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手話通訳の未来は?①

ここでは、手話通訳について、私が想うことを書きたい。なぜ書かないといけないのか。それはやっぱり、今のコロナ禍がいつもの当たり前を危なくしてしまうことの危機を感じていることがあったわけである。

 まずコロナが起きる初期の背景を振り返ってみる。まだ緊急事態宣言もすら、政府が過剰的に対策を打つ動きが表面化する前の2月上旬までがいつも通りの日常的な過ごし方であった。もちろん、テーマである手話通訳の派遣も必要な時は市の派遣センターに連絡とったりしてお願いしたり、相手先にも合理的配慮を求めるように伝えておくなどすることは出来ていた。

 しかし、コロナ感染が拡大して緊急事態宣言。。。この日から、手話通訳制度も含め、対面での接触に関してかなり臆測な扱いを出してしまうような経験をしてしまった。全国でみると他にも、手話通訳すらも拒否する合理的配慮の差別までの事例も発生したことの情報を聞いたことがある。また聴覚障がい者にとっては、厄介な壁がマスクを絶対着けなければならないということで、口の形が読めないということである。

 最初の頃は、あまり意識してなかったマスクを着けることでの情報を得る手段がだんだん辛くなってきたことを感じた人がいるではないでしょうか。これまでは短時間のことだから「ちょっとだけマスクを外してもらえますか。」とお願いするだけで理解してくれる優しさで解決できる。ことがこのコロナ禍では、もはや通用してくれないこと多いわけである。中には、ちょっとだけなら・・・とやってくれる人もいるがそれが逆に厳しく目向かれるということも聞いたことある。だからマスクを外すことが暗黙のルールといったイメージになるのは、私だけだろうか。

 ということで毎日マスクを着けているから、もちろん何を言っているのか。分からないわけで情報を得る手段として、手話通訳が必要になってくる。しかし手話通訳でも残念なことにコロナ感染対策ということで、対面形式での通訳は出来ず、2M間隔で通訳することのソーシャルディスタンスを取らなくてはならない。だから場所によっては、手話通訳することが難しいケースが新しく発生してしまうのだ。これが新しい障壁となり、コロナ禍という時代の大きな社会問題となって、マスコミにも取り上げられることも増えてきた。そのうちの一つの事例「テレビ報道での情報格差」を見ていく。(YouTube配信「コロナに負けるなシリーズPart3」をぜひ視聴してくれば幸いである。)

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  (※上の画像は、2020年5月13日付の北海道知事会見模様にて)

 このようにテレビでの報道に手話通訳のワイプ画面が表示されることが増えてきた。しかし最近では、生中継の回数が減っていき録画で伝えられることがある。(東京では多く見るが、住んでいる地域北海道では生放送より録画で流すことが多い。生放送はYouTube配信できちんと行われているし、HP上からも見ることできるが、聴覚障害者の多くがきちんとキャッチ出来ているとは限らない。)

この時にワイプ画面が消えていることを何度か見たりすると、まだまだ情報保障が充実していないということの課題を感じるのである。テロップで簡単にポイントを説明しているから、きちんと情報を伝えていると思っても実はそのポイントを読み取るという日本語の理解が難しい聴覚障がい者が多いわけであり、これが情報格差を作っていることに気付いていないことが残念であると言いたい!!いつでもどこでも必ず手話言語で重要な情報を理解するということが手話通訳の役割であって、その存在意義をなくしてしまうもったいないことしていることを私たちが強く声上げなければならない。

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 (※上の画像は、2020年5月29日付の北海道知事会見模様にて)

  以上、テレビ報道における手話通訳の在り方について述べたがもう一つの問題点があるが、長くなるので今回はここまでにする。テレビ報道の将来を考える時、災害と同じように生放送ではきちんとワイプ画面で手話通訳があるということを100%整えていくように努力をしてほしい。そしてコロナが収束しても私たちの生活に関わる重要なことは、手話通訳が必要になっているんだということを常に意識し、対応できるように整備の充実も予算をかけた検討を図らなければならない。道政の予算にも注目したいところである。

 なお北海道聴覚障がい者情報センター(情報提供施設)は、道の予算があってこそ運営できる面もあるので、予算が少ないとそこは制限も限られるし、自力負担では重い。高齢化していく私たちきこえない人の人口にあった十分なサービスの提供をするための負担が大変なわけであるので、皆さんも情報センターの積極的活動などにご理解とご協力をしてもらえたら幸いである。そして手話通訳者という人材の確保のための育成がどんどん拡大してきたとき、新しい手話通訳の在り方がうまく構築され、機能するのではないでしょうか。

次回は、コロナ禍によって新しく作られた手話通訳の在り方を挙げることによりウィズコロナという世間をみていきたい。