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老年期少年小説 「誰もいなくなったのはなんで?〈7〉」【すべてはなくなってしまった①】

還暦を過ぎて、再び上京した。
関西で出版社で校正の仕事をしていたのだが、
切りがいいタイミングで引っ越しをした。

夫婦での移住には親戚一同が反対していたが…
ユキオの一存で決行したのであった。

知人友人の大半も反対。
東京の出版社A社をとは関西時代も取引があった。
ユキオは多少、A社をあてにしていた。

関西で働いていたB社も、編集者とは良好な関係を築いていた…
そう思っていた。
他にも知り合いがいて、なんとか仕事は得ることができると
考えていた。

引っ越しに1か月ほどかかった。
諸事情あったが、まあ、それまでに多忙な時期もあり、
蓄えもあったため…少し休みたい気持ちもあった。

高齢での引っ越しは心身ともにこたえた。
圧迫骨折を5年前にやっていたことと、
五十肩というのか、打撲なのか肩がうまく上がらず…
しかも、引っ越し後2週目で寝返りも打てず、
寝てから起きるまでに数分を要するような状態に悪化した。



やむを得ず、引っ越し先で治療を行うことになった。
引っ越し先のクリニックで診察したところ、
骨には異常がなかったが…
五十肩はかなりひどい状態。
腰は椎間板がすり減った状態になり、
このままではいつかヘルニアになる危険があるという。

毎日、リハビリに通うことになった。
そうこうしているうちに、
1か月半が経過してしまった。


ユキオはA社に電話をかけて、
新しい住所の名刺を作ったこともあって、
挨拶に行った。

A社の仕事は引っ越し前に納品した際に、
東京移転のため、移転後にまたよろしくお願いいたしますという
メールの挨拶をしてあった。

今回引っ越しをしてメールをしたのだが…返信がなかった。
仕事も移転後には多少仕事が増えるのではないかと、
期待していたところもあった。

しかし、A社にあいさつに出向いたところ、
制作部長も編集者もいらっしゃらず、
若手の編集者の方にあいさつだけをして帰ってきた。
そのうち、仕事は来るだろうと高を括っていたのだ。

しかし、その後、1か月しても2か月しても、
A社からの連絡はなかった。
メールしても返信もなかったので…
直接制作部長に電話したのだが…これまた出ない。

編集者に電話したところ、
あてにしていた気持ちがくじかれる言葉が待っていた。

「すいません、コグレさんが2か月ほど引っ越しで
仕事ができないと思って、他の校正者に頼んでいたのですが…
その校正の方を正社員採用することが決まってしまいまして…
コグレさんには申し訳ないのですが、仕事が以前よりは減るかもしれません…」



A社からは、その年の年末に1回だけ、仕事をもらった。

他の知り合いの会社やかつていた会社にあいさつに行ったが、
結局仕事をもらうことはできなかった…。



妻は出て行った。
掃除の仕事をハローワークで紹介してもらい、
いまは、なんとか家賃を払えるように暮らしている。

現実は厳しかった。
しかし、何もかも失って…なぜか落ち着いている自分がいた。

慰謝料の代わりに、有り金全部渡して、
ほとんど金がなくなった。

この期に及んで…ユキオは自分がいかにうぬぼれていて、
人に頭を下げることもできず、会社からうとまれていたのかを知った。

2年たったところで…アパートを引き払い、
いまはなき生家の近くに越そうと思っている。
どこで死んでも同じだが…最後には、故郷の山が見たい…そう思っていた。