今更ながらの自己紹介

2回目の投稿にして、ようやく自己紹介をさせてもらいます。

知り合いで読んでくださっている方、noteを通して出会ってくれた方へ
改めて自分のことをお話したいと思います。

大まかなプロフィールとしては、、、
・大阪生まれ、大阪在住のアラサー男子
・会社員
・車好き&ドライブ好き
・美味しいものが好き
・お酒は弱いけど、飲むのは好き
と、こんな感じです。

幼い頃はかなりの人見知りで、無口なぐらい大人しい子供だった。
でも、仲の良い友達や家族の前ではよく喋る子供でもあった。
ただ、どんな人の前でも常に笑顔だったので、親しみやすさは
あったのかもしれません。

小学校の時には転校を4回経験。
人見知りの僕からすれば毎回地獄だった。
一番の地獄だった転校は2回目の時、親の仕事の都合で住み慣れた大阪を
離れて埼玉の小学校に転校することになった。

当時小2になる直前だったが、祖父母も幼馴染もいない、右も左もわからない場に
引っ越すのが本当に不安だった。
きっと両親も同じように不安だったと思うけど・・・
しかし住んでしまえば慣れるもので、方言の違いはあれど持ち前の愛嬌で
多くの友達に恵まれた。

それからおよそ4年後、再び大阪に戻ることになったが、今度は愛嬌だけで
どうにもならなかった気がする。
大阪の子供のコミュニケーションについていけなかった。

友達と呼べる存在がほぼいないまま大阪の小学校を卒業。
近所の中学校へ進学した。

中学生になると、今までの愛嬌は更に通用しなくなっていった。
今で言うスクールカーストだと、かなり3軍とか言われるのだろうか。
とにかく『陰キャラ』という立ち位置になっていた。
バスケ部に入部するが、同級生とはあまり良い関係ではなかった。
そして一部の同学年の部員からいじめも受けた。
中学生の僕はいじめられていることを頑なに認めようとしなかった。
いじめられるのは自分が弱いからと思い込んでいたんだと思う。

しかし僕はどこかで我慢の糸が切れたのかもしれない。
気付けば母に打ち明けていたし、それを聞いて先生達も動いてくれた。
あの頃は素直になれなかったけど、あの時僕を守ろうとしてくれた先生達には
感謝してもしきれない。
そして数少ない友達にも支えられた。
そのうちの1人とは、卒業して十数年経った今でも遊ぶ仲である。

そんな波乱の中学を卒業し、僕は大阪市内の工業高校に進学した。
その時、自分の中では少し気持ちの変化が起こっていた。
中学時代のような3年間は過ごしたくない、そのためには自己主張を
ちゃんとしようと決意した。

その思いを持って行動した結果、高校生の時が一番楽しいと思える
学生生活になった。
今でも連絡を取り合うのは、高校時代に出会った友人が多い。

高校卒業後は専門学校に進学し、それから社会人になり今に至る。

自己紹介というより生い立ちについて語ってしまった感はあるけれど、
Mahiroという人間を作った道のりなので、長々と語らせて頂きました。

今の僕は10代の頃の経験を元に今を生きている気がする。
言った本人は忘れているであろう言葉を未だに覚えていたりするし、
それが心の奥底の傷になっていたり、自己肯定感に繋がったりしていたり。。

その辺の話はまたいつかの更新の時にしたいと思います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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