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「人見知り」をやめてみた

今回は私の考えを書いていこうと思います。
幼いころから私は「人見知り」で初対面の方がとてもとても苦手でした。正直に言うと、今でも人と関わることが得意ではありません。そんな私ですが、自分自身に対して「人見知り」という言葉を使うことを辞めました。なぜやめたのか、やめてどうなったのか、気になる方はぜひ最後までご覧ください。

「人見知り」ってどんな人?

新しい人と関わるとき、かなりの頻度で「私、人見知りなんです。」という言葉を耳にする。「人見知り」と伝えておけば話に詰まったときも会話の中で変な返しをしてしまった時もごまかすことができる。私も以前はよく使っていた。しかし、多くの人と関わるようになったことで実はみんな人見知りで人見知りではない人を探す方が難しいということに気が付いた。

人見知りの特徴として挙げられること
 ・初対面の人と何を話したらいいかわからない
 ・なかなか人と打ち解けることができない
 ・人と話すときに緊張してしまう
 ・自分に自信がない
 ・人間関係が狭い
 ・自己評価が低い
 ・内気
 ・照れ屋
 ・はにかみ屋

ただ、本来の意味を調べてみると子供に対して使う言葉で「知らない人を見て恥ずかしがったり嫌うこと」を指しているそう。そんな言葉を大人?である自分に対して使うのはいかがなものか、と疑問を持ったことが「人見知り」について考えるきかっけの一つでもあった。

やめたきっかけその1:新しい世界での挑戦

実は前に投稿したnoteに詳細を記載したが、誰も知らない全く新しい世界に飛び込みたい。すべて1からスタートさせたいと思ったことがある。
   ※詳細についてはこちらの投稿をご覧ください。
初めのころは何をするにも大変で地獄の様だと感じたこともあるほどだが、新しい世界に飛び込んだことに後悔はしていない。

誰も私のことを知らないからこそ、友人作り、居場所作りをするためには自分から動くしかなかった。初対面の人との会話が苦手だった私にとって、最初の半年くらいは苦痛の連続だった。ただ、学生寮で生活していたこともあり、人と会話をする機会、初めての人と知り合う機会には恵まれていた。まずは寮内で知り合いを増やし、そこから次の団体、またその次の団体へと自分の存在を認識してもらうために関わるようにしていった。これもまた、新しい世界に飛び込んだからこそ体験できたことであり、つらかった日々も全く後悔していない。むしろ、つらい思いはしたものの、飛び込んでよかったとも思っている。

やめたきっかけその2:自身の気づき

その1で触れたように、頑張って人と関わるようにしていく中で、気づいたことがあった。いつものように人に話しかけると「ごめんね。私、人見知りだから…」と前置きをしてから私と会話を始めた人がいた。私自身「人見知り」だからこそ、相手に不快な思いをさせたくないと思い、同じことを伝えることはあったが、相手に先に切り出されたのは初めてだった。相手のことを何も知らない状態で会話をするときは何も感じていなかったが、この一言がずっと心の中に引っかかっていた。そしてその先の会話の中でも、「この言葉は言ってもいいのかな…」「この話題は触れない方がいいのかな…」など、普段はあまり考えなかったところまで気にしてなかなか距離を縮められなかったことを今でも鮮明に覚えている。

この日、自分の部屋に戻ってなぜ今日はあんなに気を遣ってしまったのか、いつも以上に頭を使って話をしたのか、考えた。きっかけは間違いなく「人見知りだから」の一言だった。その一言は私としては伝えたい一言だが、相手から言われてしまうと拒否されているような感覚を覚え自然と距離を取りながら話をしていたのだ。そのことに気付いた瞬間、自分の広がるかもしれなかった人脈を自らの手でダメにしてしまっていたのかもしれないと思い、「人見知り」という言葉を使うのはやめよう、と心に決めた。

私に訪れた変化

初対面の人に対して「人見知り」と自ら伝えることをやめたことで関わる人の幅が格段に広がった。関わる人が増えるとどうなるか。

・自分の視野が広がった
自分の視野が広がると、これまで思いつかなかったようなことが思いつくようになった。これまで避けてきた道をあえて通ってみようかなと思えた。自分の知らない世界について知り、体験する機会が増えたことが私にとってプラスになったことは言うまでもない。実際、社会に出て仕事を始めてからも自分の視野を広げておいたことでお客様との雑談の場ではネタに困ることもなかった。上司やお客様の言うことが理解できないときはしっかりと聞いて険悪な雰囲気になることなくその場で解決することができていた。

