マガジンのカバー画像

トーキョー・レガシー・ワンダーランド

56
巨大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。
運営しているクリエイター

#散歩

#56教会通り@荻窪

教会通り@荻窪東京に出てきて初めて住んだ街が荻窪だった。杉並区本天沼というところにあったアパートに住んだ。風呂はない四畳半の部屋だった。 このアパートは4月から10月まで住んだ。その後、中野坂上や東中野に3年ほど住み、再び荻窪に住んだ。次は杉並区荻窪4丁目という場所で、天沼陸橋という交差点の近くだった。 そのころはすでにフリーライターになっていた。ひとり暮らしで食事はすべて外食だった。 昼食時はふらふらと、荻窪駅方向へ歩く。12時から13時は混むので、13時をまわってから家を

#55 せんねんそば@田原町店

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 中学生のときに自分の小遣いで初めて立ち食いそばを食べた。今でもあるが、駅に立ち食いそば屋があって、そこでこっそりそばを食べるのが好きだった。たいていは、おやつ感覚で、食べた。そばと言っているけれど実際はうどんを食べていた。 山口県の防府という町の駅そばなので、うど

#42 ばとう@上野

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 僕の妻は派遣社員で、毎朝、満員電車に乗って出社する。 僕も妻と一緒に駅まで歩くということを結婚以来ずっと続けている。 2014年に北上野に引っ越したのだけれど、妻の通勤する駅は、大江戸線の新御徒町駅だった。 派遣社員なので、会社が変わると、最寄り駅も変わる。 それ

#41 スパゲッティキング@新橋

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 ここのところ、かつてニュー新橋ビルにあったナポリタンが食べられる喫茶店「サンマルコ」「ポワ」について書いたが、今回はもうひとつ、「スパゲッティキング 」について書こうと思う。 こちらのナポリタンは喫茶店のそれではなく、ジャンル的にはロメスパということになる。つま

#040 ポワ@新橋

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 前回、ニュー新橋ビルにあった喫茶店「サンマルコ」について書いたときに、ちょっと「ポワ」のことにもついてふれたが、もう少し詳しく書いておきたい。 80年代、喫茶店「ポワ」はよく利用した。 後にナポリタンのおいしいお店として知られるようになるわけだが、僕が80年代に

#039 サンマルコ@新橋

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 ニュー新橋ビルというのが新橋駅前にある。SL広場のすぐ隣だ。かつてこのビルにはナポリタンを出すお店が多く入っていた。 2015年当時、僕はこのビルのナポリタンを食べ歩いた。まずは、一階に「むさしや」さん。ここは現在も人気店で行列が絶えない。ただ、以前はナポリタン

#38 ケント@東上野

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 かつての自宅から近いということで、よく利用していた喫茶店「ケント」。 なぜケントという名前なのかをお店のかたにうかがうと、まさに喫茶店あるあるで、「前の方がやっていたお店がケントという名前だったので、そのまま引き継いだんですよ」とのこと。 だから、なぜケントなの

#37 来集軒@仲御徒町

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 新宿区から台東区に引っ越してきて、とにかく驚いたのは個性的な個人店が多いということだ。 なかでもいちばん個性的だったのが、台東2丁目にある「来集軒」だった。 その外観の素敵さにまずはしびれた。最初に見たのは2014年7月25日だった。夕方ですでに店は閉まっていた。

#36 恵華@台東区松が谷

巨大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 台東区に引っ越したとき、住まいの一階に町中華があった。これが我が家から一番近い町中華だったが、2番目に近いのが松が谷の住宅街にあるこちらのお店。 初訪問は2015年6月10日。お、冷やし中華の文字が見えるぞと、入店。もう、そんな季節なのかと。 うかがった時間は

#35 大木洋食店@浅草

巨大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 大木洋食店という老舗の洋食店が浅草にあるのは知っていて、ぜひ行きたいと思っていた。 台東区へ引っ越し、割と早めに訪問した。2014年9月17日のお昼にうかがった。 訪問した様子はブログでも書いている。 浅草の時間が止まったような「大木洋食店」 - 下関マグロの

#34 田中食堂@稲荷町

巨大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 稲荷町にある100年続く田中食堂が2018年7月27日に閉店してしまった。 かつてはこんな食堂が町のあちらこちらにあったのだけれど、今は珍しい存在だった。 最初に訪問したのは2014年6月。東京メトロ銀座線の稲荷町駅が最寄り駅という場所に引っ越してほどなく訪

#33 民華@御徒町

巨大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 閉店してしまって、自分の思い出の中にしかないお店というのがある。歳をとるというのは、そういう思い出の中にしかない店が増えていくということだ。 そんなお店のなかでもいちばんショッキングだったのが御徒町の町中華「民華」だ。 場所はJR山手線の御徒町駅から昭和通りに

#32 アヅマ@新御徒町

巨大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 新宿7丁目から北上野2丁目に引っ越そうとしていた2014年の初夏。引っ越し前に新しく借りた部屋へベランダの植木などを少しずつ電車で運んでいた。 駅で言えば、都営大江戸線で東新宿駅から新御徒町駅であった。最初は出口が違うので気づかなかったが、素敵な立ち食いそば屋が

#31 マダムケイ@富久町

巨大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 このところ富久クロスのことについて書いているが、今回は「マダムケイ」というお店。 最初に知ったのは2004年のことだ。 ミクシィという日本のSNSの草分け的な存在でオフ会がここで開かれた。 当時の僕は四谷の本塩町にある四谷コーポラスに住んでいて、新宿までよく歩