「選択と集中」にリストラの意味はない 

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 1990年代後半にGEの経営者ジャック・ウェルチが「選択と集中」という言葉を流行らせました。儲かりそうな事業に経営資源を集中させることが重要だということで、経営改革したければ事業のリストラをどんどん進めるべきだということがトレンドになりました。元々は経営学者のピータードラッカーが提唱した考え方ですが、このようなリストラの意味は全く無くて、誤解されて広まったようです。

 当時の上司が、この言葉を好んでよく使っていました。ボクには違和感がありました。多様性を維持しておかないと変化の時代には生きていけないはずなので、「選択」して多様性を小さくするのは危険だと思ったのです。

 その上司が「今は選択と集中の時代だから、そんなことはやめておけ」などと言うたびに、反発して「絶対違う」と異を唱えていました。おそらく随分と煙たがられていたと思います。「多様性」という言葉も、当時では理解しづらい概念だったかもしれません。

 自慢話を言うようですが、今でこそ生物多様性やLGBTなど、ダイバーシティが言われるようになりましたが、当時「多様性」の重要性に気付いていたのは相当早かったと思います。ただ現在言われている「多様性」は、ただ大切にすべきもの、尊重すべきというニュアンスが濃いと思います。ボクが言う重要性は、環境変化に対応するため、生き残るために備えておく必要があるものという意味です。

 実は、仕事で微生物を用いた水処理について色々と検討していて、そこからその重要性を学びました。下水処理場でも浄水場でも、水を浄化をするとき微生物を用いています。微生物が水の汚濁成分を食べることによって水がキレイになっています。
 その微生物は数百(数千?)種類が共存していて、微生物種が多様である方が、つまり種類数が多い方が環境の変化にも強いということがわかっています。これは他の生物、人類でも多様性を維持することで環境の変化に対応しようとしていることがわかっています。

 例えば、人には何種類か遺伝病があります。多くが短命となる先天的な病気です。人類の歴史は数十万年ありますが、なぜこのような遺伝病が淘汰されず残っているのでしょう。これは変化に対応する多様性のためです。
 ある種の遺伝病は、マラリアには罹りにくいそうです。おそらくマラリアが変異して大流行した時に、人類を残すためのプログラムがその遺伝病なのでしょう。何かがあった時、環境が変化した時の備えとして、多様性は確保しておかなければならないのです。

 おそらくこのような多様性は事業や組織を考える時においても同じく重要だと感じたのです。多様な事業を展開するなり、準備しておけば、環境がどう変化しても対応できるはずだからです。
 将来何が儲かるかなんてわからない状態で、儲かりそうなものだけに「選択と集中」していては危ないのです。
 当時会社で「骨太の方針」とか言って「骨太」だけを残そうとしていました。その結果、どうなったかはここでは触れませんが。

 問題なのは事業が先細るだけでなく、それに関わった人材も、その周辺だけに集中してしまっては、多くの人材が使い物にならなくなります。いざ違う分野で追いつこうとしても、専門知識を身に付ける間に相手の背中は遠ざかるばかりです。

 多様性を尊重してくれないと、自分のようなハミ出し者の居場所が無くなるじゃんかという危機意識もあったと思います。懐の深い会社であって欲しかった。

 「懐が深い」という表現は主に人に対して使います。懐の深い人間とは多様性のある人間と言えるでしょう。
 つまり、多様性については、事業や組織論だけでなく、人の内面も多様にしておくことが肝要だと考えます。仕事人としての自分だけが現在の自分を形作っていると、その仕事が無くなったり、否定されたりすると逃げ場がなくなります。
 家族人、地域人、趣味人としての自分、自己への肯定感がそれぞれであれば、一つが否定されても他の自分が支えることができます。自分の中の種類が仕事人しかなくてメンタルをやられた人を知っています。「集中」してはロクなことはありません。

 そもそもドラッカーやウェルチが言いたかった「集中」とは、方針を決めたらFocusせよという意味だったとのことです。
 他社と差別化を図ることが、「先進性」だったら「先進性」に、「スピード」なら「スピード」に、「デザイン」なら「デザイン」にFocusせよという意味でした。
 事業の選択と集中ではなく、方針を選択し、それに集中せよ、の意味でした。それなら現在成功している数々の企業を思い浮かべれば、理解できます。なのでボクも方針は決まっているので、脇目も振らずFocusしなければ。

 今回は当たり前な話ばかりでした。今は当たり前でも、20年以上前にすでに考えていたんだ、オレって凄いだろって自慢を言いたいだけの記事でした。
 そして次回はなぜ、選択と集中の意味が誤解されて広まったのか、その考察をさらに自慢げに書いた記事をアップさせます。それではまた。

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