直感は祖先によるもの、直観は自分によるもの。

直観に基づいた結論に対しては何らかの説明が出来るが、直感(ひらめき)では説明出来ない。これが直観と直感の違いである。

という話を耳にしました。なるほど確かに。

そこで、気になって直観と直感について調べたのですが、いまいち違いがわかりません。直がゲシュタルト崩壊してしまいました。直_直;

日本語だと曖昧な言葉は、英語やラテン語、ギリシア語の語源に遡って考えると、理解が深まる気がします。村上陽一郎先生の本でも、よく語源の説明がされています。

直感(inspiration)と直観(intuition)

inspireは、‘spire’(息を吹く)という語幹にin-(中へ)という接頭辞が添えられてできた動詞で、語源的には「(神が)魂に息を吹き込む」

よって、inspirationとは、神の啓示に導かれたかのようにひらめいて高まる、精神の働き。霊感。
intuitionは、in 「中に」+ tueor 「目を向ける」が語源。

知識の持ち主が熟知している知の領域で持つ、推論など論理操作を差し挾まない直接的かつ即時的な認識の形式。

なんとなくわかりました。この「なんとなく」は多分、直観です。

一つ疑問なのは、直感は触覚などの感覚器を通して物事を捉えることらしいのですが、本当に知識や過去の経験の影響を受けずにそれが可能なのか?という点です。

例えば、初対面の人に対して、「なんかこの人やだな」と思ったとします。その判断材料が見た目であったり、オーラであったりするとして、「過去にそんな感じの人に悪いことをされた」とか、「似た顔の人がドラマで悪役だった」みたいな経験が無関係とは思えません。

つまり、直感と同時に直観が発動してしまい、純粋な直感のみで判断することは不可能じゃないか?、ということが言いたいです。


人間が普遍的に感じ取るイメージ

少し話は逸れますが、「悪そうな顔」って何なんでしょう。
良い/悪いの価値判断と、目付きなどの特徴は本来独立しているはずです。なのに、ある顔に対してみんなが「悪そう」とか「良い人そう」とか感じるということは、そういう価値観が人々に備わっているからだと思います。

その大きな理由の1つは、後天的な経験によるものだと思います。先述の通りです。

もう1つが、先天的なものです。これについて語りたい。

色相学を例にとります。西洋の絵画では、キリストの服は大抵「青色」です。それは、青が綺麗というだけでなく、青色の絵の具が貴重だったからです。
ウルトラマリン(青色)の絵の具は、ラピスラズリという宝石を砕いて作られます。そんな青色がふんだんにキリストの服に塗られていると、「うおー」「すげー」となったのでしょう。
ちなみに、フェルメールは青色をふんだんに使ったために借金地獄になったらしいです。

https://www.google.co.jp/amp/s/gigazine.net/amp/20150610-world-costliest-color-ultramarine

今でも「青=高貴」のイメージは、欧米を中心に根強く残っています。スーパーマンが青いのもそのためです。日本のヒーローは赤い(◯◯レンジャーとかウルトラマンとか)ですが、アメリカのヒーローは青い(キャプテンアメリカとか!)です。

「青=高貴」のイメージが、何百年と人々に浸透した結果、欧米圏の方は生まれつき青を見ると高貴で神聖な印象を受けるようになったのでは?、と思います。
つまり、スーパーマンを考えた人は、「キリストとか英雄がみんな青い服を着てるから」という知識と関係なく、「ヒーローといえば青っしょ!」という思考で青色にしたのではないか、ということです。これって直感じゃないですか?

昔(16世紀前後)の人が、青色を通して高貴さや神聖さを汲み取ったのは、直観によるものだったと思います。青は貴重でしたし、キリストが青い服を着ている絵画がたくさんありました。そうした知識や経験に基づく判断が行われていたと思います。

一方で、青色が貴重じゃなくなった今でも、我々(特にキリスト教圏の方)が青色を見て高貴な印象を感じるのは、祖先の方が直観を通して得た知見が、直感として継承されている(遺伝している)からではないかと思います(!)

