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私は役に立てない人間なのか。#3

#2で明らかになった30代の生き方を決めた私は、オンライン授業の他に2つの掛け持ちの仕事がある。そして同時に通信教育を受けている大学生の身でもある。なぜこの選択を取りつつ、「役に立てない人間なのか。」と執筆しているには理由がある。

まず、2つの掛け持ちをしているという話に触れるがこのうち1つはたまたま大学時代の経験からすぐ採用されたので、詳細は「A店長と私」を読んで頂ければいいので簡略する。でも実は、この勤務先で大きな壁に悩んでいる私である。その悩みとは、今の私が本当に「周りから役に立てる人間だろうか。」ということである。勤務先の当社にはいくつかのキャリアステージ(立ち位置)がある。私は大学時代を含めて7年以上、同じ位置付けであり上のステージへ上がりたいと思っても出来ない。周りのきこえる人や後に入ってきた人がステップアップしていている。私はずっと同じ位置であって、なぜだろうかという疑問をずっと抱えてしまったのだ。

 ある勤務先を批判しているわけではないが、私のキャリアアップの《イメージがが当社の考えに合わないだろうか。》また《きこえない障がいだから、自分のことを信頼出来ないので、キャリアアップというのは無理という評価をしているのだろうか。》と勇気持って聞くことができない。なぜ他の人がキャリアアップできる道筋をもって取り組んでいるのに、私に対しては何にも声かけずにただそのまま頑張っているだけで、『助かっているんだよ。』という褒め言葉しかなく、本当に役に立てるだろうかという不信感しかないことでやり甲斐を感じられないまま、働くことに苦痛な日々である。生活費を維持するために大学時代の経験が自分の糧として自信あったためが理由で、なんとか食いしばっている精神的な支えでなんとかやりくりしている。でも本当にこのままで良いのだろうか。と思うことは多い。

 当時のA店長はもういない。当時の先輩クルーもいない。全く違う新しい仲間たちの中で働いているので、トレーニングや店舗運営としての考えが違う。でもキャリアアップという方向性を見たとき、きこえないというハンデは関係ない。工夫次第で乗り越えることはあるんだというダイバーシティの考えであれば、出来ることはあると思い込んでいる私である。

でもそんなことを言える雰囲気でもないので、今の自分はある勤務先のやり方に多少の違和感を感じながら、頑張って勤務している日々をなんかもう辛くなり始めているところである。やり甲斐もなく、ただ同じ立ち位置のままで忙しい時間帯を乗り越えている繰り返しであって、その勤務する当社の良いことが分からなくなっている。むしろある別会社(同じファーストフード業界でS社を差す)の障がい者に対する働き方の考え方がすごく羨ましく思うようになった。S社のダイバーシティの考えで同じ聴覚障がい者が生き生きとキャリアアップして、店舗運営に積極的な関わりをしている情報を知っている。その姿を見ているとなぜ、当社には出来ないのか。それはシステム上の問題なのか。あるいは私自身に問題があるのか。一度、オーナーに直談判したある日を振り返ってみる。

Mオーナー「うーん、君には今のままで十分大丈夫だよ。焦らず、今のやることを続ければいいよ。周りは理解してくれているから大丈夫。ただこれ以上の話は、私からはちょっと出来ないかな。耳がきこえないからそのことを考えるとこちらとしてはちょっと色々難しいかな。まずコミュニケーションが大事であるからね・・・。」

私「確かにコミュニケーションが大事になってくることは分かっています。ただそれでも乗り越えるために色々と考えながらやっていきたいんです。」

Mオーナー「気持ちは分かる。ただ色々、周りを聞いていると今のあなたが他のポジションを任せるには、こちらも考えなければならないことあるんだ。そのことを考えると難しいのか結論かな。今のポジションそのままでも十分、仕事として役に立てていることに変わりはないからあまり考える必要ないよ。今の仕事を通して周りをどう活かすか。もう少し考えてみたら?」

私「う、、うん。考えすぎなのかなぁ。分かりました。もう少し頑張ってみます。出来ることはこれからも続けていくので、大丈夫です。」

とやり取りはあっという間に終わった。ポジションのスキルアップというより、今の仕事だけでも十分店に役に立てているんだというオーナーの発言がなんとなく理解している自分であったが、本当に周りと見比べると真意なのか。という疑問しかなかった。とはいえ、店長に本気でぶつけたくなることはあるが、女性なのでそのこともあってあまり気が遠くなっている。

周りのポジションアップそして後から入ってくる人の働く印象を見ると、今の自分は障がい上を理由にして固定されたままなんだという強い違和感を改めて感じたのがここ最近である。30代というキャリアにおいて、仕事先でもあまり信頼関係が築いていない。という結果かもしれないと感じている。このことはまだ職場みんな知らない、裏の自分である。とにかく傷つけたくないから、今の仕事をどのようにしてアプローチするべきなのか。という慎重な考えを持ちながら、同じ仕事を繰り返す日々を過ごしている。

 一方で、通信教育を受ける大学生の身分であると話したがコロナ禍によってオンライン上で受講しながら、6つ目の教員免許取得を目指している。とはいえ、取得したといっても資格が現場で活かされるわけではないと#1ではっきり述べている。免許を持つだけでは意味ない。実践機会を積むことのタイミングが恵まれないだけで、ただ知識教養を蓄えるだけで苦労するというイメージしかないのに、あえて6つ目の免許取得にこだわるのか。

その理由は、単純に教えられる指導内容を幅を広げてより自分のスキルを上げたいからである。免許それぞれにある内容は全く異なることもあれば、似たような共通点もあり、かつ時代に応じた新しい学びが入ると面白いし、自分が児童生徒の頃と逆に教える側の視点の両方が見えてくるからである。これが非常に面白いので、身に付けておくべきだと思っている。というのがあって、勉強することに手抜かりはなく継続している。

 コロナ禍でオンライン授業を取り組むことになった今、一つの目標が心の中で揺れている。その目標とは何か。ある大学院の挑戦である。大学院に行くことで、心にあるテーマをしっかり自分のものにして、しっかり発揮できる現場があればそこで活かされることで役に立つ人間であろうという評価を得ること出来ないだろうか。と勝手に夢膨らんでしまっている。

ただ勝手に夢を膨らんでいてもこれが正解じゃないかもしれない。答えは1つだけではないかもしれない。勝手に自分は周りから役に立てると見られたいからではないかという無理矢理な欲求で感じているかもしれない。となると、今の自分は、まだ正直「役に立つ人間だろうか。」という不信感を抱えている。挫折したあの日になりたくない。その過去の怖さと混ざっていて、今もなお精神的苦痛は克服していない。