見出し画像

免許法の裏に迫る

実は教職員を目指そうと思っている若い学生のエネルギーや、小さな子どもたちが先生になりたいと憧れることは職業として、素晴らしいことである。

 しかしながら、残念なことに大人の現実を知らないということを真っ先に申し上げるべきであろう。文部科学省は最近このように動いたことが報道されているようだか、事実上現場を把握しきれていない改善策であるということを苦渋に感じる私である。そのことは何か。

実は、免許法で取得した資格が現場では全く活かされていないことだ。つまり、所有免許に応じた人事配置や適切な指導業務を行っていなく専門外の教科指導や所有していない学校へ人事で受け入れなければならないという裏を生徒を預かる保護者や教職以外から見るみなさんは知らないことでしょう。

 実は私、最大の被害者である。校長の●●●●の原因で現在、現場復帰の見通しのない不適切な扱いで教職員に戻ること出来るかどうかわかりません。非常に腹立つほどの無念さが大きい退職の身分なんですね。

 教育委員会は、校長の判断という情報を基にして所有免許外の指導経験の可否などの現場を見ていないということが多いわけである。学校側の縦割りという人間関係において、自己保身のためにあえて邪魔したくないからこそ擁護せずにいることもあって非常に腹立つことを正直にぶつけておく。

 一所懸命努力して学習を蓄積し、取得した免許状はいくつかあるわけだか実際に指導経験として活かされていたかどうかは、残念なことに校長の無自覚と圧力ある立場であり、また聴覚障がい教育の根本的課題を理解していない面の立場で私のことを見下すこと多いのである。

 そのため、残念なことに免許所有しても全く活かされずに、●●●●に耐えながらも慣れない仕事をやり続けてきた。誰よりも多く生徒と向き合う時間を確保している自信はあった。でも結果として、指導経験の評価になるわけであり、人事権のある校長や教育委員会は全く把握していないことの事実を隠しているわけであるのが現状である。

(教育新聞「教員の養成・採用・研修を大胆に検討」2021年3月5日付)

 この記事を拝見後、HP上で文部科学省の大臣会見を見たが、ここで述べている内容には現場への指導に全く効果あるだろうか。という疑問である。実際に若い教職員や大学生(教育実習生含む)などは、一人一人が時間を作って学習しようとして努力した成果である免許状ということを生き甲斐として楽しみにしている気持ちを初心ながらにして大切に思っているはずだ。これは、とても重要な力になるわけで学校現場には十分に発揮してもらうように環境を活かしておくことが必要だ。でも結局は現場判断=校長の人事判断であるために校長によっては、免許外の指導を命じたりすることもあるわけで相性が良くなかったりしてしまうこともある。全国では希望通りになかなか実現出来ずに苦しみの負担が蓄積し、中傷行為など●●●●を受けて自殺する人も社会問題となっている。私の知っている知人も自殺してしまったという情報を聞いたことある。(ある研修会で、たまたま会った同期の聞こえる先生から急に言われてびっくりしたのである。亡くなった先生とは初任者研修で一緒に一年を何度か過ごしただけにショックである。)

 私自身も他人事ではなかった。実にいうと母校であっても昔のような雰囲気ではない。校長の仕事ぶりをあまりよくないように受け止めていることあったが、教育委員会からも何にも言ってこない。現場を視察することもないのでように上に立つ者は、さらに上がいないと何にも課題に気付かないわけであり、校長の怠慢さが学校運営に影響するというわけである。残念ながら、私が受けた校長は過去最低であり、タイミングが悪かったと言っておくしかない。●●●●は実際にあったので処分を受けないで税金をもらっているままに退職したことなので、公務員としてはあまりにも酷い人間性であると非常に正義として許し難いものだ。児童生徒にわいせつすることは重く罰して当然でも●●●●は、罰すること出来ないのか?という基準がおかしいのだ。

(※朝日新聞記事:2020年7月2日付より、ここの記事で道の監督責任を問われるケースが表面化されたことが明らかになっている。しかし、もうすでに何件かが起きているという情報はネット上でいくつか挙げている。しかしどれも厳しく対応をする姿勢はなかった。教職員の切なしい情報はネット上や弁護士の話から色々と聞いている私である。)

