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トーキョー・レガシー・ワンダーランド

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巨大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。
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#ルポ

#55 せんねんそば@田原町店

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 中学生のときに自分の小遣いで初めて立ち食いそばを食べた。今でもあるが、駅に立ち食いそば屋があって、そこでこっそりそばを食べるのが好きだった。たいていは、おやつ感覚で、食べた。そばと言っているけれど実際はうどんを食べていた。 山口県の防府という町の駅そばなので、うど

#49 三朝庵@早稲田

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 一時期、早稲田に住んでいたが、早稲田に住む前から、知っていた三朝庵というおそば屋さん。穴八幡の斜め前、早稲田通り沿いにお店があった。 「元近衛騎兵連隊御用」「元大隈家御用」という看板。なんだかものすごいお店のようなかんじ。 暖簾には「早稲田最老舗」の文字。とて

#48 くじら軒@八重洲地下街

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 散歩に出かける予定だったのだけれど、急に雨が降ってきたので、予定を変更して、久しぶりに八重洲地下街にやってきた。雨でもお散歩ができるのが地下街だ。それが2016年9月8日。けっこう久しぶりの八重洲地下街。 1980年代、20代で駆け出しのライターだった僕は最低で

#47 三益@荻窪

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 荻窪の三益という町中華があって、僕は2015年4月15日に訪問している。 散歩の途中に見つけたこの店は、そのたたずまいが素敵でずっと行こうとしていたのだが、やっとこの日、訪問することができた。 店は歴史があるようだけれど、暖簾は新しい。 13時過ぎに入店。先客

#46 蛙河童@かっぱ橋本通り

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 今回は河童のオブジェの話だ。 2005年、それまで下関マグロ名義でやっていたオールアバウトのフェチというサイトが大人の事情で終了し、本名名義の散歩のサイトがスタートした。オールアバウトは専門家たちがそれぞれガイドとしてその分野に関する記事を書くわけだけれど、散歩に

#45 幸楽@荻窪

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 2013年12月、僕と北尾トロは町中華をめぐろうと話していた。 といってもまだ具体的になにをどうするといったことは考えていなかったが、なんとなく2人とも頭に浮かんだのが荻窪の「新京」という町中華だった。 荻窪は僕が上京して最初に住んだ街だ。 その後、北尾トロと事

#44 光月湯@入谷

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 いつも飲食店を取り上げることが多いのだが、今回は銭湯だ。といっても、僕が発見したとき、すでにそこは銭湯跡地だった。 かろうじて、「光月湯」という文字が見えた。 新宿から上野に引っ越してきた当時は、とにかく日々歩き、写真を撮った。これを撮影したのは2014年8月2

#43 ベルモント@四谷

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 2000年から2001年にかけて、僕は『スタジオボイス』という月刊誌で1ヵ月間毎日同じものを食べるという連載をしていた。 このことはすでに何度か書いているが、現在、ナポリタンの本を執筆中なので、そのときナポリタンを食べたお店を本連載でもよく取り上げている。 たとえ

#42 ばとう@上野

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 僕の妻は派遣社員で、毎朝、満員電車に乗って出社する。 僕も妻と一緒に駅まで歩くということを結婚以来ずっと続けている。 2014年に北上野に引っ越したのだけれど、妻の通勤する駅は、大江戸線の新御徒町駅だった。 派遣社員なので、会社が変わると、最寄り駅も変わる。 それ

#41 スパゲッティキング@新橋

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 ここのところ、かつてニュー新橋ビルにあったナポリタンが食べられる喫茶店「サンマルコ」「ポワ」について書いたが、今回はもうひとつ、「スパゲッティキング 」について書こうと思う。 こちらのナポリタンは喫茶店のそれではなく、ジャンル的にはロメスパということになる。つま

#040 ポワ@新橋

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 前回、ニュー新橋ビルにあった喫茶店「サンマルコ」について書いたときに、ちょっと「ポワ」のことにもついてふれたが、もう少し詳しく書いておきたい。 80年代、喫茶店「ポワ」はよく利用した。 後にナポリタンのおいしいお店として知られるようになるわけだが、僕が80年代に

#039 サンマルコ@新橋

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 ニュー新橋ビルというのが新橋駅前にある。SL広場のすぐ隣だ。かつてこのビルにはナポリタンを出すお店が多く入っていた。 2015年当時、僕はこのビルのナポリタンを食べ歩いた。まずは、一階に「むさしや」さん。ここは現在も人気店で行列が絶えない。ただ、以前はナポリタン

#38 ケント@東上野

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 かつての自宅から近いということで、よく利用していた喫茶店「ケント」。 なぜケントという名前なのかをお店のかたにうかがうと、まさに喫茶店あるあるで、「前の方がやっていたお店がケントという名前だったので、そのまま引き継いだんですよ」とのこと。 だから、なぜケントなの

#37 来集軒@仲御徒町

大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。 ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。 真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。 懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。 新宿区から台東区に引っ越してきて、とにかく驚いたのは個性的な個人店が多いということだ。 なかでもいちばん個性的だったのが、台東2丁目にある「来集軒」だった。 その外観の素敵さにまずはしびれた。最初に見たのは2014年7月25日だった。夕方ですでに店は閉まっていた。