「得意」よりも「好き」を選ぶべき理由

「好き」と「得意」どちらを選ぶか。よく仕事選びの際に取り上げられるテーマだと思います。
もちろん正解は無いと思います。ただ、私は「好き派」です。その理由が曖昧だったのですが、良い感じの理由を見つけたので言語化します。

「得意」なだけでは「結果が出ない焦り」を乗り越えられない

誰にでも努力が結果に結び付かない時期があります。そんな「結果が出ない焦り」を乗り越えるためには、取り組んでいる行為「そのもの」を楽しむ必要があると思います。

プロセス自体を楽しむということは、その取り組みが「好き」であることとほとんど一緒だと思います。
スポーツにしろ創作にしろ、大会で好成績を収めることや作品が高い評価を得ることは、モチベーションの1つであるものの、根源的にはそれが「好き」で続けている人が多いはずです。

例外として、「とにかく自分のことが好き」な場合もあり得ると思います。
その行為自体は特段好きでなくても、「頑張っている自分が好き」「自分を虐めるのが好き(?)」な人であれば、停滞期を乗り越えられるでしょう。
ただ、この場合も、対象は違えど「好き」パワーが必要になりますね。

「得意」だから始めても「得意」じゃなくなる日が来る

では、「得意」だからやっていることで停滞期を迎えた場合はどうでしょうか。
停滞している=努力に対して結果が出ない状態なので、その時期に限っては「得意」ではないことになります。
「得意」だからやっているとしても「得意」では無くなってしまう日が訪れるわけです。

この場合、その行為に取り組む理由が無くなってしまうので、続けるためには「得意」以外の理由が必要になります。
※理由なく続けられるとしたら、「自分が好き」パターンだと思います。

以前、林修先生と萩本欽一さんの対談で、「得意なことを好きになったら名人」というお話をしていました。
確かに、「得意」だから始めたとしても、「好き」になれば停滞期を乗り越えられますね。

そもそも「好き」と「得意」は大体一致する説

「好き」と「得意」を二者択一かのように扱ってきましたが、そもそも両者がそんなに乖離するのか?という疑問があります。
これについて考えるために、なぜ「好き」になったり、「得意」であったりするのかを深掘りしてみたいと思います。

まず、何かを「好き」な場合、絶対にその人の経験に依拠しています。
アニメが好きならアニメを見て育ったんでしょうし、スポーツが好きならスポーツをやってきたんだと思います。

一方で、「好きは経験に依拠する」ということは、裏を返せば「これからの経験次第でどんな事でも好きになる可能性がある」ことになります。
なので、好きなことで挫折して諦めることになっても、「きっと何か他の道がある!」と思えるし、得意なことを続ければ、それだけその行為に関する経験も増えるので、好きになる可能性だって十分あるわけです。

他方で、「得意」に関しては、「好き」に比べて経験以外の要因が占める割合が大きいと思います。
生まれつきの容姿や声、或いはいわゆる才能といった先天的な要因です。これらを生かせるフィールドで他のプレイヤーよりも優位に戦うことが戦略的な生き方である、とでも言ったところか。

付け加えて、「偶然性」というのも、その人の「得意」を決める要因だと思います。
子どもの頃、それこそ人生のスタートラインとでも言うべき時期に、たまたま他の子よりもちょっとだけ勉強が出来たとします。
当然、親から褒められます。すると嬉しくなってさらに勉強するようになり、その分成績が上がって褒められて...という循環が生まれます。

もちろん、こうした循環がずっと続くとは限りませんが、たまたま周囲よりも勉強が出来たり、たまたま絵が上手かったりして、褒められて嬉しくなってさらにのめり込むことで、「得意」が生まれることもあると思います。
むしろ、特段優れていなくても、とにかく褒めてもらえるような「環境」が「得意」を生むのかもしれません。

