が頭を下げる。
「まあ、用心棒がいるかもってなったらそのドロボウももう来なぇよ。気にすんなよ」
 エアバースト吉村は前澤に目を合わせずに慰める。雀将のネット対戦で忙しいのだ。
「でも、その人間強いなあ。重火器とか持ってなかったんだろ?」
「ええ……。先端にジャラジャラ鳴る輪のついた杖を。かなりの腕前でした」
「えっ!?」
 部屋の端で前澤のバウムクーヘンをむしゃむしゃ食べていた鎖鎌が素っ頓狂な声をあげてバウムを落とす。
「おい! 私のバウムクーヘンを落とすなもったいない!」
「それ……その武器、もしかしたら錫杖……!?」
 珍しく真剣そうな声を出す鎖鎌を見て、前澤はふと思い出す。
「ン……そういえば、アイツは鎖鎌によく似た服を着ていたな……」
「!! 錫杖ちゃん……!」
 間違いない……! 鎖鎌はとっさに駆け出した。いっしょにこの時代にきたはずの錫杖ちゃん、いつもいっしょに通学してた錫杖ちゃん、いちばんサイボーグ狩りのスタイルが合っていた錫杖ちゃん……!
 ミスTからもらった30万円はとっくに使い切っちゃったけど、ずっと会いたかったんだよ錫杖ちゃん……!
 シンギュラリティホールを飛び出し、大通りに出る。今日も池袋には数え切れないほどの人が闊歩している。
 この中のどこかに、錫杖ちゃんがいる……!
 鎖鎌は動き続ける池袋の人混みを、しばらく眺めていた。あの日はぐれた友のことを思い出しながら……。

***

「あぁ~……ひもじい。もうあの店にはサイボーグがいるかもしれないから近づきたくないしなあ」
 池袋の裏通りで錫杖は腹を空かせていた。こうなったらそのへんのチャラい兄ちゃんでも襲うか。錫杖を地について屈み込み、大きくため息をつく。ハァ~~、やっぱり禁酒法時代にいっていれば……。
(……ずいぶん、さもしいことを考えるのですね)
「あ?」
 頭のなかに声が響く。呼びかけられたような気がして、後ろを振り向く。そこには黒いフードとポンチョに身を包んだ奇妙な女が立っていた。いや、錫杖はその女に見覚えがあった。どこか違うような気もするが、佇まいが似すぎている……!
「えっ……ミスT!?」
 錫杖は跳ね上がるように立ち上がる。ラッキー! これでサイボーグ狩りをすればお小遣いがもらえるかもしれない。っていうかきっとゴハンくらいなら奢ってもらえるだろう。なんで2050年にいるはずのミスTが2045年にいるのかはわからないが……いや、5年くらいしか違わないんなら、そりゃあいるか。なんにせよラッキーだ。
(フフ……。こんにちは。私はトルーさんです)
「トルー……?」
 Tってトルーのことなのか?
(あなたのことは……よく知っていますよ錫杖。ついてきなさい。温かいご飯を食べさせてあげましょう)
 錫杖は一も二もなくトルーについていった。とりあえず今夜の宿はどうにかなりそうだ。
トルーはホチキスで留めたその口を、妖しく歪ませるのだった。

***


読んだ人は気が向いたら「100円くらいの価値はあったな」「この1000円で昼飯でも食いな」てきにおひねりをくれるとよろこびます