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エクセル使用率が高ければ、転職活動を始めるべきである

2022年3月16日
エクセルは世界最強の業務ソフトである。
だからこそ、さようならと言おう。

社会人5年目くらいまでは、IT原始時代であった。
そんな時代を知っている者にとって、インターネットとメール、その他の業務ソフトの出現は革命であった。
この辺りの劇的な変化については、巷間よくある話なので、いちいち詳しくは触れない。

ただエクセルだけは取り上げたい。
理系のボクにとってエクセルは画期的であった。

実験結果が瞬時にグラフになる。
実験をしながらグラフが書けるのだ。
電卓片手に、方眼紙へポチポチと打点していた苦労は何だったのだろう。
グラフを片対数にも両対数にも瞬時に変換できる。
近似線が書けて、その方程式も、相関係数も表示される。
グラフトレンドから、次の実験条件も簡単に決めることができる。
有意性の検定もできるので、実験の辞め時もわかる。
マクロを組めば、複雑な処理もアッという間に終わる。
数千回程度の計算でわかることなら、プログラムを組む必要もない。

数え上げれば、キリがない。
実験系エンジニアだったボクにとって、エクセルで仕事をしている時間は幸福だった。
実験が甘美な曲線になって目の前に現れるのだ。
できればパワーポイントなどは作らなくても良い会社人生を歩みたかった。
そうもいかなかったけど。

それはともかく、気づけば、あらゆる業務にエクセルが進出していた。
計算もない、数字もないドキュメントでも、エクセルを使う人が増えていた。
罫線や枠が簡単に書けて、ほぼ印刷イメージで編集できるからであろう。
かく言うボクも、簡単な報告、ちょっとしたメモなどに使っていた。
コメントや矢印を付けて写真を送りたい時、ほとんどの人は写真をエクセルに貼り付けて送る。
エクセルは台紙じゃないのに。
他のソフトでもできるのに。
みんなが何かというとエクセルを使っていた。

エクセルは便利すぎる。
何でもできる。
だからエクセルは人をダメにする。
ワープロが普及して、人が漢字を書けなくなった、みたいな理屈ではない。

何でもできる万能ソフトに頼っているということは、すなわち思考停止に陥っているのだ。
何でもできるから、闇雲にエクセルを使ってしまう。
エクセルで可能な方法を探すことに夢中になる。
エクセルの表をアレコレ触っているのは実に楽しい。
仕事をしている気になってしまう。
しかし生産性を下げてしまっていることに気づいていないのだ。

例を挙げるなら、厳密に言うとエクセルではデータ管理ができない。
データベース機能はないからだ。
仮に、蓮葉ヒフミさんという人がいるとしよう。
その人が、サンシローという名前に改名したとすれば、あらゆるファイルの、あらゆる蓮葉ヒフミというセルを検索して、サンシローに置換しなければならない。
大変な作業が発生する。
どこかで抜けがあっては、トラブルの元になる。

もちろん、名前なので最初から見越して、何らかの手立てを講じておけば良い。
しかし、そういうことが必要ということは、向いていないということなのだ。

何でもできるのであれば、エクセルの達人に任せていたら、何とかしてくれるだろう。
しかし、その人はいつまでもいてくれないのだ。
達人がいなくなったら、業務は瓦解するであろう。
万能性がすぎると、属人性が増すということなのだ。

あえて言おう。
エクセルに頼りすぎている組織があれば、おそらく未来はない。
入社した時にオフィスを見渡して、ディスプレイがエクセルの表だらけだったら、すぐに転職活動を始めるべきである。

エクセルは、表計算とグラフ作成以外に使ってはならない。
エクセルは、人と組織をダメにする。
何でもできるエクセルみたいな人がいたら、それこそ要注意だ。
それではまた。

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