整理すると、
 得意=先天的要因×偶然性×環境×経験
みたいな感じかなと思います。

褒められることがきっかけではあるものの、主体的に取り組むということは、一見するとその行為が「好き」なように思えます。
しかし、褒められるのが嬉しいから取り組んでいるのであれば、「結果」のために行っているのであり、「プロセス」自体を楽しんでいるわけではありませんね。

因みに、「好き」に関しては上手く定式化出来なかったです。褒められたからといって行為そのものを好きになるとは限らないですし、経験したからといって好きになるわけでもありません。
性格、環境、経験などが総合的に組み合わさって「好き」が形成される気がします。

長々と述べましたが、要するに「得意」だからといって、その行為自体が「好き」になるとは限らない、ということです。

現時点で「得意だけど好きじゃない」なら、この先も変わらなそう

幼少期と現在を比較するために、あなたを20歳の大学生であると仮定します。ちょうど就活を控え、「好き」と「得意」について考えさせられる時期ですね。

あなたは、いわゆる勉強が「得意だけどそんなに好きではない」とします。いわゆる勉強って何だよって感じはしますが、学校でやるお勉強を想定して下さい...笑

勉強が「得意」ということは、諸々要因があるとはいえ、それなりに勉強の経験も積んできたはずです。
それでも「好きじゃない」ということは、これからも「好き」になることは難しいのではないかと思います。

林修先生と萩本欽一さんの話に戻りますが、「得意なことを好きになったら名人」ということは、好きではないものを好きになることが難しい、ということだと思います。だから名人は名人なんですね。

なので、もし「得意」を軸に仕事を選ぶのであれば、「既にたくさんやってきたこと」よりも、「得意だけどちょっとしかやったことがないこと」「やったことがないけど得意そうなこと」を選んだ方が、その後好きになる確率が高いような気がします。

まとめ

結局、「好き」と「得意」どっちを選ぶべきなのか。やはりきっぱり「こっち!」とは言えないテーマですね。
一旦、それぞれの特徴を整理します。

「好き」について
-性格や経験などによって総合的に決定される
-これからの経験次第で変わる可能性がある

「得意」について
-得意=先天的要因×偶然性×環境×経験
-「得意」なことでも「得意」じゃなくなる時期がほぼ必ず訪れる
-「得意なこと∧既に沢山やってきたこと」を「好き」になるのは難しい

「得意だから今までやってきたけど、別に好きじゃないこと」を続けていて、もし結果が出ない停滞期を迎えたら、「自分を好きになる」や「無理矢理楽しむ」努力が必要になります。

でも、もしそんな状況に陥ったら、「自分はなんでこんなことしてるんだろう...」なんて疑問に思ってしまうかもしれません。

そんなとき、「好きだけどやっていないこと」があれば、そっちをやりたくなってしまう気がします。「サラリーマンしてるけど、ホントは漫画描きたいなぁ」みたいな感じです。

もちろん、そんな状況を楽しもうとすればいいわけですし、何より停滞期が来ることを知っていれば焦らずに乗り越えられるかもしれません。
でも、「本当は◯◯が好きなんだけどなぁ」なんて思いながら過ごすのは、私は不幸せなことだと思います。

なので、好きなことをやる方がいいと思います。もともと好きなことをやるのが難しくても、好きになれそうなことをすると良いと思います。

「得意じゃないけど好きなこと」や「あんまりやったことがないけど多分得意なこと」に取り組むには、挑戦が必要です。
ついつい「別に好きじゃないけど、今までやってきた得意なこと」を選んでしまいそうになります。しかし、その先にあるのは「それが得意で無くなる日」と「◯◯してる人は楽しそうだなぁという不幸せな気持ち」です。

...少し誇張しました。別に停滞期を乗り越えれば、得意なこととしてその先もやっていけるわけで。
でも、停滞期に感じた、好きなことをしたいという気持ちや、好きなことをやって暮らしている人への羨望が、しこりとなってその先の人生に纏わりついて来そうです。

後悔しないためにも、幸せに生きるためにも、自分は好きなことで生きていきたいなぁと思います。

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