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神様への入り口で美意識に火がつく

前回、アネックスを解体してスガスガしがっていましたが、ちょっとした落とし穴があったと書きました。
無邪気にスガスガしがってる場合じゃなかったのです。

そのアネックスは平屋ながら高さ3メートル、幅9メートルあり、それが無くなるとあらためて気づかされました。
アネックスて。“離れ“です。元は農機具倉庫、納屋でした。
とにかく離れが無くなり、気づいたのです。
庭と家(母屋)が丸見えです。
庭木が伸び放題、ジャングル化しつつあることが丸分かりなのです。
母屋のほうも外壁塗装の剥がれ、網戸の破れ、ブラインドカーテンの乱れ等があらわになりました。
他の家はどこもキレイにしているのに。
今まで数十年も隠されていたのが、突如として人の目に晒されてしまいました。
もちろんこの後フェンスを立てる予定ですが、建物ほどの高さにはなりません。

おまけに我が家は、神社の参道の入り口すぐ、道がゆるくカーブする外側に建っていて目立っています。
参道入り口から正面を見ると、まず我が家が目に入るのです。
つまり大鳥居があるような巨大神社だと、その大鳥居の下で一礼をする先がウチの家なのです。

この地域、今は無数に家がありますが100年前は50軒ほどの農村だったそうです。
そして神社の参道に面している旧家は7軒ほどです。
その中で参道を正面に見構えているのはウチだけなのです。
小さいながら(旧家では小さい方)、地域の顔のような立ち位置なのです。

うーむ。
見られないようもっとフェンスを高くしようか?
村の鎮守の神様の入り口で世界を拒絶するのか。
このまま庭木を放置できるか?
澄んだ心で参拝に行こうとしている方々を前に醜態を晒すのか。

居たたまれなくなり、植木屋さんに電話しました。
工事が終われば植栽の剪定をしてもらうことにしました。
あと、窓も修理してもらいます。
使っていない部屋とはいえ不細工です。
屋根瓦のずれたところも直してもらおうかな。

美意識に火が付いてしまいました。
美しくないものはダメです。
醜いものは排除しなければならない。
前回、破壊願望について書きました。
離れを解体・破壊したかったと。
なぜ破壊したかったのか深く掘り下げていませんでした。
しかし離れが無くなったことで分かりました。
離れは美しくなかったのです。ボクにとっては醜い存在でした。

納屋から住居用別邸、通称”離れ”に改築したのが32年前、ボクが結婚する少し前でした。
母屋には7つも部屋があるにも関わらず、そして敷地には駐車スペースが無いにも関わらず、なぜかさらに2Kを作った。
父は二世帯住宅を考えていたのです。
ボクの意向をロクに聞かずに。

そしてこの離れ、昭和の長屋のようで超絶ダサかった。
モスグリーン色の壁の和室と、いかにも安い流し台があるキッチン。
お風呂はありません。雨でも寒空でもいったん庭に出ろというのか。
しかも今回の解体で分かったのですが、壁床天井には断熱材が全く入っていませんでした。
夏は暑く冬は寒かったでしょう。
一緒に住んで欲しいのなら、”こんなもんでええやろ”はアカンやろ。

その後、ボクは住まなかったこの離れは、父の書斎兼たまに来客が泊まる客間になりました。
書斎といっても、まったく読書をしないくせにボクの蔵書を勝手に本棚に並べ、弟が毎年手伝った年賀状印刷だけのためのPCとプリンターを揃えた、体裁だけの書斎でした。
父が会社や自治体から貰った幾つもの賞状が額縁に収められて、モスグリーンの壁に飾られていました。

父の無神経さと見栄が凝縮したようで、ボクにとってこの離れは醜い嫌悪の対象でした。
ただ父の悪口を言っているようですが、これは裏返された自分の姿にも思えました。
嫌悪や憎悪の対象は、そこに自分の醜さを見つけているのです。
自分にも無神経さと虚栄心があり、それが投影されているような気がしていたのです。

それが形として無くなると、まるで自分の心も浄化されたスガスガしい気持ちになりました。
すると、さらに別の醜いものが気になってしまいます。
手入れされていない庭木、母屋の外壁、使わないモノがぎっしり詰まった100人乗っても大丈夫な物置、庭のあちこちに無数にある植木鉢などなど。
そう言えば、何気なく掃除を始めると、いつの間にか徹底的に掃除をしてしまう癖がボクにはありました。
なのでまだまだ殲滅作戦は続くでしょう。
籠城作戦は終わった。あとは残党を殲滅するのだ。

ぬーしかし。
こんなはずじゃなかった、とも思っています。
やっぱりスガスガしがっている場合じゃなかった(清々すがすがをカタカナで書くと何だか楽しいので無意味に多用しました)。
美しさを求めたと言っても、要するに外見、つまりは世間体を気にしてるとも言えます。
世間体って、古くからの地域の住民としての自覚が芽生えたみたいだ。
ボクは、しがらみを忌み嫌う自由人のはずなのに。
周囲との距離を保って、縛られず気ままに暮らそうと思っていたのに。
これが土地と家、先祖代々の呪縛ってやつなんだろうか。

いやいやいや。
それがどうした。
解体できることがわかったから、この母屋も庭もスガスガしく解体整地して、スガスガしく全部もろとも売っ払って巨万の富を得て、もっともっとスガスガしがるのだ。
そんなことできるかなあ。亡父も孫兵衛ひーひーじーさんも先祖代々のみなさんも激怒するだろうなあ。それではまた。

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