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自立活動について考えた理由

なぜこの時期にこの動画を作って配信しようとしたのか。皆さん、疑問に思うことでしょう。その疑問に素直に伝える機会になればと思い、書きます。実は、ろう学校の教育では一番大事な魅力というのは、「自立活動」という教育課程でどのように取り組むかによってこれが、学校全体の客観的評価になると考えるわけです。

 しかしながら残念なことに厳しく現状を伝えておきますと、この自立活動の取り組みを勘違いした学びで満足しているという怠慢さが学校に染み付いているということを知っていただく必要があるわけです。そのために伝えたいことがたくさんあるため何回分かに細かく分けて、作っていきたいと思ったわけです。その第一弾として、せっかく外部の皆さんが見ている場所だからこそ、基本基礎的なことから分かりやすく伝えていきたいところです。

そもそも「自立活動」というのは、一般学校にない特別な教育課程であって障がい児を育てるために作られたものというのがよく耳に聞く表現です。でも実は、そうではない。聞こえる人(健常者)であっても外国人のように言語環境が違う人もいれば、家庭環境に恵まれない中で育ててきた事情ある生徒のことも当てはまる重要な位置づけであることを認識する必要があると私は考えます。

 その教科の学びでとても重要な位置付けになることは、何かということを具体的に分かりやすく絞った内容で整理して、手話で伝えるように作ってきたけどみなさんの参考になれたでしょうか。つまり教科で得る学びとは別に、生活環境において、社会に出て生きるために必要な力を身につけるということのやっていること自体はあまり変わらないんだということです。ただ内容の捉え方が分かれてくるだけでその内容が、障がい別によってバラバラな取り組みがあるということが歴史的経緯の中で、多様化してきたということ。

これらを私たち教職員が学ぶ専門性ということは、出来ていても当事者の視点ということを知っておかないとせっかく学んだとしても、評価するのは、当事者が社会に出てからの成果になるわけです。つまりここで指すならば、聴覚障がいにおいては残念ながらろう学校で学んでいることが社会で活かされてきたのか。という評価ははっきり言って厳しいというわけです。正直いうと、全く通用していないことの無駄な学びが学校にいくつかあるわけです。これを評価することの気付きが、まだまだ難しいというところが今の現状なのです。

 それはなぜか。責めても仕方ありません。自然的に聞こえる人が多数派ですから、その聞こえる人(健常者の世界にある当たり前を)の視点で教えるというのは、ちょっと当事者にとって理解が難しいことに気付かないわけです。自立活動の根本的なところを抜けているといった感じに評価するということはなかなか分からないかもしれないというのが、私の現場で働いてきた中で強く感じる違和感なのです。

この辺りはまた後日の投稿でも詳しく記述しますが、このように「自立活動」を自分の手話で表現しながら、みんなに伝えるということはかなり大きな挑戦です。●●●●を受け、最大の被害者であり人生を壊されているにも関わらず、無視・無自覚で仕事する人間が現場で働いていることに対して、もう何にも言い切れませんが、少しでもこの投稿がたくさんの人に届けてくればと思う。

 さいごに特に教育委員会は現場任せで、評価すること次第も分かっていません。聞く耳を持たずに不適切な対応を受けて呆れている私ですから、この動画をはじめ、今後投稿する内容で伝えていく内容は捉え方が色々と割れてくるかもしれません。でも事実は、事実としてしっかり伝えていくことで誹謗中傷でもなく、表現の自由に基づいた投稿を地味ながら積み重ねていくつもりです。YouTubeチャンネルでもきちんとみんなの心に伝えていくことが一番大事なことではないかと考える。ご了承して頂けると嬉しいです。