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大黒天【少年小説】


離婚の話が頻繁に出ていた頃だった。出ていくために妻が家にある家財道具を処分しだしたのだ。今週末もその一環で家の文房具を処分しようとしてボクのボックスまで妻がかき回していたときのことだった。

「あなた、この古いシャープペンシル捨てていいの?」
「あっ」
「どうしたの?捨てていいの?」
「ちょっとまって」

これは、小学校6年生になる前に転校したときに友達から贈られたものだった。

「そう。よくそんな昔のものとっておけたわね」
「捨てられなくてさ」
「あれ?文字が彫ってあるのね」
思い出した。

「大黒天?何?だいこくさまのことよね?」
「違うよ」
「違わないわよ」
「大黒天は日本の民間信仰ではだいこくさまのことでもあるけど、それは贈ってくれた大河内くんと黒田くんとボクの天方の頭文字を刻んだものなんだよ」
「ぷ。神様の名前って知ってたの?」

久々に妻が笑ったのをみた。ちょっとどきっとした。会話が久々に続くので少し楽しい気分になった。

「いや、彫ったときは気付かなかった」
「転校のときに友達から贈られたなら捨てられなくても仕方ないね。どうするの?」

妻から手渡されたものをしばらく見ていた。刻んだ文字、見覚えがある。急にいろいろなことを思い出して胸が締め付けられた。そして手足から力が抜けていった。

「なんでそんな悲しそうな顔してるわけ?」
「え?そう。ボクいま悲しい顔してるのか~」
「いま友達はどうしてるの?」
「もう付き合いないよ。どうしてるかな?」
「その文字、友達と彫ったんでしょ?とっとけば?大切な思い出じゃないの?」

悲しさがとがった鋭利ななにかのように刺さった。

「最後の日に子供会で遠足があってね、その日に二人から贈り物もらったんだよ」
「うれしかった?仲が良かったの?」
「うれしかった。仲が良くなかったから」
「めんどくさそうな話ね」
「まあ、話を聞いてくれる?」
「仕方ないね…いいよ…聞いてあげる」

二人とはよく遊んだ仲だったけど、よくケンカというか口論みたいになったし、関係は良いわけではなかった。


原因は自分にあったと思う。小1のころは結構ガキ大将だったボクは3年生のときに転校してきた黒田くんが来てからはその地位を追われたかたちになっていた。とはいっても、黒田くんがボクのような支配欲があったとは限らないし、彼はそんなこと考えもしなかったかもしれないが――ガキ大将というか子どもの世界での階層のある世界では、勉強や運動、得意な趣味のジャンルで上回っている人間が上に立ちやすい。

子どもの世界では能力の高い人間と仲良くなりたがる傾向がある。ガキ大将というかボスは、猿山のボスのように面倒を見て能力の高さや器量をみせることで地位を守るわけだ。

ただそういう子供じみた世界を上回る大人のような子どもはガキ大将をさらに上回る地位をえる。しかし、子どもの世界だ。人格者よりは人気者やひょうきんもの、何か実力がある人間が注目をあびるものだ……と自分で勝手に考えていたんだと思う。

小5になりガキ大将の地位はスライドしてボクは小1とかの小さい子どもたちと遊んだり、クラスで目立たない子どもたちとよく遊ぶようになった。上に立ちたいという意識があったのかもしれない。少なくとも、上から攻撃されるという恐怖は低い。実際は恐怖心が強い子どもだったのだろう。年上の人とは一切遊ばなくなっていた。

「最後の日の遠足で、確か昼御飯食べたときかな、シャープペンシルをくれて、泣きそうになるくらいうれしくてね」
「手紙くれよって言ってくれた」
「よかったね」
「うん。それで遠足終わったら見送ってくれるって言われて」
「見送る?」
「遠足が終わったら――その町から出てる南方向のバスに乗ってボクは引っ越し先に向かう予定だったのさ。そのときみんながボクの乗るバスを見送ってくれる予定だったのさ」
「そう。遠足はその町のバスターミナルが終点だったのね?」
「そうなんだよ」
「みんなで見送ってくれたのね」
「それがさ、だめだったの」
「なんで?」
「彼らの帰る方向のバスは山奥に向かうやつでね、本数が少ないわけ」
「うん」
「だから見送ってくれるはずだったけど、二時間に一本しかないバスに向かってみんな走って行ってしまったんだよ」
「じゃあ、あなた一人がみんなを見送ったのね?」
「悲しかった。お別れもちゃんと言えないまま振り向き様に手をふったくらいでね」
「でも、シャープペンシルに3人で彫ったんでしょ」
「実は、ボクが自分で彫ったの。かっこわるいんだけど。ほんとは『別れの前に三人で彫りたい』って二人には頼んでて『書くよ~』って言ってくれたんだけどさ…。バスが少ないおかげでそれもできなかった」
「なんか寂しいお別れだったね」
「うん…」
「でも、実家にはおじいさんおばあさんはいたんだから時々帰って会えたんじゃないの?」
「そうなんだけどね」
「たのしくなかったの?」
「なんかゴールデンウィークに帰ったんだけど、あんまり友達の反応がこっちの期待度を下回ったといいますか」
「もっとちやほやされたかったわけね」
「まあね……喜んでほしかった期待度をかなり下回ったのよ」
「文通してたんじゃなかったっけ」
「それがさあ、大河内くんがいちばん好きだったのに一回もその後返事来なかった」
「黒田くんは」
「彼は結構ちゃんと手紙くれて、なんかライバル視してたのはこっちの方で、できた人間だったのよ」
「彼とは仲良くできたのね」
「でもやっぱりあんまり黒田くんのこと好きじゃなかったから、いつの間にか手紙をださなくなっちゃったんだ」
「それは自分勝手でちょっと冷たかったんじゃないの?仲良くできたかもしれないんだよね?」
「だよね…」

