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日記・残り風
今日の晩御飯は何にしよう。こないだ大量に貰った玉ねぎを消費しないといけないから、豚と炒めて生姜焼きにでもしようか。でも最寄りのあのスーパーは9時までだからな、間に合うかなあ。なんて考えながら外へ出ると、想像より何トーンも暗くなった街を、週末の台風の残り風が吹き抜けていた。
思わず、やれやれと言った調子での「寒いんだけど。」という言葉が口を突いた。
そういえば昨日インスタで金木犀の香りのコスメ見たわ。そんな季節だよな。と思うと同時に、これって誰の言い方だっけ?と引っかかった。
寒いとか疲れたみたいなネガティブな言葉を、外人がやるようなオーバーなやれやれと言ったポーズをしながら明るく言う。それはそれで仕方ないよね。で、どうする?みたいなポジティブなふざけ方で好きだったこのノリ。誰だっけ?
20%引きシールの付いた豚こまが入ったエコバッグをぶらぶらさせながら歩いていた時、ふと思い出した。あの子だ。岡山出身のあの子。
その子とは2、3回しか会ったことはない。ただ、当時付き合っていた人とその子はすごく仲が良い友達だったのだ。その子のふざける時の口調を気に入った元カノが自分と2人の時も真似するようになり、それが自分たち2人の中のノリとして定着していった。
目の前で電車を逃したときは「行っちゃったんだけど。」「次の特急、15分後なんだけど。」と言い合い、食パンの期限が切れてた時は「もうこの子とはサヨナラなんだけど。」「ごめんなんだけど。」と言ってふざけた。ちょっとしたネガティブなことは、これで楽しいノリへと変えられた。
自分の口調が数年前に会ったっきりの、友達の元カレの片隅に残っているとは、あの子は思いもしないだろう。
だが、自分というのは出会ってきた人たちの集合体だ。趣味や口調や考え方まで、互いに影響を与え合い、その繋がりの中で自分を作り上げている。だからあの子の言葉が元カノを経由して自分の中にあるのも自然なことだ。出会って別れてを繰り返す中で、人との思い出がスプーン1杯だけでも自分の中に残ったこと。それがもしかしたら自分と接した誰かの中にもあるかもしれないこと。それこそが自分にとっての生きていく希望だ。それだけでもう孤独じゃない。
「誰の存在だって世界では取るに足らないけど 誰かの世界はそれがあって造られる」
というBUMPの好きな歌詞のその通りだ。
そんな事を考えていたら、生姜焼きを炒め終わった。これ食べて明日もがんばって生きるぞい、と炊飯器を開けると、水に浸されたまんまの生米が顔を覗かせた。
「ボタン押し忘れたんだけど!」
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