直感と直観では脳の使用部位が違う

「私の説が正しい!」と言いたいわけではなく、ただ「そうだったら面白いな」と思って書いているだけなのですが、この説に関係ありそうな言論を見つけました。
※私の記事での「直観」が「ひらめき」として記述されています。

池谷氏によれば、「ひらめき」と「直感」は、
使っている脳の部位が違います。

すなわち、「ひらめき」は、
「大脳皮質」や「海馬」
といった場所の働き。

「直感」は大脳皮質の前頭葉のすぐ内側にある
「ストリアツム」(線条体)
の働きなのです。
「ストリアツム」はあまり馴染みがない名称ですが、自転車の乗り方、箸の持ち方などの「体の運動を制御する場所」です。自転車の乗り方を一度覚えると、まず忘れてしまうことがありませんよね。

「ストリアツム」は、このような、無意識にしまいこまれてしまう「潜在記憶」を司るところと理解すればいいようです。

「直感」とは、ストリアツムによって、潜在記憶の中で高速に計算が行われた結果出てくる「答え」だから、言葉での説明がうまくできないのです。

https://www.insightnow.jp/article/900

ふむふむ、潜在記憶。

「潜在記憶って記憶なんだから、青=高貴のイメージを記憶してないと直感として想起されないじゃないか!」

とお思いになることでしょう。ところがぎっちょん、記憶も遺伝する可能性があるのです。

「親が経験したことも遺伝して子孫に受け継がれる」という研究結果

“私たち研究チームは親の経験という『記憶』が環境的に誘発された改変によって受け継がれる可能性を検証したい”

https://www.google.co.jp/amp/s/gigazine.net/amp/20190714-parental-memory-across-generation

一世代でも経験の遺伝が起こりうるなら、何世代にも渡って同じ経験が遺伝した場合、その経験は子孫に色濃く残りそうな気がします。
経験したことは記憶に残るわけですから、祖先の記憶が我々の潜在記憶に受け継がれている可能性があるということです。

ずっと「青=高貴」のことばかり例に挙げていましたが、他にも色々と直感の遺伝が起きている事例がある気がします。

本来、直感とは、我々の祖先が猿だったり小動物だったりした時代に、生き残るために生まれたものです。
今でこそ「論理的思考」が大切だと言われていますが、ご先祖様たちが捕食者から逃げる際に

「この分かれ道...右に行くか左に行くか。右は登り坂になっていて見晴らしが良さそうだな。でも地面の傾斜角的に左に進めば川があるかもしれない。左に行って生き残る確率、65%!」

なんて考えてたら、あっという間に追いつかれて殺されてしまう。そんな時に瞬時に判断するために「直感」が生まれました。なんとなく決めた方が生き残れたわけです。

小学生の時、塾の先生に算数の解法を聞かれて、「なんとなく」と答えたら怒られましたが、「なんとなく」も立派な判断方法の一つだったわけです。

まとめ

祖先の直観の蓄積が我々の直感を形成している。いや、わかりませんが。でもそんな気がしませんか?
もしそういう研究結果が出たら、影でほくそ笑んどきます。

そういえば、「悪そうな顔」というのも、我々の祖先がか弱い小動物やお猿さんだった頃に、我々を襲っていた「ヘビ」や「ネコ」に似ている顔なのかもしれません。遺伝してますね

直感が受け継がれたものであるとすれば、直観は今を生きる私たちによるもの。この論理に従えば、直感は鍛えられないことになりますね。さらに、直感だけを鍛えようと思っても直観が発動してしまいます
裏を返せば、私たちが経験して、感じて、学んで、考えたことの集大成が直観であると言えます。さながら生きた証とでも言うべきか。
この記事を書いて、今まで以上に自分の直観を信じてあげようと思うようになりました。


ちなみに、この直感遺伝説を思いつくきっかけになったのは、『進撃の巨人』です。進撃は私の思考様式に多大な影響を与えています。
アニメ・原作共に完結したらしいですけどまだ見てないのでネタバレに怯える日々です。それでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?