その後、新しい町の友達ができて、それなりにたのしくなり、祖父母が父母と不仲だったこともあり実家にあまり行かなくなってしまい――かつての友達との付き合いもさらに疎遠になっていった。

しかし、転校後は山奥の実家と違う多少都会だったこともあり、文化の違いに違和感があった。いつも実家に戻りたい気持ちはいつもあった。祖母に会いたいこともあって、年に何回かは泊まりに行っていた。

いくたびにそれまでの知人とは会うことがおっくうになり、かつなんだか変わっていく旧友を確認することが怖くなって自分から出ていかなくなった。

祖父母に会いに行く以外は実家にいてテレビやマンガをみていた。
夜は、祖父母が寝たあとに「父母がいないチャンス」だったのでテレビで大人向けの映画やテレビ番組を見ていた。しかし、いつも期待外れのときが多かった気がする。そのあとに、夜中に独りで布団に入るときのいいようのない怖さや虚しさ、暗闇の薄気味悪さがいまでも記憶に蘇る。

会話をする友達もいなくなり、実家にいてもかなしい気分しかない。仲のよかったばあさんに会いに行くだけで――不仲な父母は一緒に泊まることもなく――ボクを迎えに来る日だけ実家に来ただけだった。

中2の祭りの日に、珍しく実家で昼飯を家族で食べた。
そのときに母が「部屋にとじこもってないで大河内くんのとこに行ってきなさい。祭りの屋台見に行かないの?」と言った。

その発言は本人はよかれと言ったのかもしれないが「実態を知らない人間が残酷なことを言っている」だけだった。でも母は何も現実をわかってなかったのだと思う。

手紙を出しても1回わけのわからない「懸賞に当たりました」というギャグのような手紙しか送り返してこない大河内くんに会いに行け? 
何度か会ううちにますます気が合わない人間にお互いがなってきているのに?
母には「わかった」と伝えて出ていった。

しかし大河内くんに避けられたらやはりいやだし、話すということが考えにくい。何を話したらいいのか? 大河内くんの家までは行ったものの、結局家の前を通りすぎて祭りの屋台がある神社まで歩いた。人だかりがあったが、視線をそちらに向けることができなかった。話しかけて無視されたり、忘れられていたらと思うと怖かった。何分そこにいたろうか? 

顔を上げず、誰かに話しかけられるのを待っていたのかもしれない。恐怖の限界をこえたボクは神社の裏に抜けて自宅に戻った。どうやって戻ったのかあまり覚えていない。母がいらいらして聞いてきた。
「大河内くんとあってきたの?なんですぐかえってきたの?」
そのときにボクはもう何も答えなかった。深いかなしみがあることを母も父もわかりはしなかったろう。

それ以来、ボクは実家に泊まりに帰ることはなくなった。何を言われても「行かない」とだけいうだけだった。元々仲の良くない実家へ行かなくなっても、問題にはならなかった。

母への絶望はそのときからではなかったが、母にはもう本当のことは話さないと決めた。もちろん、すでに父には何も話しても無駄だと思っていたが。

「ねえ、シャープペンシルの大黒天は自分で彫ったんだよね?」
「うん」
「いつ彫ったの?」
「引っ越し先に移動するバスの中だよ」
「どうやって?」
「そのとき持ってた筆記用具にシャープペンシルがあったから、その先端で傷をつけて彫ったの」
「なんだかかなしいね」
「うん…かなしかった」

いいとしして涙ぐんだ。

「泣いてるの?」
「うるさいよ。かなしくて悪かったね」
「どんな気持ちで彫ったか思い出せる?」
「うん…なんかボクなりに『ずっと友達でいたい』っていう…祈りみたいなもの感じてたのかな?」
「疎遠になったり成長過程で性格が合わなくなったりってのはよくあることよ」
「うん」
「見えっぱりのあなたには、カッコ悪い過去のエピソードかもしれないけど、友達でいたいってそのときの気持ちは大事に受け止めたら?」
「そうだね」
「恨んだり逆恨みしたりするあんたの性格にも、そういう人間らしい気持ちがあったんだってプラスに考えなよ」
「…」

シャープペンシルはそのあと捨てた。

大河内くんと黒田くん、どうしてるかな?
二人はたぶん自分のようには感じてないだろう。
元気だといいな。二人とも。
 


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