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貧困 富裕層 食事

分かりやすいように日々の食事で例えよう

昔はこうだ。 貧しい食事があって味も栄養も足りていない。 だから沢山働いて食事の量を増やして味を改善していく。 米を一杯作ったり、調味料を輸入したり

ある時点でその努力が限界に到達する。 食料生産が十分になって全員が満腹まで食べられるようになる。 食材や調味料の種類も十分で世界中の料理を作ることができる

さらに進むと今度は肥満が問題になり始め、調理や献立を考える手間もかかり過ぎるようになる

つまり、旧来の労働が限界に到達したにも関わらず、限界を超えて労働を改善し続けた結果、健康被害や多忙という害を生み出し始めたというわけだ

これに対して近代的な解決方法はこうだ。今まで3食全てに栄養と快楽を快楽を求めていたがそれを止める

そして、栄養バランスの取れた食事を一度に8食分作り置きして、1日1~2食はそれを食べ続ける。そして1日1食は非常に美味しいものを自由に食べ、週に1度は高くて美味い外食を食べる

食事に波を付けることで「ものすごく健康」「ものすごく省エネ」かつ「ものすごく美味しい」食生活を構築する

トータルでは毎食そこそこ美味しい物を食べるのと同じぐらいの快楽と料金だけど、健康と手間の面では大幅に改善されているので、総合的には生活の質が上がる

それ以上伸びないものに、波を付けることで、頂点を押し上げ、底辺のコストを下げる、これが近代の働き方の本質

でも旧世代の「より多く、より高度に」という働き方を続けてきた人間は、こういうパラダイムシフトについて来れておらず、今でもそれで強引に金を稼ごうとしている

もちろん、みんな飢えてないし、むしろ肥満を気にする時代に「安くて量が多い!」で稼ぐのは金にならない

ここでいう「金にならない」は利益が出ないという事ではない。アメリカ貧困層向けの冷凍食品・菓子類産業なんてバカみたいに稼いでいる

稼いでいるが、それによって肥満が増え、医療費が嵩み、労働者の労働効率も落ちる。全体で見れば「金にならない」だから

そういう「安くて多い食品」は貧困層で幅を利かせているし、同時にそういう食品が貧困層を生産している側面もある

旧世代的な労働価値観「より多く、より優れ、より安く」に賛同し続けているから貧困化していると考えることもできる

一方で富裕層は変化した。連中はメチャメチャ高くて美味いものを食べるが、全ての食事でそんな事はしない。そもそも富裕層の財力で際限なく食べたら半年で死ぬからな

そして驚くべき事に現代の富裕層はローマ人と違って、食事を楽しんだ後吐くような事はしない。自制しているのである

旧来の富裕層のイメージは横暴で欲深く自制心の無い人間だろう。昔はそうだった。旧来は利益の源泉が「より多く、より優れ、より安く」というものだったので、そういう性格の人間と合致していたからだ

ところが商品が飽和すると「栄養はクソだがとてつもなく美味しい」「味は微妙だがコストと栄養最高」というものの需要が出て来た

こういう商材を扱う人間は、自制心が強く、欲で動くのではなく効率化する過程を楽しむような人間だ。近年の富裕層は大きく変わった

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