・様々な経験を積むことができた
視野が広がりたくさんの情報が入ってくるようになり、偏見を持たなくなったことが自分に起こった大きな変化だと私は思う。この頃までは「○○さんはいい噂を聞かないから関わりたくない」「××って始めるととてもつらいって聞くから私はやらない」など自分で関わる前に体験する前に理由をつけて壁を作り機会をつぶしてきた。しかし、「人見知り」をやめることでたった1人の意見・価値観のみではなく、たくさんの意見を聞けるようになったからこそ、偏見を持つことをやめて挑戦してみようと思えるようになっていった。

・何かを決断する時相談できる人が増えた
人それぞれ得意な分野と苦手な分野を持っている。得意なことであればある程度の知識は持ち合わせているからこそ少し用語などを調べれば容易に得策を見つけることができるだろう。反対に、苦手な分野については自分だけで考え、悩んでも答えは出ないし解決するまで多くの時間を要することになる。そんな時、周りにいる人をいかにうまく「使う」ことができるかが重要だと私は考えている。早く得策にたどり着くために、時間を有効に活用するために、できるだけたくさんの人と関わっておくと「○○のことで困っているときはAさんに聞くのがいい」「××を決めかねているときはBさんにとりあえず話を聞いてみよう」など、その時々の悩みに応じて助けを乞うことができるようになるのだ。頼るのは申し訳ないと思う人も中にはいるかもしれないが、実際頼られることは嬉しいことで、嫌がる人なんてめったにいない。だからこそ、遠慮なく「助けて」と声に出して伝えてみてもいいと思う。

ぜひ聴いてほしい優香さんの言葉

これまで書いてきた言葉は私が体験してきた過去をもとにずっと考えてきたことだが、こんなことを考えているのはもしかして私だけ?と思うことも多かった。実際、「人見知り」と言われることは数え切れないほど多くあったし、人と「人見知り」について語り合ったこともない。だからと言って、「私は人見知りです」という人のことをどう思いますか?なんて聞く勇気もなかった。そんな中、最近関テレで放送されているグータンヌーボ2の存在を知り、AmazonPrimeで動画を視聴すると、これまで私が思ってきたことをそのまま女優の優香さんが話されていた。「人見知り」という言葉を使わないようにしていることやその言葉に対して思うことなど、私がこれまで感じてきたことに共通する部分がとても多く安心した。課金してまで観てほしいとは言わないが、ぜひ、機会があれば第1回の放送をチェックしてほしい。

全国で放送されていたグータンヌーボは毎週欠かさず見ている番組で、お話し好きなMCがゲストと楽しく話をしているだけの番組だと思ってみていたからこそ、今回の優香さんの一言は衝撃だった。しかし、そこに人間味を感じてさらに優香さんのことが好きになった。私の考えは間違ってなかったのかもしれない、と少し安堵した瞬間だった。

人見知りの殻を破ろう

冒頭でも書いた通り、私は人見知りではない人はほんの少ししかいないと思っている。みんな、人見知りなのだ。初めての人との会話で全く緊張しない人なんていないし、何も考えずに延々と話し続けることができる人もいないと思っている。そう思えば、自分が「人見知り」であることも恥ずかしく思わないしプレッシャーにもならないように思う。だってみんな私と同じなのだから。

確かに人とコミュニケーションをとることは難しいし大変かもしれない。私自身は内向型の人間。外の世界と関わることに対して多くのエネルギーを使う。それが嫌でひきこもる日が生じるのも事実。できることなら誰とも関わらず一人で生きていきたいと思ったこともある。そうならないように、普段は人と関わる時間と一人になって内省する時間をうまくコントロールすることであまり自分自身に負担がかからないように生活している。そこまでして外の世界と関わるのはなぜか。

「その人と話すことで新しい世界を見ることができるかもしれない」
「その人と関わることでまた新たな出会いにつながるかもしれない」

私はそう思うから。ぜひその可能性を一つでも多く獲得するために動いてほしいと思う。私自身、「人見知り」の殻を破って頑張ってよかったと思うから…。

***sue***

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