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スワンボートサイコー


私の神聖なテリトリーは公共の場だったようで、そこでカップルが愛し合っていてもホームレスのおじさんが横になっていても何も文句は言えない。いまは完全に"カップルの場所"となってしまったその広場を恨むことも集うカップルを恨むこともしてはいけない。
本当はわたし7メートル級の巨体になってここで寝てやりたい。粘っこく絡まる男女の それっぽい雰囲気 をわたしの巨体でぶち壊したい。はやく巨体になりたい。はやく巨体にならなきゃいけない。


愛だの恋だのを歌う音楽シーンを「茶系だ」と侮蔑的に言った私の趣味友達は、おなじ軽音仲間のドラマーと付き合い始めて夜の公園できのこ帝国なんかを歌っている。
「愛だの恋だのに夢中になれるような小さい脳を持ってないし、私ベースあればそれで良いし」と言って小さい身体で大きなベースを背負う彼女が、私にはすごくカッコよく見えて、そしてとにかく眩しかった。いまは「ベースがあればそれで良い」は「彼氏がいればそれで良い」にすっかり変わってしまい、寂れたショッピングモールのフードコートで水片手に何時間も好きな音楽を語ることも、放課後カラオケに寄って騒ぐことも、無言で好きな曲のurlを送りあうことも、ほとんどしなくなってしまった。恋人でそれらが成り立ってしまうのだから仕方ないと思いつつもやっぱり寂しくて、寂しくて、ぐるぐる目がまわる。
その変貌ぶりに私は嫌味なく拍手を送りたいとおもう。
人を愛することはエネルギーの使うこと。1度好きになると盲目的な恋愛感情しか持てない私は、ただ人を好きでいるだけで自分の持つ愛の重さに潰されてそのまま粉状になる。もし好きな人と相思相愛であっても、100℃で100kgの塊を常に抱えているのは重くて苦しくてそんなじぶんが恥ずかしくて、脳内メーカーを作ったら「死」がポツポツと沢山あるだけの結果がでるだろう。
「わたし、100℃でその上100kgの塊を持っていてつらい。全てあなたが持っていてほしい」なんて言えないからショワ〜って潰れて溶けて、乾かすとそれは薄い板になる。沢山磨くと光沢がでて最終的には鏡になる。でも鏡になったら持ち主が覗き見るたびに目が合っちゃって恥ずかしいから、鏡になるまで磨くのはやめてほしい。

健康的に人を愛せる人はとにかくすごいし、不健康になると分かっていながらも人を愛す人はもっとすごい。わたしは未だ経験が少ないに関わらず、ほんの数回の失敗でその全てを切り捨てようとしている。それは「バルコニーでカモメにおにぎり食われた」って理由で大型船から降りてスワンボートをキュルキュルと漕いで進んでいるようなもの。
「スワンボートサイコー」って、いつもの不自然な笑顔でいう。わたしは大型船に乗っていたくても(カモメにおにぎり食われるのが)怖くて乗っていられないが、そもそも「スワンボートサイコー」と言った癖に結局は賑やかで楽しそうな大型船に乗り直す情けない自分にはなりたくなくて、でも心のどこかで一緒にスワンボートを漕いでくれる人を探しているような、そんな、最悪で、ワガママで、本当に不味そうな肉塊だ。今わたしをサイコロステーキなんかにして食べたら鋼の味なんかがしてしまいそう。

ベースガール(ベースガール?)がしっかりと人を愛すことをできているのを私は勝手に安心して勝手に尊敬して勝手に祝福している。彼女は変わらず眩しい。彼女の眩しさは恋愛をくだらないものだと侮蔑する姿勢から来るものだ、と思っていたけれど、彼女は恋愛に夢中な"女の子"になっても変わらず眩しくてそもそも存在自体が光を放っていたのだとおもった。彼女が、恋人に勧められた「茶系」な音楽を好むようになっても、恋人の好きな髪型になっても、恋人の好きな服を着るようになっても、彼女の中の神様はいつまでもやくしまるえつこだったらいいのにっておもう。

寒くて手先が青く点滅しているような感覚に陥った。
目が疲れてコンタクトを外してしまったから街灯や月のあかりがぼやけて大きく見える。それがなんだかとても綺麗で、この視界を万年視力Aの彼女にも見せてあげたいなっておもった。


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