褒めと自己肯定感

最近褒めの大事さを実感することが多々ある。
前に書いたかもしれないが、元々僕は自分に自信がないタイプ、いわゆる自己肯定感が低い人間ということ。

20代前半ぐらいまで、なかなか人に褒められない人生を生きてきたし、その分人を褒めることもあまり出来なかった。

そんなことが積もりに積もって、いつしか自分は魅力のない人間と思い込む思考が当たり前になっていたのである。

人からは優しい人とよく言ってもらえることが多かった。
ただ自己肯定感が低さがピークに来た頃には、そのありがたい言葉を素直に受け取れなかった。

「優しい人って言うけど、その言葉に裏がある」
「優しいけど、面白くない」
「優しいけど、男として魅力に欠ける」

誰もそこまで思って無いはずなのに、被害妄想すらするようになっていた。

20代も半ばになった頃、外の世界をもっと知りたくなって、飲み歩くことを始めた。
飲み歩くと自ずと人と話すことになる、性別も年齢もバラバラな方達と沢山話す機会が増えた。

すると、会ったのが初めてなのにも関わらず、自分を褒めてくださる方に沢山出会えた。

具体例を上げるなら、声。
恐らく、自分で自分の声を聞くのが苦手な人はかなり多い気がする。
僕もその1人で、地声はかなり低いし、全く通らない声で、かなりコンプレックスになっていた。

しかし沢山の人から、この声をとても褒めてもらえている。ありがたいことである。
すると自分の中で意識が変わり、これが自分の持ち味と認めることが出来るようになった。

この喜びを得たと同時に、人を褒めたいという思いも芽生えた。
口に出すのは恥ずかしいけど、言われた人にとって大きな自信になると分かったから。
だから恥ずかしくても口に出すと決めたのだ。

人から褒められると、謙遜してしまう人が多いと思う。我々日本人には良くありがちだ。

ただ僕は人から褒めてもらった時に、謙遜する必要はないと思っている。
素直に受け入れることで自己肯定感を上げられるのと、謙遜することで褒めてくれた人に対して失礼になってしまうのではと思ったのである。

だから僕たち日本人は、時に謙遜することをやめる勇気が必要である。
ポジティブな意見を素直に受け止めなければならないと思う。

今回は褒めることについて書かせてもらいました。
褒めの連鎖が起こって、多くの人が幸せになって欲しい、スケールの大きいことを言って終わりにしたいと思います。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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