移転を決めた時は不安だらけ【M y Story①】
2020年4月、サロンは11周年記念をむかえました。
現在のサロンメニューには、マッサージ・自力整体・ファスティング、各種ワークショップなど様々なメニューがありますが、最初は、マッサージだけのお店でスタートしました。
メニューも、揉みほぐし、足つぼのみでスタート。
タイ古式マッサージやアロマトリートメントもできたけど、メニューには載せず、お客様の体調をしっかりカウンセリングして、提案していくスタイルでした。
メニューを細かく分けてカテゴライズすると、疲れや症状にあわせた柔軟な対応ができないのが嫌で、オリジナルメニューにしていました。
お客様が何を望んでいるかを読み解く力は、もともとあったので痒いところに手が届く施術者であったと思います。
予約がなかなか取れないサロンに成長
11年前、OPENから徐々に人気店になっていき、予約がなかなか取れないサロンとなりました、しかし、毎日施術ばかり続いて、体は疲弊していきます。腰痛も悪化。手荒れもどんどん酷くなりました。(私は敏感肌&乾燥肌です)
セラピストの仕事は、1日6人施術したらヘトヘトになります。
それが毎日続くと、体壊します。
それでも20代の頃は、体力があり大丈夫だったけど、自分で経営しながら、スタッフの管理、施術、新しい企画…
まだ29歳だった私は、無我夢中で頑張っていたと思います。
そうして、長年の施術のし過ぎで親指がさけた時、このままでは続かないと心底絶望しました。
休むこと、お金を自分につかう事を決める
10:00~21:00の営業時間、週1の定休日から、営業時間を短縮し休みも多く取り、毎月勉強もかねて、大阪に出ることを決めました。
節約時期が長かったため、お金も使い方がわからないので、週末に稼いだお金はすべて使い切ると決めて、今までずっとサロンに使っていたお金を自分に使うようになりました。
週末に稼いだお金は全部使うと決めると、施術のモチベーションが上がって楽しかったです。
毎月大阪に出るたび10万を使い切り、物欲を満たしてみました。2日、3日で使い切るってなかなか難しかったけど、数か月したら飽きました。
そうして、自分に使うのって、こんなものかとわかったので、スタジオ作ることを決めました。
スタジオ作ると、固定費上がるけど、自分にお金使うのも興味なくなったし、マッサージ以外の仕事の幅を広げるためには、逃げられない環境が必要と思いました。
トライアンドエラーの繰り返し
そうして、スタジオが完成し、私自身も自力整体ナビゲーターとなり、予防医学を指導をするようになりました。忙しさは何倍にもなったけど、毎日毎日マッサージの繰り返しの時より、体調は良くなり、充実感が増えていきました。
ヨガや占い、飲食店の方も関わるようになり、体だけじゃなく、食も心も整えていくことができるサロンとして、8年の年月をかけ作り上げてきました。
20代の全てをマッサージ修行にあててきて、遊びよりも恋愛よりもマッサージが楽しくて仕方がなかった私なので、手放しには時間がかかりましたが、ゆっくりと今の形に移行していきました。
全てが中途半端な時もありました。そんな時は旅に出るとリフレッシュでき、新しい形のアイデアの種をかき集めていました。
9年7カ月いたサロンを手放す時
10年の節目にサロン移転をするというのは、30代半ばに決めていました。移転までの2年間は、何をするかを決めていなかったので不安でいっぱいでした。
これを機に海外に移住する選択肢もあり、移住した経験のある方にいろいろ聞いたり、移住先候補の海外に行ったりと情報集めもしていました。
最終の決断は、運にまかせました。
移転の際、補助金申請をし経営計画書が採択されたら、改装しようと決め、採択されなかったら、サロンは手放し1度海外に出ると決めたのです。
結果、採択され私は、まだこの地でやることがあるんだと覚悟が決まりました。
安定した収入があるサロンを手放す怖さはありましたが、日本か海外か揺れている時よりは、スッキリして新しい未来に進みだしました。
まだこの時は、新しい場所で何をしたいのか、はっきり決まってない中での移転でした。
続く。
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