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ドラゴン桜のドラマを振り返る①

現在、TBS日曜劇場ドラマでは「ドラゴン桜」が流れていることで人気上昇中という注目のドラマとして私は毎回観ることを楽しみにしている。詳細は、先日の投稿「ドラゴン桜に憧れる」を書いたので、読んでいない方はそちらも見てくれば幸いですね。といいつつ、今回のドラマで嬉しかったことが2つある。今回はその一つを挙げてみたい。

 第3話の中で桜木先生が強く訴えていた「本質を考えることが大事だ。」については、先日の投稿(「勉強とは、本質を考えること」前編後編)でも記述しているように自分自身の経験でもこれまで受けていた学びそのものの姿勢を見直す大きなきっかけでもあったと共感をもったのである。共感をもった内容として、ご紹介したい。

5.3 「東京市場において、カボチャなどの生鮮野菜の輸入の拡大した理由」を以下のように述べる。
 収穫時期の旬に合わせた供給地として、ニュージーランド産とメキシコ産が加わったことが大きな理由である。日本と収穫時期が逆である南半球という地理的な立地を生かして生産していることや、温暖な気候を利用して収穫できるという地理的なこともあり、日本では年間を通してかぼちゃが手に入りやすいようになっている。
 また季節に関係なく新鮮で安い野菜を食べたいという消費者のニーズに支えられると予冷貯蔵と航空交通が生成野菜の輸送に利用されるようになり、航空輸送費の低廉化が進むと価格の面で国内産地との競合可能になったことが拡大につながった背景といわれている。
(※提出したレポート内容に一部、教授の指摘を加筆した内容である。)

以下、大学履修時にまとめて作ったレポートから一部だけ引用してみたが、この内容が実際にドラマの授業内にて簡単に短くクイズ形式のような会話のやり取りで話している場面があった。(下の画像参照:字幕が合わないところもあるが、ご了承ください。)

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このように私が2年前に提出したことあるレポートの内容を修正加筆した上である大学に提出した今回の学びが実にドラマの中で共通していたこと。つまり、東大の問題の出題傾向に自分が知らないうちに向き合っているんだということが再確認されたわけである。(※東大は受けるつもりないが、学習において重要なところを掴んでいるということ)

 これは聞こえない人だからという意味ではないし、特別支援学校だからという意味でもない。学習の環境そのものを古い考えで進めるのではなく、教師自身が改めて見直すことの授業スタイルが生徒のためになるということがこのドラマでは色々と印象付ける場面が多いのだ。つまり、人生というのは学校で学ぶ教科書どおりの授業では通用しないということ。いかに学びという姿勢をどのように社会に適応するかどうかという視点で知ることが、生徒のための授業であるということだ。教科書どおりで教えるという教材研究そのものは通用することもあるし、認める部分はある。

しかし一方で、生徒主体の学びではないために考え、行動することの自覚意識が薄く身につけてしまっているというデメリットは、社会人になっては通用しない。要するに授業内容その一つ一つに意味や関連づけなど様々な考察をする力を気付かせることが必要であって、社会人になるとその気付かせた潜在能力が発揮され、自分らしく働けるということで社会に役に立つ人材になるわけだという道筋である。

 これが日本人として、最も欠けている勉強の本質そのものであり、「ドラゴン桜」というドラマではこの本質そのものをしっかり伝えようと作っていることの印象が強い。実に面白いドラマではないかと私はいつもながら観ている。