見出し画像

語彙力向上のための日記的なもの②

どうも、高等遊民ならぬ低等遊民マグでございます。

上記の通りでございます。自己満足文をつらつら書きます。

人生がマンネリ化して、ありのすさび(生きているのに慣れて、ありがたみを感じず生きること。)になってしまわないよう、日々何かをしなければと思いますね。
上げ膳据え膳(自分は何もせず、全て人にやってもらうこと。)の生活は避けたいもんです。しかしながら仲の良かった同期が辞めていったりしますね。慰留(去ろうとする人をなだめて引き止めること。)はしませんが。その人の人生ですし。

自分の人生、人格に一貫性があるのかとか考えてしまいます。内股膏薬(うちまたごうやく:都合次第で意見や立場を変えること。)になっていないか。ネタのスタイルはめちゃくちゃコロコロ変えてますが、どういうのが面白いと思っているのかみたいな、一家言(いっかげん:その人独自の意見。)は一貫しているつもりです。お笑いから離れるのも大事だなと最近思います。(辞めるとかではなく。一旦ね。)お笑い以外のコンテンツもたくさん見たいなーって思います。ハイカラ(流行を追ったり、新しいものを好んだりすること。)もいいですが、不朽の名作を言われているものがなぜ名作であるのかを考えながら見たりしたいですね。

読書も5月からはスタイルを変えてみようと思います。前までは完全なる乱読でした。それはそれで脳がギチャギチャになって楽しかったですけどね。耽読(たんどく:夢中になって読みふけること)しまくりでした。
同じジャンルの本を5、6冊くらい寄せ集めて1ヶ月であるジャンルの知識の定着を図ろうやないの、ってわけです。毎月詳しくなる分野が増えれば、数年後、あにはからんや(意外にも。全く思わなかったが。)こんな形で人生救われるのか!ってな出来事もありそうですね。まさしく後学(後で役立つ知識)です。

あとは人とのコミュニケーションをもっと取りたいですね。取らなさすぎてるのでやらかしが多いです。自己肯定感の低さと拗らせ精神が、クソハーモニーを奏でた結果、人のことを差し置いて「自分が褒められたい」が勝ちすぎてしまう傾向にあります。僕に褒められても嬉しくないやろとか人間不信が働いて、勝手に思い込みが起きて、人を全然褒めないとかもあります。結果、無礼なナルシストに映ってしまいます(実際にナルシストでしょうけれど!)。なんか、僕の中で劣等感・拗らせのトリガーが引かれたら、途端に頑是ない(がんぜない:幼くて聞き分けがない)モードになってしまいますね。我田引水(自分の都合のいいように考えたり振る舞うこと。)が過ぎるのですが、それをリアルタイムで自覚ができない僕の厄介さがあります。ごめんなさいの塊です。僕の周りは優しい人で満ちている。これはもっと深く胸に刻むべきです。今の僕は周りに恵まれている。皆優しい。地元じゃ考えられないくらい。
みんな拗らせや劣等感を押し殺して立派に生きてるわけですから、僕も見習わなければですね。
人と深い話をしている時が楽しいです。深い話最高。深い人間になりたい。

あとはまあ、天の配剤(天は人それぞれに能力や機会などをほどよく与えるものである)を信じて目の前の小さなタスクをクリアしていくのみです。

以上。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?