 道教委が●●●●を公表したことは過去5年間で1度のみ。ほとんどは、大学や専門学校ということが大きく耳に入るわけだか、特別支援学校の例はあまり少ないかもしれないという印象であろう。札幌市は数回あることを知っている。道教委は水面下で調査を適切に行ったりするというわけだか、実際は耳を傾けない失礼な態度をとっていた経緯がある。その中で情報の信憑性が曖昧だと主張したり、信憑性があまりなく否定することもあるから、裁判ではなかなか厳しいという話を弁護士から聞いたことがある。そのため、弁護士の中には決定的な証拠があっても勝つことは難しいと消極的であるという経緯がある。わいせつ以外に重く自覚していない対応ということを私は、非常に情けないほど大きな怒りとガックリである。安全配慮義務違反だけではなく、合理的配慮違反も事実上起きていたのにこれらの決定的な証拠はなかなか難しいので自分の力では、現場復帰も難しいのである。それを文部科学省が新しく教職員への施策を図っていくように教育委員会に指導するというのは、どうも不自然であるように痛感している。

改善するならまずは組織そのものに外部からの第三者機関で監督指導するなりの責任をはっきり明記して欲しい。権限上の決まりで、文科省は対象外だから、現場に回すというたらい回しをしている組織を根本的に壊すことから立て直していくべきではないでしょうか。たらい回しを受けたことある私の経験上、あえて文部科学省の指導は、良い方向に進めるとは思っていない。

  一方で、道庁からもコロナ禍のためにICT施策を推進する、情報機器の充実に伴う教職員の負担軽減などの施策など検討しているようだ。しかしながら管轄において、不適切な教職員に対する指導体制は不十分であるということを改善する発表はない。要するに現場任せであるわけであり、現場を知らない教職員からの声は全く届かないということは変わらないのだ。

だから私は、行政によって殺されたということの事実に精神的苦痛を抱え続けているわけである。わいせつ同様に厳しく反省の意を示してもらうともに現場復帰して、しっかり免許所有に応じた業務を積み重ねていきたいところである。話し合い、聞く姿勢を持つことを訴えているが無視続けている現状であり、恩師を含む学校側も誰一人、私の存在を忘れようとしているのは残念である。●●●●を認めるほど、私は必要ない迷惑な存在だったから当然戻らなくてもいいということである。

 これが現場の矛盾であり、この真実が私の学校だけではなく他にも多く存在していることを耳にしたことがある。特に指導経験のない人が不適切な仕事態度をしていることも何人か見たことある。私にとって、研修参加も大事であり、聴覚障がい教育に関しては誰よりも当事者目線で強いと思っているが、私から見て非常におかしい教職員も存在していることを校長は評価しようとしているわけであり、理解できない事実もある。

 文部科学省の挙げる教員研修、人事の配慮などについてはこのような事実を改善するようには思えない。ということをここに綴じておく。教育委員会は残念ながら、私の声を傾けずに拒否している経緯があったために校長らの判断で推し量り、人生を壊されたというより殺してしまったということを書き留めておく。

あと2週間弱で、何にも進展なければ自殺することで訴えることを一つの選択肢としていくのでこのような私を他にも存在しているとしたら自分がどのようにしたいのか。行動はなかなか難しいですね。自殺する以外というのはどうしたら心の痛みを消えることできるでしょうか。もう犯罪に手を染めても良いから、自分の手で正義の裁きを与えてやりたいものだ。と心の奥で叫んでいる。

 この悪魔のささやきを抑えるかのように、私はYouTube及びnote投稿で今までの学びやこれからのことを事実の情報として発信して参りたい。誹謗中傷でもなく、事実を世間に話していくことで啓発する行動は今の時代ならの表現の自由に基づいた活動であり、間違っていないと自覚する。そのため、長文になってしまったけど今回の内容が私の気持ちであり、皆さんの心に少しでも届けてくれたら幸いである。