見出し画像

「老老介護」 始めました!

母が1型糖尿病と認知症になり、母を介護施設に入れたのが5年前のことでした。家庭内のことに無責任な父には、母のインスリン注射のコントロールを任せられなかったのです。
父にも施設に入るよう説得していましたが、気ままにポックリ逝きたいんやと言いながらホントに1年後に父が急逝し、その年の冬にコロナがやってきたのでした。
(ろうろうかいご、はじーめましたー)

コロナ前は、週に1-2回は施設に行って母と面会できていたのですが、コロナ蔓延中は、面会・外出禁止となりました。
しかもその多くの期間で、施設内でのロックダウン、つまり入居者は部屋に軟禁状態となったのでした。
一日中部屋での隔離です。
1日3回のインスリン注射と食事の運搬時にだけ、人との会話が少しはあったでしょうか。
部屋から出られない、歩くだけの運動もロクにできない、何の刺激も無い、独房生活のような毎日です。
健常者でも脳の機能が衰退しそうですが、認知症ならなおさらでしょう。
母には電話を持たせていましたが、たいがい電池切れでした。
そんなロックダウンがコロナ第X波の度に数ヶ月続いたのでした。
(ろうろう、かいご、はじーめましたー)

コロナの波が一旦収まると、面会・外出が解除となります。
その間は、なるべく母を散歩に連れ出していたのですが、再びコロナが蔓延すると面会外出が制限され、施設内に感染が拡がってしまうとロックダウン措置がとられます。
数ヶ月のロックダウンがあるたびに、母はみるみる衰えていきました。
2年前は杖なしでスタスタ歩いていたのに、1年くらい前から杖をついてヨボヨボと歩くようになりました。
腰が曲がり、話す内容が単調になり、笑顔が減り、顔のツヤもなくなっていきました。
(ろうろうかいご、はじーめましたー)

そして先日、ロックダウン中の施設から電話がありました。
母が腰痛を訴えているので、整形外科で診てもらってはどうですかという内容です(施設の人が連れて行ってくれる訳ではありません)。
すぐさま施設に行き、数ヶ月ぶりに母に会うことになりました。
現れた母は車椅子に乗っていました。
顔には生気がありませんでした。
こんな母を見るのは初めてでした。
(ろうろうかいご、はじーめましたー)

病院に行って診てもらうと、腰椎などに3ヶ所の圧迫骨折があるとのことでした。
骨密度は明らかに低く、骨粗鬆症でした。
血液検査でも、血中カルシウム濃度が低く、特にビタミンDが基準の1/3以下です。
どちらも骨の形成に欠かせない物質です。
この2年、外に出て日光を浴びることはほとんどなく、運動不足に陥っていたことが原因だったのでしょう。
骨も筋力も弱っていたのです。
ほら、ここ触ってみ、固いやろと、よく筋肉自慢をしていた母だったのに。
(ろうろうかいご、はじーめましたー)

預けている施設は、普通の介護老人ホームです。
基本的に、施設には医療やリハビリサービスがありません。
注射等を管理できる看護師が常駐しているのみです。
健康で心身穏やかに生活できることを目的にしており、身体の機能回復などは二の次です。
余生を「穏やか」に迎えてもらう場所なのです。
そして預けた側からの視点に立つと、介護からの解放という「穏やかさ」をお金で買ったのです。
そうです。
どちらにとっても「穏やかに」その時を待つだけなのです。
(ろうろうかいご、はじーめましたー)

しかしコロナが、その時計を早めてしまいました。
階段を転げ落ちるようにという形容がぴったりの速度です。
このままだと、すぐに歩けなくなり、寝たきりとなるでしょう。
活動量が減ると、刺激もさらに少なくなり、認知症も加速度的に進むでしょう。
ほどなく我が子の顔さえ判らなくなるかもしれません。
先日ボクに会った時、一瞬、誰?という顔になったような気がしました。
(ろうろうかいご、はじーめましたー)

寝たきりになり、我が子も忘れると、会いに行ってもロクにコミュニケーションが取れなくなる。
会いに行っても、空しいだけになる。
次第に会いに行かなくなる。
そして、ある日、施設からその時を知らせる電話がかかってくる。
そんな未来が見えてきました。
(ろうろうかいご、はじーめましたー)

それって穏やかに待つことなのだろうか。
介護からの解放という「穏やかさ」なんて。
うーん。
うーん。
それは穏やかなのか!
(ろうろうかいご、はじーめましたー)

決めた!
在宅介護だ!
実家に戻って母と暮らそう!
注射のコントロールをしよう!
毎日ちゃんとした、ご飯作って食べさせよう!
運動させたり、会話したりしよう!
いろんな場所へ連れて行こう!
そうやって、その時まで穏やかに暮らそう。
いや、以前のように歩けるように回復させよう!
認知症も改善させよう!
全然、穏やかにならないかもしれないけど。
(ろうろうかいご、はじーめましたー)

先日、下した決断の顛末でした。
時間を置いて、軽い調子で書いてしまうと、さほど重くないように思えます。
むしろ強がりでなく本当にワクワクしています。
作り始めていたアプリは認知症用にすることにしました。
(ろうろうかいご、はじーめましたー)

正確には準備を始めたばかりの段階で、直接の介護が始まるのはしばらく先です。
それよりも自分を「老」というのも何だかですが。
初心者だけど勉強してアプリで稼いでやるのだあ!というメンタルと、腕立て伏せ100回できるフィジカルがありますので(なにげに自慢です)。
そんなイマドキの56歳のワカモノが「老」を言うには、まだまだです。
70overの「子ども」が介護しているなんて珍しくありません。
初老老介護かな。
しょろう、ろう、かいーごをー、はじーめ、ましたー!
それではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?