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聾学校の昔と今で変わっていることー後編ー

先日の投稿(前編)で記述した続きに入る。時代の変化と多くの方が口にするのは寛容範囲である。しかし、本当に時代の変化が動機だろうか。実は、この変化というのはもう既に世界に視点を変えてみると、日本の教育は遅れているということなのだ。歴史を長期的に見たとき、過去(もっと早い時期)に実現してもおかしくなかったというのに人間だからこそ、気付くのが遅いだけであって、誰もか前向きに変わろうとしないことが遅れているという結果となっているだろうか。と私は受け止めている。

 特に大きく聞くのが「聴覚口話法と手話法の論争」である。手話法を長い間、禁止されたために手話言語を言語として認められずに公平な教育を受けることが出来なかったというきこえない先輩方がいるからこそ、今の教育に対してもっと早く取り組むべきだったという声もあれば、これから頑張って改善しようとすることが良い動きに向かっているんだというポジティブに捉えている声も実際にある。特に全日本ろうあ連盟は、会員数の減少の一因にろうコミュニティの視点で、聾学校との繋がりを課題として挙げている。ここ北海道でも正直、聾学校と連盟の繋がりは良い関係かと聞かれたら、頑固でもなく1ミリ程度の名前を借りるだけの協力程度で終わっているぐらい意見交換も活動も積極的ではない薄い関係なので、これが会員数の減少につながっている要因はいくつか出てくることを実感している。

特に連盟の会員が減少している一因として教育現場から推理することは、本州のある聾学校と違った以下の点がある。

・「卒業生体験講話」の実施回数が固定的ではなく、積極的ではなかった。
・社会見学は就職向けであって、進学向けの卒業生との交流する機会が実施されていない。進学向けは、オープンキャンパスしかなく生徒に考える機会を提供されていない。自分から考えるきっかけがない限り、選択肢が少ない。
・ろう協会からのイベント呼びかけや情報誌の発行を伝えているにも関わらず、学校側は児童生徒に情報発信しない。掲示のみで目が届かないところにあるだけに終わっている。保護者への周知も足りないためにろう協会の存在を知らないままに終わる。

 といった3点の指摘は、他聾学校で勤務している先生方との交流で改善しているところもあれば、同じ課題を抱えているところもあるなど耳に入っている。全国バラバラな現状ではあるが、3点の指摘を改善している学校では卒業生が協会の存在を知り、積極的に関わっているという良い効果もあり、現象というよりは良い関係を築くことによってロールモデル的な教育効果が生まれている実例があることが分かった。つまり、ろうコミュニティを続けていくためにはやっぱり聾学校側がきちんとろう協会からのアプローチを受け入れる柔軟な姿勢で聞く耳をもつことが必要とされる。

しかし決定権をもつ運営をするのは、管理職の判断であって上の指示が絶対的である。そのために積極的な姿勢を見せることは、管理職次第になる。残念ながら、私がみる管理職の姿勢は低評価だと厳しく断言したい。本州にある実例を出している管理職の努力さを見習うべきであろうと言いたい。この辺りは管理職研修の在り方や教育委員会の対応が問題視である。文部科学省が指示している報告書の中には、こんな記述がある。

○ 特別支援学校におけるキャリア教育では、学校で学ぶことと社会との接続を意識させ、一 人一人の社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる資質・能力を育み、キャリア発達を促すことが重要である。そのため、早期からのキャリア教育では、保護者や身近な教師以外 の大人とのコミュニケーションの機会や、自己肯定感を高める経験、産業構造や進路を巡る環境の変化等の現代社会に即した情報等について理解を促すような活動が自己のキャリア発達を促すうえで重要であることから、その実施に当たっては、地域の就労関係機関との連携等による機会の確保や、特別支援学校を卒業した者が働く様子を見学したり実際に職業体験を行ったりする機会の充実が必要である。また、就労に際して、本人の自己選択・自己決定 を尊重する等の機会を確保したり、学校卒業後の生活に向けて、福祉制度の理解を深める機会を確保したりすることが重要である。
就職後の定着に向けて、在籍校と福祉機関、労働機関が連携した更なる取組のほか、高等学校教育段階で社会に出ても学び続ける意欲を高めるとともに、卒業後は、本人が就職後の生涯学習や余暇活動を充実させ、人々の心のつながりや相互に理解しあえる活動の機会を提供し、孤立しないようにする必要がある。

 この記述されている文を一括りでまとめるとこれは、障がい者当事者団体として長い歴史をもって活動している地域協会や全日ろう連盟、難聴協の役割がきちんと果たしてくれることのパイプ役があると私は考える。ところが道内で見ると信用できる関係を築くことが薄いといい、連盟理事会の中では悩んでいる声を実際に聞いている。私も一時的に協会理事として関わった時も当時の管理職の姿勢に断念したことがいくつかあった。(最終的には管理職の圧力が背景の理由にあり、パワハラを理由に管理職の公私混同な発言と非難を受けていた過去があるので、あまり辛い過去は思い出したくないものである。)

 でも少なからず、当事者団体の連携だったりもう一方で親のコミュニティーである難聴児をもつ親の会、バイリンガルろう児をもつ親の会(HBBD)など保護者の中にも学校に対する信頼があまりできないグループも存在している。子どものために別のアプローチできちんと作っていこうという考え方で活動している団体も他に色々とある。別のアプローチから学校のために支えているということを学校側は、きちんと受け入れた真摯に耳を傾ける姿勢でなければ、子どもたちのためにある教育的な現場づくりといえないと考える。

これが文科省の指している「【社会に開かれた教育課程】を編成し,実施することにより,子供たちの豊かな学びを実現していくためには,コミュニティ・スクールや地域学校協働本部(仮称)(これまでの学校支援地域本部等の体制を更に発展させた体制)等の仕組みが必要である。」の意味ではないかと思うが、学校側の判断する運営には少々、勘違いしているように感じるべきではないだろうか。もう少しオープン的な姿勢できちんと対話することによって、教職員の専門性の向上の一環として誰かが気付いて欲しい。

 北海道では12年ぶりに校長会と懇談会を実施することが出来たという最近の動向があると伺っている。これを機に今からでも間に合う。時代を正しく変わっていくためにももう一度、過去の実績や固定概念を捨てて子どもたちのニーズそのものを理解していくための将来的な良い方向にもっていけるように是非とも積極的な関わりをもって欲しい。と私は願っている。(もっと早ければ、私が受けていた《パワハラ》やそのものの学校現場の雰囲気が変わっていたかもしれないし、もっと生き生きして働けたかもしれないだろう。実に悔しいことしかない気分であることに変わりない。)